争奪編

 一〇分後──枝依東区。



 シルバーのワンボックスハイエースと黒の覆面パトカークラウンが、門扉前で縦列駐車される。

「おい」

「はい?」

 開けられた、後部座席右側ドア。なかなか降りようとしない柳田良二を、都築正義はにこやかに見おろす。

「なんで現場だよ」

 ギンと睨まれる都築正義。しかしそれの効果はなく、「それはですね」という白々しい説明がその口から流れ出る。

もくさんのご自宅、集合住宅なんですよ。それではいろいろな許可を取るまでに時間がかかる。だから半焼した邸宅の方がいいって、もくさんたってのご要望でして」

 柳田良二の奥で、肩を縮み上げ引きつった笑みを浮かべている、依頼人のもく氏。都築正義から「ね?」を強引に向けられ、それは首肯の催促と同義で。

「それに、こっちのがなんだか雰囲気出ますでしょ?」

「はあ? ンなモンどーだっていいだろーがっ」

 だんだん、とアスファルトに下ろされる、柳田良二の細長い脚二本。

「ええ? 雰囲気大事ですよう。ねえ、土橋課長!」

 ゴロゴロゴロバタン、でシルバーのワンボックスハイエースの後部座席スライドドアが開く。中から、黒い警備出動服とヘルメットを着用した警察官が七名と、土橋課長が降り出でた。その腕に、白い布地に丁寧に巻かれた『ともし御杖みつえ』を抱いている。

「柳田くんすまないね、今回も巻き込んで」

「巻き込むもなにも。そもそも今回依頼されたのは俺ですから、それはまぁ、いいんですけど」

 きつく寄った眉とは反対に、怒っているわけではなさそうな声色の柳田良二。赤茶けた天然パーマ気味の頭髪をガシガシと掻き、ふはあと溜め息を挟みながら土橋課長を向く。

「つーか。どこをどー警備配置するんすか。ここ、半焼っしょ? 中入れねーっすよね?」

 建物へ向けられる、柳田良二の左手親指。

 半焼とはいえ、邸宅としての形をなんとか保っている程度の焼け加減であり、そうなるとおのずと家屋としての役割ははたせていないことになる。

「それを聞きに、はるばるここまでやって来たんじゃあないか、柳田くん!」

「は?」

「今回も、奴らの目をあざむく策があるという話じゃあないか!」

 ヒクヒクと引きつる、柳田良二の右目尻。がッハッハと大きく笑いを響かせて、土橋課長は退け反った。

「なぁ、都築! お前が『さっき聞いた』らしい柳田くんの策は、なんでも上策中の上策なんだろう?!」

「アッハッハ、もちろんですよ、土橋課長」

「…………」

 沈黙の柳田良二は、赤茶けた頭髪を再度ガシガシと掻きむしる。

「おいコラ都築よ」

「えっ、はい」

 低い柳田良二の声に呼ばれ、ととと、と悪意ない笑みを浮かべ歩み寄る、都築正義。腕を伸ばし届く範囲まで寄ったところで、柳田良二は都築正義のネクタイをグンと引き寄せ、鼻先を彼の顔面間近に、睨み付ける。

