初夜

@rasutodannsu

第1話

 初夜


 若様は、美男で愛嬌があるので女たちに人気がある。             

毎年、バレンタインデーには、数えきれないくらいのチョコレートが届く。

それなのに若様は、「義理チョコなどいらぬ。返礼するのが面倒なだけだ」などとおっしゃる。

元服したばかりのわたくしは、最年少の家臣ではあるが、若様の身辺警護などを仰せつかっている、側近という身分である。

先日元服したのに、幼い頃から若様のお傍にいたため、いつまでたっても子ども扱いなのが悔しい。

義理チョコではお気に召さないのなら、『本命』とはどういうものかをお見せするしかない。


 バレンタインデーの日。

わたくしは、体の隅々まで洗い清め、仕上げに、甘い香りがする薬草の汁を全身に塗りつけた。

この日のために用意した茶色の衣服を身に付け、召使を呼んだ。

「わたしを銀紙で包み、箱に入れて、赤いリボンをかけておくれ」


 そして、お城にいる若様に届けてもらったのだ。


 大きな箱に入ったわたくしは、無事、若様のお部屋に到着した。

若様は、お人払いをなさってから、リボンを解き、箱のふたを開け、「甘い香りだ」などと言いながら、わたくしの全身を覆っている銀紙を少しずつ剥いでゆかれた。


 わたくしの心の臓は胸から飛び出しそうに暴れている。心の臓ばかりではなく、別のところも爆発寸前だった。

 

 ところが、若様はクスクス笑いながら、わたくしの顔をくるんでいる銀紙を剥し終えると、「こらっ! いつまで狸寝入りしておるのだ」と、わたくしの鼻の頭をぺろりとお舐めになった。


 なんてことだ!


 この屈辱!


 わたくしは、箱から飛び出し、背中に銀紙を張り付けたまま、茶色の衣装をなびかせ、家に駆け戻った。


 

 自室にこもり、新しい下帯に換え、白装束に着替えた。

三方の上に短刀を載せ……切腹の前には辞世の句を詠まねばならぬと短冊を探していたら、襖が開いて母が飛び込んで来た。

母は、「なりませぬ」と、バカ力で抱きついてくる。

「お放し下さい。武士は、恥を漱がねばねばなりません」

「どうしてもというのなら、この母を刺してから」

「いえ、母上は末永くお達者で」


 二人でもつれていると、祖母が大きな盆を捧げ持って入ってきた。

「お早いお戻りですね。今日も、お勤めご苦労でした」

大皿に、団子とおはぎが山盛りになっている。

「夕餉には、しばし間があるゆえ、これで小腹を満たして、ゆるりと昼寝でも」

 

 わたくしは、団子とおはぎを全部腹におさめ、ふとんにもぐりこんで泣いた。


 朝が来れば、嫌でも登城しなければならない。

年上の側近たちに挨拶し、末席に控えていると、若様がお出ましになった。

なぜか上機嫌である。

もともと美男なので、まさに、輝くばかりの男振りだ。

「一同、大儀である」


 くっそー!

 

 うつむいていると、頬がムズムズした。

 上目づかいに若様をうかがうと、笑いを噛み殺したような顔でわたくしを見ておられる。

 

 もう、お勤めなど放り出して、炭焼きになりたい。

山奥にこもって、ひとり静かに暮らすのだ。

 

 しかし、母の泣き顔が脳裏に浮かび、くちびるを噛みしめるしかない。

針の筵とはこのことだ。


 

 こうなってみると、唯一の楽しみは、囲碁をすることだった。

今までのように、子どもっぽく、若様のおひざ元に寄って、盤面を眺めているわけにもいかない。

よし、かくなる上は、若様に勝ってみせよう。

先輩の側近たちに相手をお願いして、対戦に励んだ。

家に帰ってからも、祖父に相手をしてもらった。

 

 我が家は代々、城代家老の家柄である。

年少者のわたくしが側近にとりたてられているのは、親の七光りだと陰口をたたく者もいる。

そのため、祖父は、わたくしに、学問や武芸、礼儀作法などを厳しく仕込んだ。

祖父は、囲碁も強い。

わたくしが興味を示したとたんに、鬼のようになって、夜遅くまで指南するようになった。

「若殿のご機嫌をとる必要はない。あのお方は、優男に見えるが、意外に芯がお強く賢い。遠慮せず、若殿を負かしてみろ。口では揶揄されるであろうが、内心、おまえを見直してくださるはずだ。将来の藩政を担うおまえたちは、どのようなときでも、真っ直ぐにお仕えせねばならぬ」

「はい。肝に銘じます」


 しかし、若様は、城内で5本の指に入る腕前である。

おいそれとは勝てない。

「わたしを負かそうなどと思うな。百年早いぞ」と、お見通しである。


 毎日、 悔しい、悔しいで、2月も終わった。

 

