研究
文部科学省
「それでは、報告を始めさせて頂きます」無意味に広い空席が目立つ大会議室では、これで四回目となる研究報告が行われていた。議題は新しい世界や魔法そのものについてだ。進行表によると、いま壇上に立っているのは遺伝子学の高橋教授らしい。本来ならば工学が専門の山里にとって、一生縁がない人物だ。
「戦闘により死亡したアンゴラス帝国人の遺体を解剖した結果、ただ一点、特殊な赤い半透明の臓器のような物を除いて地球人類とほぼ同じであると報告がなされております。そこで我々は捕虜となっている帝国人よりDNAを採取し分析を行いました」配慮してか実物の写真ではなくイラストが用いられている。もしかして私が凄惨な光景を見て気絶したことが広まったからかもしれないと思うと、どうも決まりが悪い。
「その結果、そのDNAは地球人類のそれと有意な差は見られませんでした」会場にざわめきが起こる。なんらかの器官が存在するならば、それをコードする遺伝子があるはずであるというのは、高校生物しか知らない山里ですらなんとなく分かる。ないとはどういうことなのだろう。
「続いて本研究グループではその臓器と思われていた物の解析も行いました。分析の結果、それは独自の代謝系を持っておりミトコンドリアや葉緑体のような共生関係にある独立した生物であることが分かりました。また多数の痕跡器官、ここでは退化して機能を消失した器官のことですが、それが見受けられます」
「こちらの生物は遺伝子の形態がその他の生物とは大きく異なっていました。具体的にはDNAが存在せず、何が遺伝子となっているかまだ判明しておりません」
「竜やその他の原生生物、特に帝国人の言うところの魔導生物に当たるものもDNAを持っているのですが、なぜこのスライムのようなものだけが持っていないのかはいまの所、不明です。報告は以上とさせていただきます」高橋が一礼すると拍手が各々より飛び出す。この発表に質疑応答はない。集まっている研究者の分野が広すぎて、あまり深い質問ができないのに加え、専門的すぎる質問だと聞く者のほとんども理解できないのだ。どうしても質問がある場合は後に個別にメールなりで聞くことになっていた。
これからしばらく生物系の発表が続くようだ。退屈で仕方がない。山里は目を瞑り、頭を休める。自分の発表の番までに疲れ果ててしまっては元も子もない。
「一部報道にもありました通り、自衛隊により駆除されるまで八丈島は帝国より持ち込まれたピンク色の植物に覆われていました。我々はその植物の解析を行いました」
「結論から言いますと、我々がこの植物を摂取したとして、殆ど栄養にはなりません。その栄養価の低さ、及び帝国人のみがそれを食すことを許されていたという聞き取りより、当初は嗜好品の一種だと考えられていました。しかし同様の作物を帝国人が摂取すると、健康に問題なく生活することができるようになりました。反対に国産の食料をいくら与えても、帝国人の栄養にはなりませんでした。原因は高橋教授のグループと同じく、代謝系の違いによるものだと結論づけました。収監時に発生した捕虜の体調不良が、食事を帝国の部隊が持ち込んだ物やサマワ王国等の輸入品に切り替えたところ解決したという事実も、この仮説と矛盾しません」
「帝国の植民地支配制度はモノカルチャー経済のように見えますが、正確にはテラフォーミングと言った方が近いかもしれません。今はまだ具体的な数値を出すことはできませんが、帝国人独自の代謝系が解糖系と比べて、重要性が相対的に低いため退化していったのではないかと思われます。今後は植物に含まれるどの物質が代謝系にとって重要であるかを調べる予定です。報告は以上になります」
………。
………。
………。
「山里教授、いらっしゃいますかぁ?」
「おられないようですので順番を繰り上げさせていただきます、次の報告者は…」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
魔導省 地下施設
ガシャガシャと音が鳴る年季の入ったエレベーターに乗るときは、いつも落ちないかと不安になる。ベルが鳴る音とともに振動が収まると、青年は安堵し息を吐いた。扉が開くと生物研究部の受付ロビーがあり、そこに幸せそうにうたた寝している受付嬢がいた。
魔導省の地下は生物関連の研究施設となっている。不快さと気味悪さが同居した、暗くジトジトした空間でよくそんな表情を浮かべられるなと思いつつ、呼び出しベルを鳴らす。
「アンドレーヌ主任はおられますか?」受付嬢は慌てて飛び起きると、壁に備え付けられた棚の角に頭をぶつける。フォルダーがボロボロと落ちる。受付嬢は頭を抑える反対の手で、時計を確認すると口を開いた。
「えっとー、この時間でしたら多分ゴーレム工場か個人研究室かその辺りだと思います」えらくフワッとした説明だ。それにゴーレム工場と主任の研究室は別方向だ。この地下施設は割と大きく、他の仕事もあるので二度手間になれば困る。青年は受付嬢に詳細を聞こうとする。だが彼女はもう再び夢の世界へ戻っていた。
夢の世界の住人に何を聞いても時間の無駄だと諦め、青年は狭い廊下を進む。木箱やガロン瓶の妨害を掻い潜り、研究区画を抜けると、竜の咆哮がけたたましく聞こえてきた。おまけに獣臭い。こんなのでは集中して仕事ができないだろう。生物部門が地下に追いやられた理由が分かった気がした。味気ない壁が突如、ガラス張りに変わる。ガラスの向こうには何回層も貫いたような巨大な空間が見えた。その中心に鎮座する球形装置からは、何本か管のような物がボールに刺さった針のように飛び出している。そこからゼリー状の何かが硝子麺(心太のような食物。木の樹液から作る)のように押し出される。それが下に置かれた石の塊まで達するも、入ると、石で蓋をされる。蓋がされるまで気づかなかったが、今ではすっかり街でよく見る輸送ゴーレムだ。
「君は誰だね?ここのフロアの連中は全員把握していたつもりだったが。」振り返ると、ダボダボの白衣を着た女性がいた。軽く化粧をすれば、国立劇場の女優並みに美しいだろうが、焦点の合っていない目だけは狂気的に輝いている。
「総務課、課長代理のリアン・マルテルです。アイル魔導大臣の伝言を届けに来ました」
「こんなところまでご苦労さん」全くだ、と言いたくなるのを堪えつつ青年は端的に伝える。
「バーサーク薬の開発費が降りませんでした」アンドレーヌ女史は意味が分からないというように一瞬、静止した。そして徐々に事実を飲み込んできたのか、顔に怒りが滲み出す。
「ファ○ク、あの年増しババァ!もう今日と言う日は許さねぇ、ぶっ殺す!」アンドレーヌ女史は駆け出そうとするが、側にいた助手に引き止められる。
「待ってください主任!」
「やかましい!あいつを殺して、私が大臣になる!」
「そういうシステムじゃないんですよ!」研究者としての実力はすごいんだろうが、こんな人が上司だなんて大変だなと、女史にしがみついている助手に青年は同情する。そういえば、俺も似たようなものだったか。
「しょうがない、また野蛮人が竜に食われる様子を観察して憂さ晴らしでもするか」
「あの、予算もカツカツですしできればそういうことにお金を使わないでいただけると嬉しいのですが…」
「ってことでよろしくな、青年」アンドレーヌは紙切に何かを書いて渡す。思わず受け取ってしまったそれは、奴隷の領収証だった。
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