解決編

 枝依えだより中央区──枝依市鴨重かもしげ美術館。

 予告時間の一〇時間前、つまり一七時付近にさかのぼる。



 土橋どばし課長にメールを送付した探偵・柳田良二やなぎだりょうじは、気だるげな足取りで、美術館内を闊歩かっぽしていた。かかとをカシュカシュと激しく擦り歩くため、靴のかかと部分だけが斜めに削れてしまっている。

「どういうことだね、柳田くん。さっきのあのメール!」

 真正面から向かってきた土橋課長に声をかけられ、柳田良二は左眉を上げる。

「つーことは、アンタは本物だな。土橋さん」

「本物? とは?」

 ハテナを浮かべる土橋課長の仕草を、『男のそれ』と瞬時に観察した柳田良二。対面から、並び立つように立ち位置を変えつつ、眼前の土橋課長へわざわざメールを送付した。

 送付する理由はひとつ。『この土橋課長』が、本物であるかを確実視するため。

 土橋課長の胸元から取り出されるスマートフォン。いくつかのタップの後に、柳田良二からのメールに辿り着く。


『盗みに入るって予告状届いてるだろ

 かたゆでたまごから

 やつらは変装して

 すでに紛れこんでる

 ここに集まってる警察の誰かに

 ちくいち逐一化け変わってやがる』


「なっ──」「待て」

 驚きがあらわになる直前で、左人指し指を立てた柳田良二がそれを制止。用意してあったらしいメールが、柳田良二から更に送られてくる。


『盗聴器がついてる可能性ある

 しゃべらねー方がいい』


「…………」

「…………」

 無言の首肯を向ける土橋課長。柳田良二は人指し指を下ろし、次のメールを送付。


『まず

 やつらの本当の予告時刻は午前二時

 つまり今日の夜中だ

 これは俺が都築にたのまれていたこと

 さっき人員配置を変えろって言った都築は

 ニセモノだ』


 ギリ、と悔しげに奥歯を噛む土橋課長。


『俺と本物の都築は

 さっきのアンタの配置変更の無線を二人で聞いてた

 その上で

 新らしくった作戦と

 課長けんげん権限の頼みがある』


 頼み、と土橋課長は声を出さずになぞる。


『いまの銀河の雫の所有者の

 身がら確保と

 待ちせだ』



     ♧  *  ●



 時は、正しい時間に戻る。

 真夜中、二時一〇分。



 かたゆでたまご構成員の女──瑠由るうが、ホテル従業員に扮して、ホテルのエレベーターで八階へ辿り着き、スイートルームの一室のロックを違法解除ピッキングしたそのとき。

