空の支配者

帝都 キャルツ 闘技場


コロッセオを一回り大きくし、黒色に塗り替えたような国立闘技場は観衆で満員だった。ニホンとの戦争の戦意向上のため入場料はいつもの半額に設定され、試合の回数も倍に増やされている。観衆の目線は剣を持った20人のみずぼらしい男女と檻に入れられた単眼の巨人、ギガンテスに注がれている。


「はぁーー、お父さんも来れればよかったのになぁーー。」内務相リジーの娘、アリシアがため息を吐く。


「お嬢様、ご主人様はこの国の大臣です。お忙しいことも…」


「分かってるわよ、うるさいなぁ。」アリシアは頬を膨らます。


「せっかくの可愛らしいお顔が台無しですよ。」家令のエイブラハムは頬を押さえて空気を出させる。


「レディーのほっぺにに気安く触らないでよね。」


「レディーは頬を膨らませたりなんてしませんよ。さて、もうすぐ時間ですね。余所見していると始まってしまいますよ。」アリシアはまた膨れるのだった。


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帝国の植民地で一番人口の多い地域、インリドンは比較的他の植民地より食料事情が良い。奴隷を差し出すことで、農産物の徴発が免除されているからだ。そうやって連れてこられた奴隷の大半は肉体労働に宛がわれるが運の悪い者は闘技場に連れてこられる。これがローマのコロッセオであれば、剣闘士は貴重な財産として大事にされる。しかし、不運なことにここは魔法絶対主義のアンゴラス帝国。剣闘士は魔導文明の優越性を再確認するための道具でしかない。剣闘士は出来るだけ無様に、情けなく散ることだけが求められる。なので剣の重みにすら馴れないまま試合に駆り出される者がほとんどであり、リッツもその一人だ。


5メートルはあろうかと思える巨大なそれは、口から涎を滴しながらこちらへ唸っている。


「勝てるわけがない。」リッツは一人呟く。一緒に戦うこととなった他の剣闘士も絶望的な表情を浮かべている。



「レディーースアーーンドゥ ジェントゥルメーーン(巻き舌)、長らくお待たせいたしました。それでは本日のメイン戦、ギガンテスのキャサリンちゃんの登場です!」歓声が響き、ゆっくりと巨大な檻の扉が開け放たれる。


「数々の野蛮人を屠ってきたキャサリンちゃん、本日はどのような戦いを見せてくれるのでしょうか?」


「ドスン!」


「ヒッ!」キャサリンが一歩踏み出す度に、地響きが会場を駆け巡る。


ゆっくりと、だが確実に歩を詰める、地面にへたり込んでいる少年の前まで辿り着く。そして、棍棒を振りかぶって…。


観客席からひび割れるような歓声が響く。帝国人はまるで自分が神であるかのように、人の死に往く様を見ている。俺達、植民地人の生殺与奪を握っている点と、不思議な力が使えるというという点においてのみは、神みたいな物かもしれない。疫病神に違いないが。


ぎこちなく剣を構えて戦おうとする者がいた。


必死で逃げ回る者もいた。


泣いて許しを乞う者もいた。


だがもういない。いつしか、会場に生きている人間は俺一人になっていた。泣いたり、喚いたりしなかった分影が薄かったことが幸いしたのかもしれない。だが、順番は等しく巡ってくる。


抵抗すればするだけ、喚けば喚くだけ奴等を喜ばせることとなる。だったら抵抗しないで死んでやろうと仰向けに寝て空を仰ぐ。だがその時、違和感に気付く。あれは、何だ?


