さよなら、ザカリー将軍

アンゴラス帝国 中央防衛線


「これはお前ら魔導省の責任だ。私のせいではない!」男は唾を撒き散らしながら捲し立てる。身なりから貴族であることは分かるが、その仕草には最早気品は一切感じられない。


 それとは対象的に向かい合った席に座る女性は細い指で、植民地産の紅茶を嗜んでいる。数秒おいて口からカップを離すと、ゆったりとそれを皿に戻す。静かな部屋に、ガチャンッと耳障りな音が響いた。


「ザカリー将軍、それをどうやって証明される気ですか?」


「どういうことだ!」


「我々の関与は、公式には無かったことになっているということです。貴方がご自身の失敗を巻き返すために、独断で軍を動かして大打撃を受けたということになるでしょうね」まるで何でもない、至極当たり前のことを言っているかのような口ぶりだ。だが、それはザカリーにとってありえないことだった。


「私を誰だと思っている、私は子爵だぞ!」ザカリーが机を叩きつけるとカップがまた音を立てる。そんなことが許されるはずない。


「魔導省と帝室の繋がりが貴族のそれとは比べ物にならない程強固だということは、貴方も一応、貴族だというのならご存知でしょう?」女は口もとを隠してクスクス笑う。


「貴様、最初から失敗したら私に責任を押し付けるつもりでっ!」


「まぁ、大人しくしておけば優雅に余生が送れるということだけは保証して差し上げましょう」楽しそうに笑う女の姿が、自身を地獄に誘う悪魔にしか見えなかった。  


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魔導省  


 床も壁も天井も、さらには調度品すら黒で統一された一室で、7人の男女が集まっていた。この部屋の主、魔導大臣のアイルは黒い革張りの椅子に深く腰掛け、苛立ちを示すかのように腕を組んでいる。そのオークをも殺せるような眼光は、哀れな若い役人に向けられていた。


「えー…、よってバーサーク薬は未だ改良の余地があることが判明しました。第十二次改良計画の予算申請がアンドレーヌ主任研究員より…」


「それはどうでもいいわ。不完全であることは最初から分かっていたことよ。何より問題なのは、軍務省に私達の息がかかった人間がもう殆どいないということよ!」アイルが一喝すると、青年はブルリと体を震わせる。


 長年に渡る平和により、軍務省は発言力を大きく落としていた。それでも他の省庁と比べて膨大な予算が降りるため、それを狙う内務省と魔導省のイス取りゲームの舞台となっていた。しかしデクスターが軍務大臣に就任してから、軍部内での魔導省閥は弱体化の一途を辿っている。


「作戦が成功していたら、あの無能を軍務大臣に祀り上げることも可能だったというのに、なかなか上手くいかないものね」ヒールが床を叩く音が、部屋に反響する。会議室のほぼ全員が肩をすぼめて萎縮する。


「ザカリー将軍、失礼、元将軍の攻勢作戦を推進させたのは我々です。内務省から追求があるのではないでしょうか?」恐れを知らずに発言するのは黒縁メガネと、クルクル巻かれた口髭が特徴的な壮齢の男、副大臣のブルーノだ。ほぼアイルの独裁下にある魔導省において、彼女に意見できる数少ない存在である。    


「それはないわね。作戦は勅命として実行されているもの。私達を非難するということは、陛下を避難するということよ」そんなものは織り込み済みだという風に、アイルは自慢げな笑顔を浮かべる。一同は目に見えてアイルの機嫌が良くなったことを理解した。付き合いが長い分、アイルの扱い方も熟知しているのだろうか。


「ああ、だから失敗してもいいように勅命にされたのですね」ブルーノは大げさに感嘆したように相槌を打つ。


「さぁね。ただ、これで今までの努力は水の泡。使える手駒は少ないし、どうしたものかしら」


「皇帝陛下はご友人の機嫌を取るのに熱心なお方ですから、幾らでも機会はあるでしょう」ブルーノは発言するたび、クルクルの髭がよく揺れる。


「でも、流石に立て続けとなると、いくら陛下でも疑念を抱くわよね。…ハァ、暫く大人しくしておくか」アイルは気だるげに腰を上げる。すると一斉に役人たちは起立し、礼をすると部屋から逃げるように出ていく。