「ふざけんなよなんの話だ」

「やだなぁ、ただの協力依頼のお話ですよう」

「ンなワケねーだろ! どこまでテメーはオンブにダッコのつもりでいンだ、アァン?」

「アッハッハ。オンブにダッコだなんて、そんなそんな」

「一番メンドクセー奴にありもしねーモン言いふらしやがって。いー加減にしねーとぶん殴るぞマジで」

「とか言ってる間に、いい策をお考えなんでしょう? ねぇ」

「不可能だろ、んな瞬時に思い付くわけねーっつの、クソが!」

「またまたぁ。大丈夫ですって、言ってみてくださいよう」

 とてつもなくコソコソな二人。一見すると、そのふたつの唇の近さに、周囲はなぜかソワソワ。いかがわしいそれと見紛うてしまい、誰もがなんとなく口を噤んで。

「あのォ、警察の方々、ですか?」

 トン、と触れられた肩。振り返るは土橋課長。

「へ、あっ、ええ。枝依中央警察署の者ですが、何か?」

 土橋課長の肩を叩いたのは、五〇代の小太りの女性。一見すると、近所の主婦の様相。

「この、火事のお宅ね。夜な夜な変な軋む音とか、呻き声とかするのよねぇ」

「呻き声?」

 首を捻る、土橋課長。その後ろで都築正義の胸ぐらを掴んでいた柳田良二は、その力をわずかに緩めてやがて解放した。

「110番しようかとも思ってたんですけど、なんて説明していいかわからなくって。でも丁度よかったですわ。今よかったら、ちょっとだけ調べてくれないかしら」

「わかりました。すぐに調べましょう」

「ありがとう。空き巣とか泥棒とかが棲みついてるかもって思ったら、怖くって怖くって。このところ眠れないのよ」

「ハッハ、ご安心ください。確認してきますから。都築っ、中入るからお前も来いッ」

「はいっ」

 駆け出す都築正義。

「柳田くん。こちら頼んだよ」

「え」

「まぁ、すぐに戻るから」

 そうして土橋課長に半ば強引に預けられる『燈の御杖』。都築正義が振り返るように柳田良二を一瞥いちべつしたが、目が合うことはなく。

「あっ、おいっ!」

 土橋課長と五名の黒い警備出動服とヘルメットを着用した警察官の背中が、焼け焦げた屋敷に吸い込まれていく。

「チッ……メンドクセーな」

 深い溜め息と共に肩を竦め、『燈の御杖』を「うげぇ」と見おろした。

 傍ら、二の腕を擦りあげていたその小太りの女性が、眉を寄せたまま黒の覆面パトカークラウンのテールライトへ近付いてきた。わずかに制止の意味も込め、「なぁ」と声をかける柳田良二。

