Tーウイルス

「おのれっ、あのっ、野蛮人どもが!」


 ザカリーの私室は、絨毯が破れ、ガラスの破片、調度品の欠片が散らばり見るも無残な姿となっていた。自らが全身全霊を掛けて作り上げ、いけ好かない女大臣に頭を下げてまでしてねじ込んだ一世一代の作戦。それが失敗に終わったのだ。しかも勅命という形で命じられたのに関わらず。ザカリー自身が大貴族だということもあり処断の心配はないが、彼の名誉は地に落ちたも同然だ。だから彼は怒りをありとあらゆる物にぶつけ続ける。


「このままでは、このままでは、他の貴族に馬鹿にされてしまう!」それだけはプライドの高い彼にとって避けたいことであった。いや、貴族社会という閉鎖的な環境で育った者はみな、それ以外に興味が無くなるのかもしれない。その報せがやってきたのは、ザカリーが燭台を窓に向かって投げようとしているときだった。


 ノックをして入ってきた若い士官は一瞬、部屋の惨状に表情を強張らせたが、そこには触れまいと口をつぐむ。


「司令、魔導省から来客が来ていますがどうされますか?」


「魔導省だと?」ザカリーがこの地位に着けたのは軍部内での派閥拡大を目指す魔導省のおかげである。なにか要求されれば断れない相手ではあるが、直接出向くとはどういうわけだろう。


「わかった、今行く」ザカリーは胸に突っかかりを覚えながらも、来客が待つという応接間に重い足を向けた。


 ザカリー好みの重厚で艶やかな扉を開けると、それ自体が芸術品と言っても過言ではないような応接間が顔を見せる。だが、ザカリーが自分用に持って越させた豪奢な椅子に座ることは叶わなかった。魔導省の役人らしい若い長髪の女が遠慮することなくその椅子に座って寛いでいたからだ。  


「遅かったですね。大変お待ちしました」女はザカリーを一瞥すらせず、細い足を組み替える。魔導省にはプライドの高い人格破綻者となぜ精神病院送りにならないか分からないような変人が多いと聞くが、それはどうやら正しいようだ。そもそもあの組織の首領が、あの女大臣なのだと思い出し一人納得する。


「人を呼びつけておいて、遅いとは何事だ!それに、私に向かってその態度はなんだ!私はここの総司令だぞ!」ザカリーは自分を軽んじる女が少しでも怯めばと凄むが、相手はというと眠そうな目を擦りながら出された菓子を摘む始末である。


 モグモグモグと、美味しそうにクッキーを頬張るとその表情を崩し、侮蔑的な笑みを浮かべる。


「陛下は大変憤慨されておられますよ。調整に手間取っているようですが、貴方の更迭も時間の問題。貴方が総司令でなくなる日も近いでしょう」今度こそザカリーは切れそうになった。認めたくはないが、図星だからである。だが、ザカリーは最後の理性を振り絞り、拳を収める。


「そんなことは分かっている!わざわざそんなことを言いに前線に来るとは、お前等も暇なものだ」


 「ああ勿論、本題はこれではありませんよ」


 「だったら何しに来た!」パリーンと甲高い音が響く。ザカリーがクッキーの器を床に叩きつけたのだ。だが女は物怖じしないどころか、感情を抑制できないザカリーを鼻で嗤う。 


「あれですよ、あれ!」女が指差すのは建物の外に留めてある黒塗りの馬車だ。側面には金ピカの魔導省の紋章があしらわれている。この話題に入った瞬間、女は顔を赤らめる。その様子はどこか興奮しているように見えた。


 「悪趣味な馬車だな」


 「貴方だって人のこと言えないでしょう」ザカリーは内心、彼女への呪詛で一杯になったが話の腰を折るわけにはいかないのでなんとか堪える。


 「あれがどうした!」


 「あれには、バーサーク薬が満載されています」だが、彼女への怒りはまたたく間に消失した。そして体が震えだす。


「そんなものを積んでるのか!」


 魔道生物に対する制御技術については、頭一つ抜きん出ている帝国である。そしてその対象は、当然ながらヒトにも向けられた。300年前の世界大戦では兵士の魔力増強と士気の向上が目下の課題であり、そのために様々な薬が作られた。そのうちの一つがバーサーク薬である。魔臓の代謝を飛躍的なまでに活性化し、恐怖心すら消滅させる夢の薬だ。これのおかげで世界大戦で敗北を免れたと言っても過言ではない。


 しかし大きな力には代償が伴う。薬は人間性を喪失させ、代わりに暴力性を植え付けたのだ。それが敵に向いてくれればいいのだが、残念ながらそう上手くは運ばない。理性を失った兵士だった化物の群れが友軍を、村を、そして帝都まで襲ったのだ。戦争が終わった後でも彼らとの戦いは続き、70年以上かけてようやく根絶に成功した。だが、被害の大きさと民の反感により、使用だけでなく研究も禁止されていたはずだった。公においては。


