偵察 中

アンゴラス帝国 とある森林


木々から伸びる白い骨のような枝は、明らかにフィボナッチ数列に基づかないことが分かるほどいびつな構造をとっている。その枝がフサフサと赤い葉を携えていることも合わさると、正に生物学者にとってこの場所は宝箱も同然だろう。しかし軍人ばかりのこの土地に、そんなことを考える者は一人もいない。


パカッ、パカッ、パカッっと規則正しい音が聞こえる。その音が大きくなるにつれて、心臓の鼓動が早まることが自分でも分かる。競馬場に足しげく通っているから分かるが、馬というのはサラブレッドであったとしてもせいぜい時速70kmが限度。だが、敵は時速130km出るバイクに食らいついてくるどころか、距離を詰めてきている。もし、こんな馬がレースに出たなら競馬というビジネスが崩壊するだろう。


後ろから物が燃えるような音が聞こえ、姉川はハンドルを左に切る。その直後、頬に激痛が走る。バイクのすぐ脇を通り抜けていった炎は、白い木を炭化させ灰へと変えた。ハンドルを切るのがもう少し遅ければ、そうなったのは自分かもしれない。


敵との携帯武器の射程距離は150m程度と聞いていた。しかし敵はその倍近い距離から、余波だけで体が熱くなるような炎の渦を放ち続けている。しかも敵は安定性の悪い騎馬に乗っているにも関わらず正確に此方を狙ってくる。そんな敵は、今まで報告されていない。


「くっ、どうすれば…」相手は20人ほど。まともに戦って勝てるわけがない。ただ、このまま犬死にするのもごめんだ。いっそのこと…と思いかけるが、敵は決断する暇を与えてくれない。次の炎は前方の巨大なキノコに当たりそれを炭へと変える。香ばしい匂いが広がる。姉川は一心不乱にハンドルを握り続ける他なかった。


シルクのような白い鬣鬣たてがみ、そして蒼く輝く魔力を纏った角。それだけであれば、どれだけ幻想的であっただろう。しかし今回はその上にむさ苦しいおじさんが騎乗している。


「おのれ!ちょこまかと逃げよって!」そして、その男たちの中でも一際むさ苦しいのが親衛隊長ルイポルートであった。杖から放たれる魔法はがたいの良さや筋肉量と比例しないはずなのに、まるでそうであると錯覚させるほどだ。


「敵は非魔導民族にしては優秀だと聞いていましたが、一人相手にここまで手間取るとは」帝国の移動手段は基本的にのろのろ歩くゴーレムだ。こんなに速く移動する相手に追撃戦を行うことなど想定されていない。なかなか命中しないことに苛立ちを覚えながらも、騎兵は炎の渦を放ち続ける。


魔力はユニコーンから魔導具を通して提供されており、高位魔法をいくら放とうと尽きることがない。魔力が強い分、制御が難しく疲弊しないわけではないが、この訓練を重ねた精鋭部隊なら数十発程度であれば問題なくこなせる。


敵との距離が少しずつ縮まるにつれて、射撃の精度が上がり、敵の回避パターンも読めるようになってきた。とうとう一発の炎の渦が、敵の奇怪な騎馬に命中する。騎馬はなぜだか知らないが爆発し、騎兵は馬から転がり落ちる。


「貴重な情報源だ。敵は生け捕りにする!」敵は気を失っているのか、近づいても動く気配ははい。


「しかし見れば見るほど奇妙な装備だな」敵はまともな鎧を着ていないが、その服は背景に溶け込むようにデザインされている。騎馬も無機質で、生物というよりゴーレムに近いのかもしれない。しかし野蛮人がこのような複雑な物を作れるのだろうか?