 3月の初め、若様からお声がかかった。

「明日は、桃の節句だが、おまえは佐々木の家にいくのであろう?」

「いえ、もう子どもではございませんので、おなごの節句には参りません」

「ふふ……わたしは行く。ひな祭りは宵から始まるのであろう。明日は出仕せずともよい。夕刻、佐々木の家で待て」

「……」

「主命である」

「はっ!」


 佐々木の家とは、母の実家で、後継ぎの伯父には、三人の子どもがいる。

二十歳を過ぎた兄弟の下に、わたくしより三つ年上の従姉がいた。

わたくしはひとりっ子なので、従兄弟たちを兄上、従姉を姉上と呼び、行事や祭りなどがあるたびに、遊びに行っていた。


 3月3日、夕方、馬で行こうと思っていたら、佐々木の家紋が入った籠が迎えに来た。

乗り込んで、揺られていると、山のほうに向かっているようだ。

籠をかついでいる者に声をかけた。

「道が違うようだが」

前を支えている者の声がした。

「今宵は、なにか趣向がございますようで、お屋敷ではなく、湯治場の方にお連れするようにと」

「湯治場?」

「はい、さようでございます」


 伯母の具合でも悪いのだろうか?


 やがて、山深い、見知らぬ場所につき、籠から降ろされた。

「それでは、わたくし供は、これにて」と、使用人たちは空になった籠をかつぎ、夕闇が迫る坂道を下っていった。


 目の前には、庵のような簡素な家がぽつんと建っている。

入り口の前で、「姉上さま」と声をかけ、板戸を開けた。

家の中は薄暗く、桃の花の香りがする。

たたきで、もう一度、「姉上さま」と声をかけ、草履を脱いで上がった。


 すぐそばの部屋から、薄明かりが漏れている。

襖が半分ほど開いていて、部屋の中には立派なひな壇がしつらえてあるのが見えた。

ひなたちが勢ぞろいして、下の段には甘酒や五色の菱餅も飾ってある。

大きな花瓶に桃の花や菜の花がたくさん挿してあり、ぼんぼりの薄桃色の灯を受けて、華やかに咲き誇っていた。


 ひな壇の前に、座布団が敷いてあり、その上に座っている美しい打掛姿の女性の背が見える。

何度も声をおかけしたのに、姉上はなぜお応えにならないのだろう。

お体の具合でも悪いのだろうか?


 幼い頃に戻ったような懐かしさがこみあげ、背後から忍び寄り、両手で目隠しをした。


 「無礼者!」


 「……わ、わ、わか……」


 わたくしは、腰を抜かしていた。

 

 振り返った美女は、打掛をはらりと肩から滑らせ、妖しく笑いかけてきた。

「待たせたな。チョコレートの返礼を受け取るがよい」

            

 ついに、若様との初めての夜を迎えた。

夜具の中に誘い込まれ、「心得はあるのか」と、問われた。

「いえ……初めてでございますが、絵草紙など、少々」

「ぐふっ」

若様は笑いすぎて、涙目に。

「座学は役に立たん。わたしが、イロハから指南せねば」

額から頬にかけて、そろりと、唇でなぞられた。

「あ」

「ふ、ふ、初物は体に良い」

耳朶を甘く噛まれた。

「いっ」

腰から背筋に添って、熱いものが駆け上がっていく。


 いつの間にか、帯が解かれていた。

耳元で、若様の笑みを含んだ優しい声がする。

「そのように恥ずかしがると、よけいにそそられる」

そう言われても、身の置きどころがない。

お胸にすがるしかなかった。

「わたしは、おまえの母御ではないぞ。もう……どうしてくれよう」

うつ伏せにされ、うなじを舌で攻められた。

「ぐっ」

枕をかかえて耐える。

首から、背骨をひとつひとつ押すように、背筋を執拗になでられる。

たまらず、からだをねじって反転しようとするのだが、押さえ込まれたまま動けない。

臀部を両手でつかまれ、撫でさすられ、双丘の間を指でつつかれた。

「やっ!」


 恥ずかしながら、前のモノが暴発。

大量に漏らしてしまう。

大笑いされる若様。

「修業が足りぬ」


 お床の中では、笑いをとってはお終いである。

「小休止だ」

若様は、口移しで水を飲ませてくださった。

「まだ、乳臭いぞ、口元が」


 寝物語というものも、初めて体験した。

「よいか、これは、二人だけの秘密である」

「はい」

「おまえは、城代家老という重臣の家に生まれた。将来、わたしの代になれば、おまえは城代、家臣の中の筆頭である。何事か起きた時には、わたしの代わりに決断しなければならぬ」

