紛失編

「元、構成員んん?」

 苦虫を噛み潰したような渋面で声を裏返す、柳田良二。高く組んでいた脚をほどき、背もたれに投げ出していた右腕を頬杖に変えた。

「ざっけんな、マジで。身内の尻拭いも出来ねーでぬゎにが『組織』だ。いっそのことさっさと潰れろ」

「なっ、なんてことを言うんだ! ……あぁいや、その、今回は聞かなかったことに、しておく」

 モニョモニョと尻尾を巻いた、構成員K。立場上、自らの所属機関が悪く言われても『今だけは』言い返せない。

 顔面を作り直した構成員Kは、柳田良二へ冷静に、かつわかりやすく説いていく。

霜坂しもさかという男は、かなりきたない人間だ。収賄しゅうわい、脱税、裏取引……ああっ、どうして俺が奴の悪行を挙げていかなければならないんだっ! せっかくの美声がもったいない!」

 苦悶に歪む、不織布マスクとサングラスの奥。彼のその過剰な反応リアクションは、柳田良二の肌に合わない。ぞぞと鳥肌が立てば、密やかにコンプレックスのひとつを思い出してしまい、尚更にムカムカを溜め込む。

「チッ。テメーらも似たようなモンじゃねぇか」

「俺たちは違う。突然騙し打つような姑息な真似はしない」

「窃盗、不法侵入、公務執行妨害。どれも立派な犯罪だな?」

「とにもかくにも」

 明らかに棚に上げた構成員K。ぐぬ、とこぶしを握り、弁が熱を帯びる。

「霜坂をこのまま放っておくと、とんでもないことになると断言できる。我ら……いや、俺はなんとしても、奴に訴訟そしょうというかたちで重く制裁を加えたい」

「俺はテメーにおんなじこと言いてぇけどな」

「なのに、残念ながら俺では訴えることが出来ない。だからこうして代役を頼みに来ているんだ、柳田探偵っ」

「旨味がねぇ。やる義理もねぇ。以上だ、帰れ」

 五秒間の沈黙。柳田良二は胸元から再びよれたタバコを一本取り出し、くわえる。

「やはり、どうしても引き受けてはくれないのか」

はいえーあおたりめーだろ

 同じく胸元から取り出したマッチで先端をともし、言葉の隙間にいくつか吸う。

「最初に言ったとおり俺は正義の味方でもねーが、生憎お人好しでもねーんだよ」

 柳田良二が吹いた紫煙が立ち上る様を透視度の低い黒レンズを通して眺めながら、構成員Kは勝手にブツブツと語り始めた。

「先月、俺とは別の班が霜坂邸に入ったんだ」

「おい、昔話はよそでやれ」

「だが奴は組織に居たときよりも、なかなかに用心深くなっていた。『地維の御盾』を一目たりとも確認できずに、我らは撤退を余儀なくされた」

「聞いてんのかテメー」

「次に俺の班が変装で乗り込もうとしたが、あえなく失敗。これでもう、『我ら』として乗り込めなくなってしまった」

「ンな話をいくらしたって、俺にお情けなんか通用しねーかんな」

「外注するにも宛はないし、そもそもリスクばかり。そこで白羽の矢が立ったのは、この前ようやく身元を調べ上げられたあなたミスターだったわけだよ、柳田探偵」

「おい、勝手に俺様のこと調べてくれてンじゃあねー」

 『白羽の矢』が『しらはのや』と読んだり、『目星をつける意味』だということを柳田良二がようやく知り得た事実は、ここだけの話。

「まぁこの辺りは手紙にも書いた部分なわけだが、なぜかあなたミスターは読解できなかったようなので、こうしてもう一度説明している」

「えーえー、そりゃあどーも。だが回答はどうやったって変わんねぇよ」

 過剰に吸い込んだタバコを、目の前で剣山のようになっている吸殻の隙間に捩じ込んでから、そっと立ち上がる柳田良二。やはり過剰にかかとを摩り鳴らし、床に散らかっている紙山や新聞の塊の隙間をスルスルと行く。

