cooperate for the shield
依頼編
枝依西区──柳田探偵事務所。
トンネル様の薄暗いコンクリートの階段ホールに、革靴のかかとがカコーンカコーンと反響し、やけに耳に障る。革靴の
そうして降りてきたのは、探偵事務所の
カコーン、が止む。階段は残り四段。大あくびから「あ?」のハテナへ口の開きが変化して、寄っていた眉が更に寄って。
「──あ」
柳田良二が向けたハテナが突き刺さった相手が、ぐるりと彼を見上ぐ。
その人物は、黒のニット帽を目深に被った男性。
顔には、透視度の低い黒のサングラスと、黒の不織布マスク。
黒のジャケットに黒のVネックTシャツ。
黒の厚手生地のサルエルパンツを黒のエンジニアブーツに入れ込んで、カジュアルなのやら作業着なのやら不明瞭な格好にまとめている。
隙間から覗く肌は、アジア諸国のそれよりも青白い。
そんな、明らかに悪目立ちしている男性は、壁に備え付けられた『柳田探偵事務所』の簡素な銀色ポストの口に、右手五指を突っ込んでいた。腰を曲げて前屈気味に、なんなら中身を覗いているかのような姿勢が、怪しさレベルをぐいぐいと上げる。
「……何やってんだテメー」
ボソリと柳田良二が低く問いかければ、黒サングラスの奥が明らかに「げ」という顔色に変わった。
身を
ぎょっとするも間に合わず、柳田良二は階段中段で右往左往。その間にガツと前腕を両方捕まれて、黒の不織布マスクの奥から「お願いだ!」の一言が浴びせられ。
「だっ! なん、何っ」
「本当にもう
「は、ハァ?」
ゆさゆさと揺すられて、柳田良二は渋面を作る。
「依頼の手紙、この一週間弱でどれだけ入れたと思う?! なぜ返事をしてくれないんだ柳田探偵っ」
「わっ、わーった、わーったっつの! だァら掴むのやめろ、マジでっ」
ブン、と振りほどいて、主に左腕をサスサスの柳田良二。黒にまみれた男性の小さな鞄からわずかに覗く、束になった白い封筒たち。それに見覚えがあった柳田良二は、しかめた表情をジロリと黒にまみれた男性へ向け直した。
「テメー、マジに『あの怪文書』送ってきてた奴か」
「『怪文書』ではないが、詳しくは室内で話させてくれ。頼む……いや、俺が頼むなんて滅多なことではないんだが頼む。話をきっちりかっちり聞いて、是非とも請け負って欲しい」
柳田良二にとっては『怪文書』だった依頼手紙を嫌がらせのごとく捩じ込むわりに、真剣な声色と態度の依頼主。ニット帽の先からエンジニアブーツの先までジーロジーロと散々
「じゃあまず名乗れ」
「善良な一般市民・K」
「却下」
「そこをなんとか、柳田探偵っ!」
ガシリと掴み直される、柳田良二の右腕。
「ウルセーな。俺は『テメーら』に荷担しねぇし、そもそも『犯罪者』に手ェ貸すなんざ話にすらなんねーよ」
「今回は、窃盗をするつもりはない。だからこうして依頼の手紙を入れていたんじゃあないか」
「んなこと信じられるか。よく考えろバァカ」
ブン、とふりほどいて、柳田良二はカコーンカコーンと二段降りる。
「ターゲットの悪事をあばく取っ掛かりを、国家法的機関に提供することができる……と言ってもか」
残り一段のところで、半身を捻る柳田良二。
「あ?」
「我らは立場上、国家法的機関に訴えることは出来ない。だが
「ワリーが俺は正義の味方なんざ請け負ってねンだよ」
「正義の味方を頼んでいるわけじゃあない。返還に応じない相手と戦いたいと言っている」
続く睨み合いと沈黙。それを破ったのは、二段降りた依頼主で。
「頼むなんて滅多なことではないんだが本当に頼むよ、柳田探偵。今回は組織としてではなく、一人の人間として
「…………」
「正義の味方でないなら、尚更」
柳田良二から、静かな舌打ちが漏れた。
──────────────────────
早速ではございますが、先月
当展示物は本来我らの所有物がゆえ、是が非でもご返還いただけるよう、現在の所有者へ再三要求申し上げて参りました。しかしながら、袖にされてしまう日々が過ぎ行くばかり。これではいけないといくつも策を高じ、紆余曲折を経て貴殿に白羽の矢が立った次第です。
つきましては、貴殿にそのお力添えをご依頼したく、こうして筆を執らせていただきました。
本来であれば
お忙しいところ恐縮ではございますが、なにとぞご尽力とご協力よろしくお願い申し上げます。
かたゆでたまご
孤高の鬼才なる奇術師探偵 殿
──────────────────────