「土橋課長居ないよ。それに、魔の手もッ」

 異変に気が付いた瑠由るう。仲間の男──きょうへ、慌てて無線連絡をする。驚いた『なんだと?』の響の声に被せるように、ガサガサの笑い声がスイートルームに響いた。

「ダアッハッハハハハ! 裏の裏をかくのが、我々警察組織の十八番だよ、かたゆでたまご!」

 ズラリ、スイートルームの奥から出てきて並ぶ、警察官総勢八人。それに加え、土橋課長が堂々と前へ出てくる。

「残念だったな。『銀河の雫』所有者は、署の取調室で軟禁状態だ」

 ドラム缶様の躯体の腰付近に手を当てて、威張る格好の土橋課長。瑠由るうは顎を引き、視線を土橋課長へ突き刺したまま不適に笑んだ。

「あらあら土橋課長。いらっしゃらないと思ったら、かくれんぼの最中だったんですねぇ? みーつけたぁ! ふふっ」

 声を弾ませる瑠由るう。しかし、そのまなざしは至極真剣、闘気に満ち、隙ひとつ無い。

「ひとまず身柄の拘束、お疲れさまですぅ。悪者は警察に捕まえてもらわなくっちゃですもんねぇ。さすが正義の味方ぁ! それで?」

 パン、と手をひとつ打つ瑠由。

「どうして彼を、そんなところにお連れになったんですかぁ?」

 甘い声音の奥に迫る、威圧の気配。臆することなく、端的な説明を提示した土橋課長。

「盗難品だったからに他ない。まず淑女から盗まれ、更にそれを盗んだのが、現在の所有者だからな」

 瑠由はふぅん、と顎をしゃくる。

「課長にしては、よぉーくお調べになったんですねぇ。感心ですぅ」

 小首を傾げ、腕組みをする瑠由。その際に、ホテル従業員の制服ジャケットの懐から白い卵形の玉を取り出し、左手に隠し握る。

「じゃあ、もういいですよね? 『銀河の雫』に、用はありませんよね?」

「いや、大いにある。本物かどうかを調べ、ワシらの手でお返しする。貴様らの出る幕は端からない」

「あのね課長、それは横取りですよぉ。被害届も出てないその盗品を盗み返して、淑女の元へお戻しするのが、我ら『かたゆでたまご』のお仕事なんだからぁ。邪魔しないでよ」

「邪魔はどっちだ。それに、そんなことは仕事とは言わない。犯罪だ」

 その一言は、瑠由の矜持プライドにプツンと穴を空けた。貼っている笑みが凍る。

「悪行は悪行でやり返してこそ。屈辱を味わわせなきゃ、悪行は繰り返される。負の連鎖は負でもって正にするのっ」

 瑠由のワイヤレスイヤホンから、響の声が何かを告げている。しかしプツンしてしまっているがため、響の声が理解や判断にまで達しない。

「あーあー話にならんね! 貴様らとは価値観のベクトルが違う」

 面倒そうに、右掌をシッシッと払う土橋課長。それを合図に、構えの姿勢を取る八人の警察官。

「とにかく、ここには本物の『銀河の雫も』現在の所有者もおらん! 袋の鼠なんだよ、かたゆでたまご」

「ふんだ! 『銀河の雫』が無いんじゃあ、我らも長居は無用!」

「建造物侵入、威力業務妨害、その他諸々のあれで逮捕だ!」

 右手が改めて瑠由へ真っ直ぐに向けられ、すると八人の警察官が一気に瑠由へと向かってくる。

 細く整えられた眉をギッ、と吊り、瑠由はスイートルームの出入口へと身をひるがえす。

「『諸々のあれ』って何ですかっ、随分格好つきませんねぇ!」

 左掌に隠し持っていた卵形の玉のスイッチを入れ、八人へ向けて投げ放つ。

 煙幕の白煙が、スイートルームの出入口付近を中心にに充満。いくつも聴こえる空咳を背に、瑠由はエレベーターホールまで、足音を極小に疾走する。

「響、聴こえる? 回収方法変更。一分後にエレベーターホール。窓ンとこに付けて」

「まっ、待てぇー! かたゆでたまごぉー!」

「んもー、夜中なんだから静かにしてよう」

 エレベーターホールにある、大きな明り取り窓を正面に向き、立ち止まる瑠由。そこへ近付き、右小指に着けていた黒いリングで、その窓ガラスに大きな円を描く。

 リングにはガラスカッターが仕込まれていて、三回も円を描けば、上層階の特殊ガラスをも切り取ってしまえるという、かたゆでたまご特製アイテム。

 切り取ったガラスを丁寧に床へ下ろし、するとそこへ警察官らと土橋課長がダバダバと追い付いた。

「ええー、追い付いちゃったのォー? 催涙弾にしたらよかったァ、失敗ー」

「ゲハゲハゲハっ、がっ、かたゆでたまごっ、待っ、逃」

「またねん、土橋課長。あと、今が真夜中なの思い出してねぇ」

 ガラスに空けた円形穴へ、右足から外部へ放り出す瑠由。土橋課長を一瞥いちべつし、ニンマァリと笑んだ。

「あんまりうるさいと、他の宿泊客に怒られちゃうよぉ!」

 ズルリ、外部に身を投げ出す瑠由。

「危っ」

「待てっ!」

「かたゆでたまごー!」

 警察官三名と土橋課長が、慌ててその姿を追う。

 が。


 ヒョオオ、と高層階に吹く風の声のみを残して、瑠由は姿を消した。



     ♧  *  ●



「ったく、無茶苦茶な演出しやがって。バカ瑠由」

 メリメリと変装マスクを剥ぎ取る、きょう

「何よう、やっぱり昼間の内に私が盗っちゃえば丸く収まったんじゃん。響のバカ」

 バサリと栗色ショートヘアのカツラを脱ぎ取る、瑠由。腰まで伸びた自前の漆黒ロングヘアを、首を振ってフワリと整えた。


 響は、美術館から抜け出てすぐに、かたゆでたまご飛行部隊が運転する、漆黒色のヘリコプターに乗り込んだ。そのまま瑠由の回収へと赴き、ホテル最上階で落ち合う手筈だった。