爆音のサイレンが鳴り響く。植民地から連れてこられた俺には分からないが、帝国人にはサイレンの意味が分かるらしい。我先に逃げようと出口に殺到する。そこに先程まで見せたいた自信と傲慢さは影も形もない。巨人までもが情けない声で鳴いている。


彼らは神でない。


我々と同様に怯えもするし、死にもする。ならば…


リッツは震える剣を巨人に向ける。巨人は空の物体に咆哮を上げるのに夢中で気付かない。そして、その剣を巨人の膀胱に突き刺した。


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「ふっっっざけんじゃないわよ!」アリシアは小さい顔をクチャクチャにしながら地団駄を踏む。通行人が苦笑を浮かべながら彼女の脇を通りすぎていく。


「お嬢様、レディーは大声で叫びませんよ。」エイブラハムが嗜めるが、効果はないようだ。


「うるさい!卑怯にも程があるでしょ、あの野蛮人が!帰ったら、奴隷に八つ当たりしてやるんだから!」アリシアは期待どおりの光景が見られなかったことに憤る。


「まぁ、警報が大したことなかったことをまずは喜びましょうよ。」敵機が上空に出現したことで帝都は蜂の巣をつつくような大騒ぎとなったが、竜騎士隊が飛び立つと直ぐに逃げ去ったことにより、エイブラハムと同様に帝都の市民の反応は楽観的なものであった。


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帝都の大通りの一角にある酒場は今日盛況だ。なぜか、人気がある北の植民地で生産される酒が品薄になったが、それでもいつもと変わらず人で溢れている。そんな酒場の壁にはメニューに並んで新聞が張り出されており、文字が読める者はそれに群がっている。




帝国新聞 火の月 15日 号外


大空の支配者ー我らが帝都竜騎士隊、野蛮人を制す


先日、卑しくも帝都の攻撃を試みたニホンの竜騎士隊は帝都防衛隊と交戦し無様にも敗走した。現段階でも帝国の優位は揺るぎないものだが、軍は現在配備されている竜の発展型も取得することを表明しており、帝国の制空権はさらに強固な物になるだろう。尚、今回の帝国竜騎士隊の戦死者は0であった。帝国軍では、志願兵を募集しており…


「さっすが、竜騎士隊だぜ。高給取りなだけある。」顔を赤くした男が酒を煽りながら言う。


「税金泥棒とかなんとか言ってたくせに、調子が良すぎるだろ。だが、彼らがいるかぎり帝都も安泰だな。」二人の酔っぱらいぎ笑い合う、しかし背後からの声に水を差される。


「お前達馬鹿か?」振り返るとそこには高そうな服を着て、高そうな酒の入ったグラスを持っている、いけ好かない男がいた。


「はぁ?誰が馬鹿だって?」


「お前達だよ。何度も言わせるな。こっちが攻め行ったはずなのに、帝都に敵が来ている時点で負けてるってことだろう?少しくらい自分の足りない頭で考えたらどうだね?」男は眼鏡を直しながら言う。


一瞬、酒場から音が消える。


「何だと!」


「ふざけんな!」


「この、敗北主義者が!」男はたちまち囲まれる。


「待ちたまえよ君達、こうやって論理的に反論しないで、暴力に訴えるということは、私の考えが正しいと…」


「やっちまえ!」酔っぱらいが男の顔を殴る。眼鏡がのレンズがくだけ散り、男は倒れ込む。


「ヒィーーーー!私の、美しい顔が…ゴハッ!」倒れた男に、蹴りが入れられる。それも彼を取り囲んでいる者達全員からだ。


「間違っても魔法は使うなよ。店で死人が出たとあっちゃいい迷惑だ。」マスターが声を掛けるが暴力が止む気配がない。


「くそっ、これでも食らえ!」倒れていた男がポケットから何かを取り出し、自分を取り囲む男達に投げつける。


「いてっ!何しやがる!」酔っぱらいは怒りで男を再び蹴るが、酒場は再び静まりかえっていた。


「これ…100000バール金貨だ!」


「すげぇ、初めて見た。」


「これは俺のもんだぞ。俺に投げられたんだから。」


「先に拾った者勝ちだ。残念だったな。」


「ふざけんな!」再び乱闘が始まる。今度は酔っぱらい同士のだ。


「あれっ、あいつは?」酔っぱらい達が、あの男がいなくなっていることに気付くのはしばらく先であった。

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