大攻勢4

「グゥルルルルルル」普通科部隊、要はただの歩兵である黒川は犬を威嚇していた。紫色をした三つ目の愛くるしい犬である。黒川に睨まれると犬は「キャン!」と可愛らしい声を上げて逃げていく。それは脱兎すら遠く及ばない素晴らしい逃げっぷりだった。


「なんだか、可哀想になってきたな」呆れた顔を浮かべるのは分隊長だ。


「そうでしょう。私だってこんな表情したくないのに」


「犬がな」


「なんでですか!」黒川の野生児というあだ名は、いつしか野獣に変わっていたが、それは本人の耳に入れてはいけない事実である。


 犬が群がっていたのは、黄色く変色し始めた肉片。アンゴラス帝国兵だったものだ。黒川はそれをトングで拾い上げると、ビニール袋の中に入れる。


「もうそろそろ、一杯ですね


「こっちもだ。そろそろ捨てるか」いま、普通科が駆り出されているのは、死体拾いだ。粗方あらかた、ブルドーザーやショベルカーが片付けてくれてはいたが、それでも細かいパーツとなると取りこぼしが出てくる。日本に襲来した帝国人を調査した結果、この世界の細菌も抗生物質でなんとかなることが判明したが、汚染源を放置しておく理由はない。


「しかし本当に凄いよな、お前は」


「何がですか?」黒川は不思議そうにキョトンとする。


 分隊は八名。そのうち四名が体調不良で休養中だ。原因は今やっている作業に他ならない。黒い袋を両手に抱えた四人は、大きな穴に辿り着く。ショベルカーが遺体を埋めるために掘った穴だ。その横には赤いブヨブヨした塊が鎮座している。いくら重機とはいえ、これだけ巨大な物を埋める穴を掘るのは容易ではないのだろう。


「そういや、スライム。一体、足らなかったらしいぞ」


「悪いスライムじゃなかったんじゃないですか?森の中でひっそり暮らしているのかも」


「それは、ない気がするな」分隊長はスライムの雄叫びを思い出す。あれが人畜無害な存在であるとはどうしても思えない。


「スライムの量、減ってないか?」赤いスライムの清掃は、まだ始まっていないはずだった。しかしスライムは、当初の3分の2くらいになっている気がした。


「水っぽそうですし、蒸発したんじゃないですか?掃除の手間が省けますね」


 そこで分隊長は思い出す。スライムは、合体してキングスライムになることに。


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アンゴラス帝国 中央防衛戦 第5区域


「総員、戦闘配置!総員、戦闘配置!これは訓練ではない、繰り返す!総員…」耳が痛くなるほどの暴力的なサイレンに、区域司令は眠たい目を擦りながらベッドから体を起こす。司令室に着く頃には眠気はすっかり覚め、プロの軍人の顔になっていた。その間、起きてから1分のことである。


「何事だ、ニホンの攻撃か!」司令は一番ありそうな、むしろそれしか無さそうな可能性を口にする。しかし司令部付きの士官の口から出るのは曖昧な答えだ。


「どういうことだ!君も軍人なら、少しは正確な報告をしたまえ!」士官は縮こまったが、人差し指をピンッと立てるとそれを窓の方に向けた。


「あれです」窓の外を見た士官は一瞬硬直してしまう。そこには、なんともおぞましい、生理的嫌悪感を刺激するような気味の悪い物体があった。しかも物凄いスピードでこちらに向かってくる。


「あれが味方のわけないだろ。攻撃を全部隊に伝達しろ!」


「了解!」


ーーーーーーーーーーーー


 帝国の防衛線は二重構造になっている。一重目は防壁ゴーレムや塹壕そして少数の魔導砲が配備された防衛重視の陣地。二重目は魔導砲、対空魔道砲などが配備された砲兵陣地だ。


 この区域だけでも8000門の魔導砲が配備されているが、射程距離や射角の問題で異形に射撃が行えるのは200門程度に過ぎない。その貧乏くじを引気当てた彼等は、意味の分からない現実に戸惑いながらもなんとか戦いの準備を行っていた。


「魔導砲、充填100%。いつでも発射できます。」


「よし、命令あるまで待機だ」


「ところで先輩、何なんでしょうか、あれ」


「俺が知るかよ」


「アァァァーーーーーーーッッ」と咆哮を上げて、こっちに向かってくるのは真っ赤なブヨブヨとした物体だ。背丈はゴーレムの3倍はあるだろう。一応二足歩行をしているが、何故か体の至るところから手や足が何本も不規則に飛び出している。まるで地獄に招いているように、気味の悪い揺れ方をしている。二人がそのおぞましさに辟易としていると、近距離用の小さな魔信が吠えた。


「砲撃、開始!」


 その声とともに一斉に光の筋が放たれる。数発は命中し、腕の何本かを切り落としたが、殆どは空を切った。もしくは森を燃やすだけに留まった。なぜなら、敵はその巨体に見合わぬ体躯で大跳躍を見せたのだから。