「大体な。この前俺は、テメーの相棒に催眠ガス嗅がされて散々だったんだぞ。それ忘れたとは言わせねぇ。あんな目に遭わせられて、そんな一味に誰が協力する? あ?」

 あまり建て付けの良くないアルミ扉をギキイと引き開けた柳田良二は、なかなか立ち上がろうとはしない構成員Kを振り返った。

「最後通告だ、今すぐ帰りやがれ。大人しく帰るなら、今回のことは刑事に言わねぇどいてやる」

 やけに物悲しげに映る、構成員Kの背中。しかし柳田良二は、そんな程度では揺らされない。

 やがてハニーブロンドの後頭部は、かくんと溜め息をついた。どうやら決め手になったようで、革ソファからその重い腰をようやく持ち上げるに至る。

「ハア、仕方がない。今回は諦めてやろう」

 その場のわずかな隙間で、華麗なターンをひとつ。

「では、預けた小切手を返してもらいたい」

「…………」

「…………」

 眉間を寄せ合う二人。

「は?」

「は、ではない。小切手だよ、小、切、手。手紙に同封してあっただろう?」

 身に覚えのない柳田良二と、なぜ知らないんだな構成員K。

「いや、ねーよ」

「いいや、あった。三日目の手紙に確かに入れた」

「三日目とか、もうわっかんねーよ」

「都度、中身をあらためていたのではないのか?」

「…………」

「…………」

 トン、と視線を左下へ逸らす、柳田良二。カタカタとわざとらしく震えるように身を縮める構成員K。

「ま、まさか。封すら切っていない、だとッ?」

「だ、だァら。テメー毎日山ほど乱暴に突っ込むわりに、内容全部同じだったじゃねーか! しかも読んでも意味わかんねーし。ンなもんチマチマ開けてぇと思うか?!」

「だからなんだ! 開けないでおいたのはまだしも、その未開封の手紙たちは今どうなっている?!」

「ど、どーなってるって、そりゃ、その」

「まさか、このゴミ山部屋のどこかに放置して……いや、あなたミスターに限ってそんなことはあり得ないよなぁ? ほら例えば、実はこの部屋のどこかにある厳重な金庫などに大事だぁぁいじに取ってあるんだろう?」

「…………」

「…………」

 沈黙は雄弁に、構成員Kの期待が「NO」であることを語った。

「おいおいおいおい待ってくれよ! 話が違うじゃあないか、柳田探偵っ!」

 ブンブンと首を振る構成員K。ご自慢のハニーブロンドが波打って、やがてその顔に右掌をあてがって悲愴感を漂わす。

「ウルセー! 話もなにもあるかァ! 大体他人ひとにこんな面倒事頼んどいてこっそりカネ送り付けてくる方がどーかしてンだろーがっ!」

「小切手何枚入れたと思っているんだ、二五枚だぞ! それぞれで合わせて五〇万になるように、苦労したんだ!」

「二万ずつの小切手なんざ大量に作ってンじゃあねーよ、バカ! その手間もっと別の有益なことに使いやがれ」

「言葉を返させてもらうが、柳田探偵こそこのゴミ山部屋をなんとも思わないのか?! カネが散乱しているともわからないままタバコをパカパカ吸い散らかして! もう少し綺麗にしたらどうなんだ! あぁ、なんて美しくないッ、必死に我慢していたがもう限界だ。アレルギー反応がぁあ!」

「だァから早く出てけっつってんだろーがっ!」

「五〇万回収するまで帰れると思うのか?! このゴミ山からきっちり小切手の五〇万を回収するか、あなたミスターが話を引き受けるかの二択に変わっているんだぞ!」

「だーもうまったく!」



     ♧  *  ●



 枝依北区──霜坂邸。



 ゴンギィーン、と、楽器の種類が不明瞭な呼び鈴チャイムを柳田良二が押したのは、その日の一八時のこと。

 無垢の木肌色の和門扉は立派で、屋敷をぐるりと瓦屋根の付いた塀が囲っている。黒く四角いインターホンだけが妙に近代的で、屋敷の和のしつらえから浮いている。

「夜分、大変失礼いたします。わたくし、柳田と申します。霜坂重役に少々お訊ねしたいことがございますので伺いました」

 流れるように出でる、普段は使わない丁寧語。それは、あらかじめ構成員Kによって練習させられていた文言で、柳田良二はさっさと口から出し切って解放されたいあまり、眼輪筋がヒグヒグとしていた。

「申し訳ございませんが、ご主人さまは現在、お留守にしております」

 インターホン越しに告げられる、不在通告。しかしそれは予測していた範囲内の事例で。

「調査済みですよ、霜坂重役が邸宅にお戻りであることは」

「あの、しかし……」

 言い淀む女中へ、柳田良二は「そうですか」と無表情に返し、引き続きあらかじめ練習させられていた文言を吐き出していく。

「取り次いでいただけない。わかりました。多少強引ではありますが、これからいくつかのマスコミ社へ乗り込んで、『重役の数々の横行についてを告発しても良い』という意味だと受け取らせていただきますこと、お伝えください。もちろん裏取りも済んでますんで、是非明日の情報記事をお楽しみに。では」

「ちょ、少々お待ちくださいっ!」

 かかった。それにしては簡単に釣られすぎだなと、高い鼻を夜空へ向ける柳田良二。

 三〇秒もすると、低くイガイガするような年配の男声が、苛立った様子でインターホン越しに声をかけてきた。

「誰だ貴様、何の話をしに来た!」

「ん、アンタが霜坂さん?」

「何を告発するか知らんが、私はなにも知らんぞッ」

「それより。例の盾について、お話よろしかったっスか」

「例の、盾?」

「ええ。『地維の御盾』、です」

「なぁッ、地維……」

 明らかに狼狽しているとわかる、インターホンの向こう。

「貴様、さては組織の差し金だな?」

「組織? さあ、お答えしかねますね。それとも、本当に告発してよろしいということで? 例えば収賄の件、とか」

 低く小さく、次のカードをチラつかせる柳田良二。ぐぬ、と生唾を呑む霜坂氏。

 やがて、無垢の木肌色の門扉が自動で内開いていく。

「は、入りたまえ」

「ありがとうございます」

 まなざしを細め、鼻で呼吸を往復してから、柳田良二はその門扉を大股の一歩で跨いだ。


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