部下が敵兵を縛り上げたのを見届け、撤収しようとするとバタンと、何かが倒れる音がする。訓練中によく耳にする音だ。


「戦闘中に落馬とは気が緩んでいるぞ!」いくら精鋭部隊とはいえ、初の実戦。敵を片付けて、疲労が一気に押し寄せたのかもしれない。


そう思って振り向くと、地面に血溜まりができていた。森に蔓延る赤い苔など及ばない深い紅。その中央には、色が変わった白い制服を纏った部下が蹲っていた。


「おい、どうした!」部下の一人が馬を降り彼に駆け寄る。しかし一瞬、動きが止まったかと思うと、糸が切れたかのように地面に倒れ、二度と動かなくなった。


数秒の間、静けさがこの場を支配したが、ルイポルートの判断は早かった。


「敵の攻撃だ、止まるな、駆けろ!」彼が命令を叫ぶと、よく訓練された部隊はすかさず動き始める。


ユニコーンは5秒と経たず、最高速度に到達する。風は冷たいが、不思議と体は熱い。何かが頭のすぐ側を通過したことが分かった。それが、敵の遠距離攻撃だということも。


「散会しろ、敵を探せ!敵は森と同化する服を着ている、見落とすな!」


少しずつ友軍が減っていく。まるでカモム(帝国に群生する鳥で美味しくも不味くもない)撃ちのように。だが敵がいくら気配を消そうと、その存在を消せる訳ではない。それに加え自分に近づいてくる相手から倒そうとするのは、人間(野蛮人も人間であるとすれば)の性なのだろう。そのおかげで敵の場所が割れるのにそう時間は掛からなかった。


「マコニスピンクタケの裏です、三人います!」


「供給路切替、防壁展開。第一班全員突撃!」部隊は既に散会し、ルイポルートの元に残っているのは彼自信を含めても5騎。射程距離外から連続攻撃を行う敵には、少々心許ないと思うかもしれない。しかしルイポルートらはそうではなかった。


ユニコーンの角から青白い光が放たれ、円錐形の膜を作る。膜に浮かぶ幾何学的な模様は、失われた古代文明の文字らしい。彼にその意味は分からなかったが、それを気にしたことはない。


敵に向かって光を纏ったユニコーンは疾走する。空気抵抗が少なくなったせいか、速度はいつもより速い。敵の攻撃は断続的に放たれるが、膜と干渉を起こし、火花を散らして弾かれる。


敵との距離が1/3程度になったかと思ったそのとき、敵の攻撃音が激しくなる。三連続で聞こえていた破裂音が、うなり声を上げるかのように連続するようになった。音と火花から、激しい敵の攻撃が膜に叩きけられていることが分かる。なるほど、道理で味方が敗北を重ねるわけだ。


「間もなくこちらの射程距離に入る!怯むな、進め!」だが、そんな攻撃を受けても膜は青く輝いたまま、敵の攻撃を阻んでいる。傷一つ負うことなく、ユニコーンは敵との距離を詰めていく。


「撃て!」号令と共に発射されるのは炎の渦。しかし火竜を連想させるるほどの先程の攻撃とは大きく見劣りする。 ユニコーンから吸い上げた魔力の殆どを防御に使っているため、攻撃力も射程距離も大きく落ちているのだ。それは敵が隠れているキノコに当たると、その柄を抉り、黒く焦がす。それに慌てたのか、敵は騎馬に乗ってその場を離れようとする。


「敵は撤退を始めるようですね」


「捕われた仲間を置いて帰るか。腰抜けめ」ルイポルートは携えた大きい髭を揺らして嘲笑する。もしも彼等が魔法を使える民族であったとしても彼は敵を軽蔑しただろう。


「追撃しますか?」


「深追いはするな。それより、捕虜を持って帰る方が先決だ。全班に撤退命令を出せ」


「了解」部下の一人は小型の魔信を取り出す。握ると、彼が口を開く前に聞こえてきたのは断末魔だ。


「ガガッ…こちら第四班…、敵の新手がア…アァァァー!」


「何事だ!」


「分かりません、通信途絶!」


「救援に向かうぞ!」ルイポルートは脊髄反射のように、悩む間もなくユニコーンを森のさらに奥へと向けるのだった。



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