「うわ、まじかよ!」


「装填、急げ!」


「対空砲だ、対空魔導砲を使うんだ!」遅ればせながら、ガトリング砲のようなものから細い線が放たれる。正に雨の如く降り注ぐそれは、確実に表面の肉を溶かしているようだが、相手の巨大さもあり、あまり効果がないように見えた。なにせ敵は変わらぬ速度でこちらに走ってくるのだから。


「うわっ、こっちに来る!」


「くそ、間に合わん!」


「逃げろ!」怖気づいた兵士たちは口々に叫び始め、勝手に撤退を始めてしまう。


「おい、待たんか!敵前逃亡は死罪だ…ヒェェッ」それを止めようとした隊長に影が差す。上に光を遮るようなナニカが現れたのだ。上から触手のような腕が降りてくる。そしてそれにゼリーに爪楊枝が入っていくかのように、すっぽりと隊長は中に入ってしまう。スライムが透明だからよく分かるが、最初に服が、次に肉が溶け、その次に骨だけとなり、最終的に彼の痕跡を示す物は無くなった。


「あっ、隊長が!」


「やった、これで死罪にならなくて済む!」


 距離が近くなったということもあり、魔導砲が命中しだす。何本も生えている足ではあるが、足として機能しているのは二本しかないのだ。そこを狙われたスライムは自重を支えることができなくなり、地響きとともに倒れる。その後も射撃は兵士の魔力が尽きるまで続き、その頃にはスライムは最早、原型を留めていなかった。    


ーーーーーーーーーーーーーー


 皇帝親衛部隊とその隊長、ルイポルートは第5区域に赴いていた。直線距離にして80kmは離れているが、ユニコーンなら一時間と掛からない。


「ふざけるな、あいつのせいで部下も死んでいるのだぞ!」広いとは言えない執務室に司令の怒号が響く。司令は皺だらけの手を、震えながら握りしめる。


「俺も部下を亡くしたことがあるから、その気持ちは分かります。ですが、これは皇帝陛下の御意思なのです。私達には将官の捕縛権限まで与えられている。堪えてください」ルイポルートは申し訳なさそうに言う。ただの伝言役に文句を言っても仕方がないと思ったのか、司令は諦めたように深くため息を吐く。


「分かった、箝口令は出す。だが今更間に合わん。何人もの兵士がアレを目撃している。そんなことをしても、人の口に戸は立てられんぞ」


「ありがとうございます」ルイポルートは深々と頭を下げる。


「しかしあれは何なのだ!大陸の有害魔導生物は駆逐済みのはずだ。新種だとして、あれ程の大きさの物が今まで発見されていないのはおかしい」司令は巨大な赤い物体を思い出す。いや、あれが与えたインパクトは思い出す時間すら省略させてくれる。子供の見た悪夢を具現化したような、不気味の塊。あんなもの、見たどころか聞いたことすらない。


「実を言えば、俺達にも分からないのです」それが正直な答えだ。だが、司令は疑り深かった。


「嘘じゃないだろうな?」


「皇帝陛下が我々にナニカ、を話すことにメリットがあるとでも?」司令は3秒程、顎に手を当てると、再び話し始める。


「それもそうだな。魔信を使わず、お前たちを直接寄こすくらいだ。よっぽど知られたくないナニカ、があるのだろう」


「最近、帝城の外で任務を行うようになって、自分達がどれほど捻れた閉鎖空間にいたか分かりました。俺達のやってることは、本当に正しいのか自分でも分かりません。それでも、我々は皇帝陛下の親衛隊です」


「そうか」


「そうです」


 司令は話を切り上げようとするが、思い出したかのように一つ、小さな議題をくっつける。


「アレの死骸はどうする?」


「貴方のゴーレム部隊を頼ってよろしいでしょうか」


「箝口令を敷かせたくせにか?」


「申し訳ない」


「構わん。我々が保有するゴーレムのうち、2割は片付けに従事させよう。あんな気持ち悪いもの、いつまでも放置しておくわけにもいかんからな」


「ありがとうございます」


「別に、君達のためにやるのではない。用が済んだのなら退出したまえ」 


「失礼します」


 司令部を後にしたルイポルートは、外で待っていた部下とともにユニコーンに乗り込む。好奇の目でルイポルート達を見てくる兵士達を背に、第一区域に戻るべく、手綱を引く。


「せっかく、他の部隊とも仲良くなってきたというのに」


「どうしました?」


「いや、なんでもない」もし、このような仕事が増えるなら他の部隊との関係は著しく悪化するだろう。皇帝の直属である我々には馴れ合いなど必要ないと思っていた時期もあったが、いまさら元の状態に戻ることなどできない。ルイポルートは『親衛隊たるもの機械であれ、人形であれ、情は人を弱くする』とことある毎に言っていた先任を思い出した。


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