「ああ、お前」呼び止められた若い役人は、肉食獣に見つかった小動物のように怯えていた。


「…いかがしましたか、大臣」


「アンドレーヌに言っといて。バーサーク薬の研究費は金欠でしばらく出ないわ」


「…了解しました」青年はそう言うと、今度こそ部屋から逃げ出すことに成功した。


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「いやー、大臣は今日も美しかったな」ブルーノは暗い廊下を歩きながら、快活に笑う。


「…ブルーノさん、感覚が絶対おかしいですよ」その隣に並ぶのは、雑用を押し付けられた青年だ。この歳で課長なのだからかなりのエリートだが、曲者揃いの省内では存在感が薄い。


「あの良さは若いヤツには分からんよ。未婚だと言うし、私にもチャンスはあるかもしれん」正気ではない、と青年は思ったがアイルと長年接することができる人間がまず正気なはずがないと気付く。


「ですけど、年は二回りほど違うのでは?」ブルーノは一瞬、不思議そうな顔をすると一人納得したような顔を浮かべる。


「いや、アイルは私より年上だ」


「えっ!」青年はその事実に思わず声を上げる。裏で年増しババァ、若作りと揶揄されてはいるものの、それはあくまでも悪口として。20代は無理があるが、30代前半で十分通る容姿だ。そこまで年を食っているとは想像できなかった。


「このことは他言無用だ。消されるぞ」


「あっ、あの、私は聞かなかったことに…」


「冗談だよ」ブルーノはからかう様にヒゲを揺らして笑うが、青年は一生このことは他言しまいと心に決めるのだった。


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日本国 東京


「死者だけで57人。負傷も合わせると二百人を超えるか。陸上自衛隊の受けた被害の中では、今までで最大だな」総理の頭はマスコミ対応のことで一杯になる。支持率は戦争が始まると急激に上昇したが、ここ最近緩やかに下向を続けている。終わる気配のない戦争に皆嫌気がさしているのだ。      


「後日、葬儀を行いますので総理にも参列して頂きたく」防衛相が言う。それを聞くと総理ははっと気付かされる。いつからだろう。人の死を数字としか見れなくなったのは。


「勿論だ。だが、ここまで早く敵の第二波が来るとは」だがいちいち悲観に暮れるには、この仕事は忙し過ぎた。 


「やはり、上陸させたのが間違いだったんだ。一刻も早く撤退させるべきだ!」環境相が言う。この男はいつもそうだ。文句ばかりで代案を出さない。ついでに主張に一貫性がない。派閥さえ関わらなければ、今すぐにでも罷免にするというのに。


「だったらどうする、ビンラディンみたいに皇帝を殺すか?アフガンの二の舞になるだけだ」財務相が言うと環境相は不満気に口をパクパクさせていたが、反論が思いつかなかったのかそのまま静かになった。


「だが現在、上陸部隊の物資不足が深刻なのも事実です。この規模の攻勢が再びあった場合、今度こそ全滅するのではないですか?」


「敵の行動を確実に鈍らせる手段のようなものがあればいいんだが…」


「それについてなのですが、こちらの世界に飛ばされる前にアメリカより供与されたAN/AQQ-33スナイパーポッドの複製に成功しました」防衛省の幹部が待ってましたとばかりに言う。


「なんだそれは?」だが畑違いの大臣達が分からないのも当然で、居並ぶおじさん達はキョトンとした表情を浮かべる。


「GPSがなくとも、精密な空対地攻撃が可能になる一種の照準器のようなものです。これを用いて敵司令部を攻撃すれば、敵も流石に身動きが取れなくなるでしょう」


「なら最初からそうすれば良かっただろ!」環境相がまたまくし立てる。


「照準器は現品限りで、故障すれば二度と手に入りません。慎重に扱う必要がありました」防衛官僚は努めて冷静な態度をとるが、そんなもで環境相は止められない。


「お前達がもっと早く作って、基地に配備していれば良かっただけだ!それを基地に配備してさえいれば、敵をとんぼ返りさせることができたんじゃないのか!」こんな調子で、よく国会で失言しないものだと総理は最早感心すら覚え始める。


「重要施設や艦船には通信手段が備わっているようですが、陸上部隊には短距離通信用の通信機しか配備されていないことが捕虜の証言より分かっています。いずれにしても敵が出立した後に、司令部を攻撃しても効果は薄かったでしょう」


「こんなイフの話をいくらしても仕方がないだろ。大事なのはこれをどのように使うかだ。具体的なプランはもうあるのか」もう聞き飽きたというように、総理は無駄な議論を打ち止める。


