ある少女の新しい職場

ああ、こんなことならば行かなければよかった。けれど時間は巻き戻らない。


 こんなことならば、いつまでも家にいておけばよかった。もう後悔するには遅すぎた。一日中寝ているだけで、決まった時間に食べ物が出て来る。今思えば、何に不満があったのだろう。元より動けない私は今から起こることに、なす術がない。できることといえば、声帯がはち切れんばかりに悲鳴を上げることくらいだ。だが無情にも鋭く尖ったそれは、私の肌に突き刺さる。


「ギャァァァァァーーーーーーー」体に激痛が走る。やはり痛くなどないという医者の説明は嘘だった。この医者は信用するには胡散臭すぎたのだ。目から熱い液体が零れ、頬を伝って行くのが分かった。医者は注射器を置いて立ち上がると、上から見下ろすようにして言った。


「注射くらいで、この世の終わりみたいな顔をしないでくれるかね?」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 私がゴーレムに乗ると決めた翌日、笑顔を浮かべながらも心配さと寂しさが隠しきれていない母とただただ号泣する父に見送られて(姉は来なかった)スーツの男とともにゴーレム車の荷台に乗った。前に空いた窓から、力強く動くゴーレムが見える。


「あれに乗るのか」どんな感じなのだろう。全く想像がつかない。


「不安か?」急に話しかけられ、心臓が鷲掴みにされたような気になる。咄嗟に答えようとするが声が出ない。思えば家族以外の人と話すのは何年ぶりだっだろう。最後に会ったのが、姉の婚約者だから…。だから…何年だ?スーツの男は、不思議な物を見る目で、ジッと私を見ている。当然か。私は3回、大きな深呼吸をすると、勇気を振り絞って口を開けた。


「はい⤴」気張りすぎて若干変な発音になってしまったが及第点だろう。なぜかスーツ男がますます不思議そうな顔をしていた。


「そうか」少し間を置いてスーツ男はそう一言だけ発し、それきり黙った。


 ゴーレムの駆動音だけがキャリッジに響く。


「……。」


「……。」


「………。」


 何故だか精神的につらい。姉のチクチクした言葉とは違った種類の苦痛だ。それが嫌で、私は再び口を開いた。


「あの…」


「なんだ?」男の目がこちらに向けられる。当たり前のことなのに、体が総毛立つ。話しかけたのを若干後悔した。


「私ぐらいの年で、この仕事をするのって珍しいんでしょうか?」沈黙を打ち消すために捻り出した話題ではあったが、今思うと意外に有用な質問だった。いきなり大人に囲まれて仕事をするなんて不安すぎる。せめて同年代の話せる子が欲しい。


「そうでもない。貧しい家庭の子供や孤児で、この仕事に駆り出されるのはよくある。君のように最初から四肢がないという例は、初めて見たが」


「そうですか…」うわー…。余計に雰囲気が重くなってしまった。帝都に着くまであと、何時間あるのだろう。私は眠った振りをすることで、時間を消費した。


ーーーーーーーーーーーーーーー


 母と父、そして姉が談笑している。そこに私はいない。ただ傍観者として存在しているだけだ。みんな楽しそうに笑っている。そんな三人に人影が近づく。姉の婚約者だった人だ。両親は彼を迎え入れると、四人で村の広間に向かった。そこでは既に沢山の人々が待っていた。姉はドレス姿にいつの間にかなっていて、タキシード姿の男が隣を歩く。


 二人が向き合うと、男はぎこちなく姉の肩に手を回す。そして恥ずかしがりながらも、たどたどしく二人はキスをした。村人達は花びらを投げて、二人の結婚を祝福する。その中には私に石を投げてくる少年もいた。花びらでタキシードの男が見えなくなったと思うと、彼の姿が風に塵が飛ばされるようにフッと消える。姉が見えないはずの私を睨む。姉の顔は墨のように黒く塗りつぶされていく。それはどんどん広がっていき、世界が暗闇に包まれる。その中で紅く輝く姉の、両親の、そして村人の目だけが頼りとなった。