「試行錯誤の末ようやく完成しましたのに、そんなものとは失礼ですね」


「だが、あの薬は…」ザカリーは口を動かそうとするが、パクパクと空気が吐き出されるだけで言葉を紡げない。


「勿論、過去の薬とは違いますよ。幾度となく改良が加えられ、凶暴性はかなり抑えられています。簡単な命令程度なら十分にこなせますよ。少なくとも命令を無視して撤退するような貧弱な兵士よりは優秀でしょう」女は自らの成果を誇るように言う。


「しかし…」


「それに万が一何かが起こっても、結果さえ出せれば誰も文句は言わないでしょう。どうせ、このままだと閑職に飛ばされるだけでしょう?次のポストは紋章管理局局長なんていかがですか?」


 その言葉は、ザカリーを決心させることに十分であった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ルイポルート達は再び第5地区を訪れていた。量は減ってはいるものの、まだスライムの破片があちこちに散乱しており、敵の大きさが改めて分かる。司令部へ足を進めていると、あちこちから刺すような視線を感じる。それも当然だ。ルイポルートが訪れた直後に箝口令が敷かれたのだ。察しの悪い者でも、それが彼の差し金だと分かるだろう。


「今度はどんな御用ですか」司令部の警備兵が抑揚を抑えた、だが少しばかし反感が籠もった声で聞く。


「司令はどこだ?


「司令室ですが、どのようなご用件でしょうか?」


 だがルイポルートはそれに答えず、警備兵を押しのける。文句を言う兵士を無視してルイポルート達は司令室へと向かう。前に一度訪れたので構造は知っている。簡素な扉を開けると、何事かと目を丸くした士官達とその真ん中に鎮座する老人の姿があった。



「今度は何のようだ」老人はしゃがれた声で言う。


「帝室からの命令であったにも関わらず、貴方は箝口令を徹底しなかった。よって貴方を抗命の容疑で捕縛します」ルイポルートが書類を広げると部下が紐を手にして歩みだす。


「人の口に戸は立てられないと言ったはずだ!」司令は語気を荒げながらも、拘束に抵抗しない。書類に押された帝室の判に、諦めを感じたのかもしれない。


「申し訳ないですが、命令なのです」


 司令は愚直なルイポルートを、憐れむように目を細める。


「お前達は、たとえ陛下が暴君と成り下がっても陛下に忠誠を誓うのだろうな」


「ちょっと待て、なんのつもりだ!」ようやく我に返った士官が声を上げる。しかし彼らの運命も司令と似たようなものだった。


「貴方達も本日付けで更迭されました。代替要員は本日中に到着予定です。ゴーレム車を用意してありますので、御一緒ください。引き継ぎなどは結構です」 


「そんな馬鹿な!」


「横暴も過ぎるぞ!」怒った士官の一人がルイポルートに殴りかかる。杖を使わないだけの理性は残っていたのかもしれない。ルイポルートは難なくそれを躱すと、士官の鳩尾に拳をめり込ませる。士官は操り人形の糸が切れたように倒れると、ゴポッ、ゴポッと出が悪い井戸のような音とともに酸っぱい匂いを漂わせた液体を吐き出す。


「次の奴からは抗命もつける」静かになった部屋には、士官の苦しそうな呻き声だけが響いていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ゴーレムを使っても、散らばったスライムの欠片は一向に無くなる気配がないのだ。俺たちがいくら素手やスコップでそれを拾い上げても、それは無意味というものだろう。ぼんやりとそんなことを考えて、現実逃避をしていると「集合!」と眠気を覚ますような声が響く。


「どうしたんですか?」もうすぐ冬だというのに服は汗でベタベタで気持ち悪い。今日の掃除は終了だといいなと淡い期待を抱きつつ、そんなわけないかとすぐに諦める。


「上層部から通達があった。ワクチンの摂取を受けなければならないらしい。それも今すぐに」仕事がサボれることの喜びがなかったとは言えないが、それでも疑問の方が勝った。


「もしかして、デザイルに居座っている野蛮人が持ち込んだんですか?敵が病原菌を持っているなら、帝国が各地で負けるのも頷けますね」同僚が訳知り顔で言うが、どうやら違うらしい。恥ずかしいことだ。


「いや、受けるのはうちの地区の兵士だけのようだ」


 それを聞いたとき、ピンと来るものがあった。いや、逆にそれ以外理由はないだろう。


「ならやっぱり、これですか?」俺は散らばったゴーレムの破片を蹴る。プルンとスライムが震える。


「タイミング的に見て、感染源はこれで間違いないだろう」


「本当、なんなんでしょうかね、これ」まだプルプル震えているスライムが、脈打つ内臓のように見えて気味が悪かった。

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