「この近所に住んでんすか、アンタ」

「ええ。そこの角曲がったところにね。火事のあと、毎夜毎夜響いてきて怖いのなんのって」

「ふーん?」

「そんなことより探偵さん。あなたは屋敷に行かなくていいのかい?」

「……は?」

「さっきの人たちに早いとこ着いていかないと、置いてかれるよ?」

「…………」

「あの、探偵さん?」

「ええ、別にいいんスよ。俺に捜査権はありませんから。でも──」

 柳田良二が降りてから開いたままになっていた、後部座席側の扉。そこから車中へ、『燈の御杖』が柳田良二によって投げ入れられる。

「えっ」

 車中にて、もく氏がそれをナイスキャッチ。

「──逮捕権は持ってンだよ、一般市民でもなッ」

 御杖を投げたその左腕で、主婦の右腕をねじり上げる柳田良二。車中から目を見開き、柳田良二の動向を目を白黒させて窺うもく氏。

「依頼人、俺が許可するまでそれ持っとけよ」

「はっ、はひっ」

「いたたたたた! なんなんだい、離して!」

 苦悶の表情の彼女は、アスファルトにズシャリと膝をついた。

「おうババア。テメー、どーして俺が『探偵』だと知ってやがる」

「はぁん? 今まで喋ってたろう、警察のお偉いさんとっ! いたたた、そのときに探偵って、呼ばれてたじゃあないかいっ」

「いやァ? ここ着いてからは一度だって呼ばれちゃいねーよ、誰にもな」

「なっ……」

 ピシリ、凍りつくように表情を固めた小太りの女性。柳田良二の暴かんとするまなざしが、彼女を一突きにする。

「フ、早とちったらしいなァ。『かたゆでたまご』さんよォ」

 左眉がクク、と持ち上がる柳田良二。

「かっ、かたゆでたまごっ?!」

「ああ、そーだ」

 声を裏返し震わせる、車中のもく氏。膝をついた小太りの女性の背後へ、残っていた黒い警備出動服とヘルメットを着用した警察官二名が駆け寄る。

「どーやら『燈の御杖コレ』をここへ俺らが持ってくンの、コソコソ待ってたみてぇだし? さっきから飛んでるアレ、テメーらのヘリだろ」

 天を指す、柳田良二の右人指し指。低く静かに飛んでいるのは、かたゆでたまごのヘリコプターで。

「フーン、ぬかったわ。バレちゃあしょうがないわね」

 一転。

 小太りの女性の声色とは打って変わった、艶めかしげな若い女声。

「多勢に無勢ってやつゥ? こっからは予定どおりスピード勝負といこうかしらァ!」

 ニタリ、と粘り気のある笑みを浮かべた小太りの女性もとい、かたゆでたまご構成員。

 どこからともなくスルリと出した、卵形の白い丸い球。それがかたゆでたまご構成員の後方に振り返らずにノールックで投げられ、破裂。

「なっ、なんだ?!」

「と、トリモチだ!」

 黒い警備出動服とヘルメットを着用した警察官二名の膝から下が、高い粘り気のある黒いジェルにて貼り付けになる。もがけばもがく分、逆に取れなくなり。

「チッ。大昔のやり口使いやがって」

 ギリギリと捻り上げられていた腕は、相変わらず振りほどけない。柳田良二の手は、トリモチを見ても緩まない。

「流行ってのはァ、忘れた頃にやってきてもう一回世間を巡るのよん。探、偵、サ、マッ」

 その捻り上げられている腕めがけて、グン、と瞬時に寄ってくる『何か』──構成員の左拳。捻り上げていた柳田良二の左肘に、内側から一発喰らわされる。

「ぬぐっ」

 肘へ重たいダメージが加えられ、すると捻り上げられていた腕が外れ、構成員は自由の身に。柳田良二の手痕が赤々と残っている右手首を擦りながら、変装の眉をハの字にする。

「やぁん、探偵サマ握力強すぎィ。痣になっちゃったら責任とってよねぇー」

 片膝を付いた柳田良二へブツブツと言いながら、次いでモソモソと車中へ乗り込む構成員。もく氏と対面し、小太りの女性のマスクでにんまりと笑む。

「ハァイ、新しい持ち主に名乗りを上げた、かたゆでたまごでぇーすッ。約束どおり『燈の御杖』くださいなッ」

「代わりにテメーの身柄確保だ」

「きゃん」

 掴まれた左足首。小太りの変装からは予測出来ないほどに細い。

「テメー依頼人っ。絶対渡すなよ?!」

「もうっ、離して! んであなたはそれ早く頂戴っ」

「ででっ、で、でもっ」

「我々に渡せば、あなたは呪いから解放されンのよっ!」

「だっ、クソ女コラ、人様の手蹴ってンじゃあねーぞ」

「じゃあさっさと離しなさいよね、こっちまで痣になったら次はアンタを燃やすわ」

「ハーン上等だコラ、その前にテメーはブタ箱行きだがな!」

「何やっとるかーッ!」

 ダバダバと走り寄るのは、土橋課長。黒の覆面パトカークラウンもく氏側のドアを開け、もく氏を覗く。

「けっ、警察のっ……」

「早くワシに渡せ」

「は、はひっ!」

 土橋課長へもく氏から渡される、御杖。

「だっ、バガ。ソイツは──」「撤収!」

 コロコロ、ボフン。小太りの変装の構成員が、足首を掴んで離さない柳田良二へ向けて放ったのは、催眠弾。

「グンナイ、探偵サマ」

「ふ、ぐっ、クソ……待……」

 白いモヤが車中と柳田良二の周囲に充満し、すると離すまいとしていた構成員の足首が、いつの間にか柳田良二の掌からすり抜けていた。

 やがて吹く風と共に消え失せる、白いモヤ。かたゆでたまご構成員と、土橋課長の姿もない。残っていたのは、アスファルト上に俯せに転がる柳田良二と黒の覆面パトカークラウンのみ。

「やっ、柳田探偵ーっ!」

 トリモチまみれの警察官二名が呼び掛けるも、反応はない。黒の覆面パトカークラウン内で、鼻を天へ向けいびきをかく、もく氏。

「どっ、土橋課長ぉーっ?!」

「どこ行ったンですかぁー?!」

 

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