「あんたがいなければ、皆は幸せになれたの」姉がいつも通りの意地悪な顔で言う。


「嘘だ!お母さんは私のことが必要だって言ってくれた!」


「そんなの嘘に決まってるでしょ!あんたはいらない子。それはあんた自身が一番知ってるでしょう?」いつも優しくしてくれた母が言う。


「違う!」


「だったら、なんであんたを送り出すとき母さんは笑ってたんだ?お前がいなくなって嬉しかったんじゃないのか?」無口で不器用だったが、一番私を心配してくれた父が言う。


「もう、止めて。お願いだから…」


「あんたのせいで!」姉の黒い手が伸び、私を掴む。そして私の体は地面に叩きつけられる。何度も、何度も。あれ?思っていたより痛くない。そう思ったとき声が聞こえてきた。


「起きなさい。起きなさい、いつまで寝てるんだ!」身体を揺さぶられて、私は薄目を開ける。涙を流していることに気が付き、欠伸の振りをして誤魔化す。


 いつの間にか本当に眠ってしまったようだ。寝ぼけた目の焦点が合ってくると、帝都の光景がはっきりと見えてきた。


「凄い…」天を貫くような巨大な塔。どこまでも列を成す店。目が周るほど多くの人が行き交い、着ているものは凄くオシャレだ。私には似合わないだろうけど。ともかく、私は帝都のすごさに圧倒された。  


私は台車に載せられると、そのまま運ばれて行く。油差しをサボっているのか、キュルキュルと凄い音が響く。


「今日からここが君の職場だ」50、いや100を越えるゴーレムがズラリと並んでいた。その形と大きさはどれも同じだが、客車を引いているもの、荷車を積んでいるもの、大砲を引っ張っているものまであった。私は『ザカライア商会』とデカデカ看板を掲げた、巨大な黒レンガ造りの建物に近づいていく。大きい建物がひしめく帝都の中でも、目立つ建物だ。


「あれ?」その巨大な建物を素通りすると、影になって見えなかった横のちんまりした建物が見えた。曲がった看板には『職員寮』と書いてある。正直、あまり綺麗とは言えなかった。


「話は明日する。今日はゆっくり休みなさい」スーツ男は建て付けの悪い扉を無理やりこじ開けると、段差に苦心しながらも私を落とさないようにして扉をくぐる。


 寮の受付には人の良さそうな女性がいた。スーツの男と違って、怖そうな人ではなかったから少し安心した。


「あら、ギュンターさん。いらっしゃい。その子は新しい子?」


「夜分遅くにすまんな。世話を頼んだ」


「はいはい」そう一言だけ言うと、スーツは踵を返して出ていってしまった。


「こんばんは。私はここの寮母のサシャよ。今日からよろしくね」サシャさんは温かな目と柔和な笑みを私に向ける。この人なら人見知りせずにまともに話せるだろう。


「えっと、わたたたたしはミミミミミアでふ!」駄目だった。緊張して舌が回らない。


「ミミミミミアさん?変わったお名前ね」私はどうするべきか考えた。別に今すぐ訂正する必要はない。そのうちコミュニケーションに慣れたとき、訂正すればいいのだ。


「始めまして、ミミミミミアさん。これからよろしくね」


「ミアでふっ!」耐えらなくて、思わず声を出してしまった。慌てすぎて声も裏返っでしまった。


「あらっ?」サシャさんは私を不思議そうに見つめる。なんかさっきから不思議そうにされてばっかりな気もするが、私はもう一回言う。


「ミアですっ!」今度は噛まずに言えた。


「ミアさん?」


「はい」


「ミアさん。これからよろしくね」


「はい!」


「今日はご飯は食べれる?新しい子が来るなんて聞いていなかったから、簡単なものしかできないけど」


「ちょっと、疲れて食べれそうにないです。すみません」


「謝ることないのよ。今日はゆっくり休んでね」そう言うとサシャさんは私が乗った台車を押す。キュルキュル音を立てるそれは、鉄格子の前で止まる。


 私はこの中に閉じ込められるのだろうか。どうせ動けない身体だが、牢屋みたいな部屋に押し込められるのは少し嫌だ。おまけに部屋にはベッドどころか、物一つなかった。サシャさんがレバーを引くとガラガラガラと格子が開く。


「あの、ここが私の部屋なのでしょうか?」


「????」またサシャさんはまたもや不思議な顔を浮かべる。そしてそのまま台車とともに部屋へと入る。圧迫感があり、どことなく怖い。


 サシャさんがボタンを押すと、格子が閉まり部屋が揺れ始める。


今から何が始まるのだろう。プルプル体が震えだす。しかし私の恐怖とは裏腹に、何事もないように再びドアが開く。そこにあったのは、先程とは違う光景だ。サシャさんはポカンと馬鹿みたいに口を開けているだろう私を見て微笑む。   