「はい。お手元の資料、83ページをご覧ください」なんでこんなに分厚いのだろうという資料をペラペラ捲る。100ページ以上ある資料の内、まともに目を通したのは10ページにも満たない。


「敵の司令部と思わしき建物です。写真の通り周辺の木製の建物とは異なり堅牢な作りで、旗を掲げているため重要施設であることは一目瞭然です。これと類似した少々小ぶりな建物も複数個確認されており、各部隊の指揮所となっていることが予想されます。この両方を叩けば、しばらくは敵の活動も鈍るかと」


「その間に物資を運び込むと…。間に合うのか」大損害を被りながらも、懲りずにすぐ攻撃してくるような敵だ。本当に大丈夫なのだろうか。


「それが成功した後、加えて橋や輸送車両も目標とする予定です。これにより行動がかなり制限され、立て直しにかなりの期間がかかるでしょう。浮体橋も完成しましたので、輸送は今までと比べて迅速に行えます」


「また沖合に借り上げたクルーズ船を常時、待機させる予定です。あくまでも最後の手段ですが、もし上陸部隊で対処が不可能な事態に遭遇した場合、隊員を一時退避させます」それならば相手がとち狂ったように突撃してきても、隊員が被害を受ける危険性は少なくなるだろう。そして沿岸部にまで進出してきた敵は、艦砲射撃で一方的に攻撃できる。


「分かった。二度とこのようなことが起こらんようにしてくれ」


「最大限、努力いたします」


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アンゴラス帝国 中央防衛線 総司令部


「ザカリー将軍、おつかれ様でした」


「さようなら将軍。お元気で!」司令部の作戦司令室が拍手で満たされると、白い花束を携えた参謀長がそれをザカリーに渡す。放り投げたい衝動を抑えながらも、体面を気にしてそれを受け取る。居並ぶ連中は表面上は別れが惜しいような顔を取り繕ってはいるが、その隅に嬉しさがあることを隠しきれていない。司令室の扉を勢い良く閉めると、肩で激しく息を始める。


「私をこの職から追放するなど、どれほど帝国の損失になることか分かってるのか!!」ザカリーは荷物と花を持った従卒を殴り飛ばす。花びらが赤い絨毯の敷かれた床に散らばる。


「私の能力を分からぬ無能どもが!たった一度の失敗で人を評価しよって」本当は2回失敗しているのだが、本人の頭からはすっかり抜け落ちていた。


「いつまで寝ている、付いてこい!」ザカリーは帝都へ戻るためのゴーレム車に向かおうと足を踏み出したところで、前から駆け寄ってくる兵士に気付く。別れを言いに来たのだろう。本来なら平民出の一兵士に掛けてやる言葉はないが、最後の日くらい構わないかと考えていると、伝令はザカリーを素通りして、扉から出てきたばかりの参謀の元に駆け寄る。一言も挨拶をしないとは全く無礼な限りだ。帝都に帰ったら、こいつが死地へ送られるように手を回そう。


「参謀長!前哨基地より連絡です。敵の航空部隊が接近しているようです!」ザカリーは知らぬ素振りをしながら聞き耳を立てる。


「いつものような威力偵察だろう」


「いえ、今回は数が多いようです」


「念の為、いつも通り対空魔導砲だけは撃てるようにしておけ」野蛮人相手に情けないことだ、と自分のことを棚に上げて心の中で侮蔑する。


「敵機来襲!」基地にサイレンが鳴り響く。だが毎日のように来る敵に、以前のような緊張感を誰を持ってはいない。いつものことだと、ザカリーは再びゴーレム車に足を向ける。だが、通信員の報告によって再び足が止まる。


「敵が何かを発射した模様です!」


「何だと!」そう言ったのは参謀長ではなくザカリーだ。その直後、対空魔導砲の発射音が聞こえるようになる。


 一体、何が起こっているのだ。


「ヒィッ!」激しい衝撃とともに建物が大きく揺れる。絵画が壁から落ち、シャンデリアが大きく揺れる。ザカリーは立っていられず、思わず尻もちをつく。崩れた壁から、崩壊した西館が見えた。


 もうこの司令部がどうなろうと、ザカリーには関係ない。一目散に逃げ出そうとするが、腰を抜かして立てない。なので無様に地面を這いながら出口に向かう。だが無情な機械の眼は彼だけを特別視しなかった。再び建物が衝撃に襲われる。その激しさは先程のものとは比べ物にならない。ザカリーは自覚する暇もなく、瓦礫に押し潰された。

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