「はい」

「父上は名君と言われているが、私は凡庸である。頼りにされても困るからな。わかったか」

「は?」

「将来の藩政は、すべておまえたちの力量にかかっているということだ」

「若様は、芯はお強く、賢いお方だと」

「買い被りである。風評にすぎん」

「ええっ!」

「なにもかも、おまえたちで考えろ」

「あの……そう致しますと」

「おお、名案があるのなら喜んで聞くぞ」

「えー、井上さまが、常日頃おっしゃるのには、隣国との絆を深めねばならぬと」

「良き心がけである」

「戦になったとき、援軍は近ければ近いほど助かると申されまして」

「具体案を述べよ」

「誠に恐れ多きことながら……これは、佐藤さまのお考えなのですが……若様は、お美しく、愛嬌もおありゆえ、どのようなおなごでも」

「黙れ、黙れっ! 隣国の、あのお転婆をわたしに押し付けようと……お前たちは女衒の集まりかっ!」

「姫さまは、良きお方だと存じ上げます」

「なぜ知っておるのだ」

「先日、山の方まで遠乗りに出かけました」

「おまえたちは、父上からたいそうな録をもらっている身でありながら天気が良ければ遠乗り、雨の日は囲碁」

「いえ、その時は、わたくし独りで参ったのでございます。たまたま、お姫さまがおいでになり、罠でとらえたウサギを二羽もくださいました」

「子どもをたぶらかすとは。卑怯なやりくちだ」

「そうではございません。姫さまは山深くまでお入りになって、道に迷われ、そこは我が領内だったのでございます」

「ウサギをやるから見逃せと」

「はい。それから、わたくしの馬も誉めてくださいました」

「おまえの元服祝いに、父上が下賜された馬のことか」

「はい。目が澄んでいて凛々しく、名馬に違いないと」

「あの姫は、野山を跳ね回っているだけかと思っていたが、馬の目利きもできるのか」

「お姿も良く、お顔も可愛らしゅうございます」

若様は、わたくしの腰のあたりをまさぐる手を止めて、遠くを見るようなまなざしに。


 やがて、若さまは、ふたたび、わたくしの腰から下のほうに手を這わせながら、「おお! 今、天から啓示が……実に名案」と言われた。

「あ、んっ」

「形だけ、あのお転婆を娶ることにしよう。姫の面倒はおまえがみるのだ」

「いっ……やっ。わたくしは、若さまひとすじ」

「こいつ、甘いことを……その口」

ねっとりと口がふさがれた。

舌が差し込まれ、口の中を這いまわる。


 「ここが急所であろう?」

脇腹をぺろりと舐められた。

「わっ」

身もだえすると、さらに、胸の飾りを舌で攻められる。

たまりかねて、こちらも、若さまの股間を探る。

「いっ……手をゆるめろ、つぶれたらどうする」

「ぐふっ」

蔵の中で読んだ、妖しい絵草紙のひとコマが、脳裏に浮かんだ。


 「む、むっ……もぐりこんで、何をしておる」


 口の中に、若さまの精が放たれ、あふれでた。

 

 「こいつ、よくも」と、若さまも反撃に。


  しばらくもつれた後、ふたたび小休止。

ようやく、若さまの手が止まった。

見上げると、若さまは真顔でおっしゃった。

「姫が嫁いできても、わたしは病弱だといって難を逃れるゆえ心配するな」

「どこか、お加減でも?」

「碁で負けると胃がキリキリして寝つきも悪く、頭も痛くなる」

「……はい」

「姫は野遊びが好みらしい。毎日、外に誘いだすのだ。たしか、おまえより二つ年上のはず、姉上、姉上とご機嫌をとればよかろう。おまえは幼顔で、年上の者に取り入るのがうまい。お家のため、忠勤にはげむがよい。これは、主命である」

「姫さまは、まさに人馬一体、風のように駆け抜けてゆかれます。万一の場合、わたくし独りではお守りできかねますが」

「中村をつけよう。戦に出れば役に立つ強者、と噂が高い男だ」

「若様のご身辺の警護が手薄になります」

「佐々木の、兄の方を奥に入れればよい。大変な使い手だと聞いておる。どのように優れているのだ?」

「無駄な動きは一切なく、敵を引き付け、一撃必殺。稽古の時も、恐ろしくて、近寄る気もおきません」

若様の目が、妖しく光った。

「一撃必殺」

「……な」


 若様は、枕もとの小さな壺に手を伸ばされた。

蓋が開いたらしく、薬のようなにおいがした。

丁字油か?


 耳元で、あまく、ねっとりとした、若さまの声がする。

「怖がることはない。初めて見た時、よちよち歩きだったおまえは、わたしを見て、花が開くような笑顔をみせた」

「……」

「おまえを抱ける日がくるとは……待ち遠しかったぞ」

「……」

「愛しい」

ぬるぬるしたものが、後腔に差し込まれた。

「むっ」

「大丈夫だ。じっくりと、指でゆるめて」

「うっ」

背筋がぞくぞくする。

「ゆるりと参るゆえ」

「はっ、はっ……んー」


 やがて、指ではない、熱いものが差し込まれ、腰が砕けるのではないかと思えるような痛みがきた。

 「ひーっ!」

 薄れていく意識のなかで、『一撃必殺』という文字が浮かんだ。               完




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