「ああ、ミアちゃんエレベーターに乗るのは初めてなのね」


「エレベーター?」


「違う階に行くための機械のことよ」


「良かった」


「良かった?」


 ひとまず、床で寝なくていいと言うことに安堵する。また台車がキュルキュルと音を鳴らす。どこまでも続く長い廊下には幾つもの扉が一定間隔で並んでいた。


「ミアちゃんは家族と仲はいいの?」


「……!」突然のサシャさんの言葉に私は言葉を詰まらせる。思い出すのは今日見た夢だ。私は再び泣きそうになる。


「そうよね。こんな可愛い子の手足を切り落としてまで、こんな仕事をやらせるだなんて本当に酷いことをする人達のことなんて、思い出したくないもんね。でももう大丈夫。今まで辛い目にあってきたかもしれないけど、これからは…」


「そんなことない!!」これが自分の声だと気づくのに少し時間がかかった。一瞬、サシャさんは驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。


「そうなのね。変なこと言ってごめんね」


「えっと、こちらこそすみません」気まずい空気のまま、台車の鳴き声だけが響く。どうやら、私は空気を澱ませる天才のようだ。


 台車が止まると、サシャさんは束になった鍵を取り出して扉を開ける。目に飛び込むのはふかふかそうなベッドだ。家のやつより上質なのは間違いない。しかし問題があった。ベッドが二段ベッドだったのだ。しかも2つもある。


「なに?」不機嫌そうな声が響く。勿論、私の声でもサシャさんの声でもない。


「ごめん、起きちゃった?マリエルちゃん」


「ちゃん付けは止めてって言ってるでしょ!」ナイフのように尖った声音は、私のガラスのような心にヒビを入れる。


「この子はミアちゃん。マリエルちゃ…じゃなくてさんより二つ年下だから、仲良くしてあげてね」サシャさんは私の身体を持ち上げると、ヒョイとベッドに移して布団を被せる。フッカフカだがそんなこと気にならないくらい心臓がバクバクしてる。


「じゃあ、おやすみなさい」扉が締まり、カチッと鍵のかかる音が響く。廊下に反響する足音が聞こえなくなったくらいで、上から声がした。


「先輩に挨拶くらいしたらどう?」心臓が破裂したかと思った。私は慌てて口を開く。


「サシャです、じゃなくてえっとあの、ミア。ミアです!マリエルさま!」てんばり過ぎて無茶苦茶だ。


「様って…。マリエルさんでいいわよ」


「はい⤴!」


「……。」


 絶対、変な子だって思われてる。まぁ、変な子なんだけども。


「変な子ね」言われたぁー。分かってますよ。分かってますとも。でも、自虐的に思うのと人から言われるのじゃ心理的ダメージが全然違う。


「でも、割と賢い子ではあるかも」どうしてこの流れから賢いだなんて言われるのか、意味が分からなかった。人生において、一度たりとも自分が賢いと自覚したことはない


「えっ、そんなこと」


「あんたの声がでかくて、あの女との会話が聞こえてたの。馬鹿な奴らは大体、最初で絆されんのよ。本当、あの張り付いたような笑顔、気色悪い」マリエル様は静かだけど、怒りがこもった鋭い声で言う。私より2つしか違わないはずなのに、とてつもない威圧感がある。だが、私は思わず口答えしてしまう。何やってんだ、私の口。  


「そんなことないですよ。サシャさんは優しい人です」


「本当に優しい人なら、人の身体をぶった切るような会社で働くわけないでしょ。そもそも今日、あいつに会ったばかりのあんたが、私より詳しいとでも言うつもり?」はい、だめでした。脊髄反射的に出たいらない言葉は秒で論破されてしまう。


「じゃあ、私はもう寝るわ。明日も仕事だから」私はホッと胸を撫で下ろす。ずっと獰猛な肉食巨大魔導生物に睨まれた、哀れな草食動物の気分だった。


「えっと、お休みなさいませ」


「その変な敬語やめなさい」


「聞いてる?」


「スピー」


「……。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る