二階──柳田探偵事務所内。
「でェ?」
この黒い本革三人がけソファは、鼻先を近付ければ未だ革の匂いが鼻腔に嬉しい一脚。しかし残念ながら、新聞が高級羽毛布団の厚みに匹敵するほど引っかけられているがために、匂いになど辿り着けない。
「これがテメーらの言う依頼文だっつーんなら、もっと誰が読んでもハッキリわかるよーに書きやがれ」
その引っかけられた新聞をワシワシと掻き分け、どっかと無遠慮に身を埋めた柳田良二。細長い脚は左を上に組んで、背もたれに右腕をまわし、依頼手紙をセンターテーブルへと放る。当然、そのセンターテーブルがガラス天板だということも、言われなければ気が付かないほど雑誌や紙で埋もれてしまっている。
「いや、日本語で
柳田良二の対面で、意味不明だと言いたげな渋面を作る依頼主。その正体は書面にもあったとおり、かたゆでたまご構成員。
「送られた俺様が読んで理解できねーから、怪文書だっつったんだ。この前の暗号文のが簡単だったな」
「この前の暗号?」
「
「ああ。あれはそもそも俺が作ったものではないし……」
胸元からよれたタバコを一本取り出す、柳田良二。そっと
柳田良二は、幼い頃から国語力が低い。それはわずかなりとも、彼のコンプレックスになっている。文字の羅列を見るだけでも
常用漢字はあまり正しく書けず、小学二年生レベルで止まっていると考えても大袈裟ではない。至極当然に、びっくりするような間違いを平然としてくることは日常だ。
つまり。柳田良二は捩じ込まれ続けられていた依頼文を、数度読めどもほぼ理解できなかったわけだ。
かろうじて理解できたのは、『お忙しいところ恐縮ではございますが、なにとぞご尽力とご協力よろしくお願い申し上げます。』という締めの挨拶文のみ。なぜなら『よく見かける』から。
「ともかく──」
言いながら、依頼主・かたゆでたまご構成員Kがニット帽を取れば、そこから重厚的なハニーブロンドの頭髪がゆるく波打って耳たぶの辺りで垂れ下がった。他の装備品を取らないのは、彼が正真正銘『かたゆでたまご構成員』であるがゆえで。
「──この手紙は暗号ではない。もっと単純な話だ」
構成員Kは、何の気なしにスルリと胸元から手鏡を取り出した。
「過去、『我ら』のもとから盗まれた『
ペラペラと口を動かす構成員Kは、鏡へ視線を刺したまま、自身のハニーブロンドを慣れた手つきで数度かき上げる。
「なぜ理解できないのかこちらが理解できないが、まぁそんなことは今論議している場合ではない。主題を進めよう」
続いて、そのハニーブロンドを撫で付けたり、一束ずつの跳ね具合を気にしたりして、髪形を過剰に整え続ける構成員K。それはまるで自分の美しさに酔っていると言える。
半ば呆れたように一連の動作を眺めていた柳田良二は、スパアとひとつ吸い込んだ煙を、質問と同時に大きく吐き出した。
「大体何なんだよ。その『チイノミタテ』、ての」
「マム……いや、我らが古くから所有している秘宝のひとつだ。銀製の盾で、中央にトパーズが
ようやく目を上げた構成員Kは、鏡をジャケットの内側へしまったその手で、代わりに写真を一枚取り出した。正確には、『地維の御盾』の印刷された四つ折のA4紙で、開かれた状態で柳田良二へ手渡される。
『地維の御盾』は、銀色の西洋風の盾。
上方は角張りが力強く、下方へかけての柔らかな曲線が美しい。それをぐるりと縁取るのは、細かな彫刻。しかし印刷された画像の解像度が粗く、何が彫り込まれているのかまでは見極められない。
盾中央に
うげぇ、と渋面を向け、紙面から視線を上げた柳田良二。
「ったく、趣味ワリーなァ。こんなモンわざわざ返して欲しいか?」
「ハァ、まさかこれの価値がわからないとは。可哀想なお人だ」
そうしてやれやれとわざとらしく肩を竦められると、ピギ、ともなるわけで。
「今すぐ刑事に連絡してやってもいいんだぞ、俺は」
「話を戻そう、柳田探偵」
光の速さで返ってくる真顔。
粗方吸ってしまったタバコを、剣山のようになった吸殻の隙間にネジネジと捩じ込み、柳田良二は眉間のシワを深くする。
「これを我らから盗んだのは、
「霜坂? 何
「現在、某IT企業の幹部をやっている」
そして、と続く声をぐっと低くする、構成員K。
「恥ずかしながら、元かたゆでたまご構成員だ」
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