 しかし、瑠由がそれを無線連絡にて変更。「窓から出るからヘリから梯子はしごを垂れ下げておけ」という旨を言葉短く響へと告げたわけだ。


「淑女、大丈夫かなぁ。お返しできなくてめっちゃ悔しい」

「今は上からの指示を仰ぐしかない。ともあれ、本部に戻るぞ」

「うん。まぁ、秘宝はあと一一個あるもんね」

「ああ。『十二宮の秘宝ゾディアックトレジャー』は、必ず我らの手で──」

 漆黒色のヘリコプターは、こうして闇夜に消えていく。



     ♧  *  ●



「取り調べには応じてンのか」

 咳き込みが収まった柳田良二が、警察官の制服を脱ぎながら、都築正義へと問う。

「ええ、お陰さまで。そんなような連絡が、ケフッ、入ってました」

 ケホ、な都築正義。

「淑女に呪いがかかることを恐れて盗み出したのに、更に盗まれた上、堂々と展示なんかされたんじゃあ、盗み出した元庭師も踏んだり蹴ったりですよね」

 展示ケースに近付き、白い手袋をその両手に装着。

「まぁ今回の展示を知った元庭師が自首して、被害届を出すことで、現在の所有者を捕まえようって魂胆でしたし。恐らく淑女も、元庭師にはお手柔らかに、穏便に済ますでしょう」

 ケースの鍵を開け、それをガパリと外せば、本物の輝きを放つ『銀河の雫』が空気に触れた。

「しかし、よくもまあ思い付きましたね、柳田探偵。このケースの内側に、車のヘッドライト用のフィルムシートを貼って、オパールの反射具合を誤魔化して偽物だと思い込ませる、なんて」

 『銀河の雫』を、すくうように持ち上げる都築正義。

「これも、お得意のマジックの一種ですか?」

「別に。そーゆーんじゃねーよ」

 ニマニマと爽やかに笑む都築正義へ、面倒そうに頭を掻き否定する、柳田良二。

「いろんな依頼人がいて、いろんなことやって逃れようとしてたっつー経験が、たまたま上手く役立っただけだ」

 自らのよれよれスーツへの着替えを済ませた柳田良二は、大きなあくびをひとつ漏らす。それを見て、都築正義は優しく笑んで、展示ケースを元へ戻した。

「朝になれば、庭師と『銀河の雫これ』の身元引受人として、淑女が署にお見えになります。立ち会います?」

「いや、いい。始発で帰る」

「そうですか、残念だな」

「なるべく静かに返してやれよ、『銀河の雫それ』。元庭師のオヤジが言ってたが、淑女はひけらかすの好きじゃねぇらしいからよ」

 ピッと向けられる、左人指し指。『銀河の雫』が、ダウンライトにキラリと光る。

 都築正義は、「そうですね」と瞼を伏せた。


「仮眠とっていきませんか、署で。署までなら我々がお送りできますし」

 歩き出す、都築正義。その手には本物の『銀河の雫』。

「だったらケチくせぇこと言わねぇで、事務所まで送れよ」

 脱ぎ散らかした警察官の制服を抱え、都築正義の二歩前を行く、柳田良二。

「ムリですよ、探偵事務所って西区ですよね?」

「足代よこせって言ってるわけじゃねーんだから、それくらいやったっていーだろーがよ」

「僕だって仕事残ってんですからね。西区まで行って帰ってくる時間が惜しいです」

 意地悪く笑む都築正義を右横顔で眺めて、柳田良二はフンと鼻を天井へ向けた。

「追加の依頼料は貰うぞ」

「えぇえぇ、ご用意いたしますよ」



     ♧  *  ●



 『銀河の雫』もとい、天秤座オパールのティアラ争奪戦。

 これにて閉幕ケースクローズ


 十二宮の秘宝ゾディアックトレジャー──残りあと一一個。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る