対峙編

 枝依えだより中央区──枝依市鴨重かもしげ美術館。

 日付が変わって一〇〇分が経った頃、つまり一時四〇分。美術館内外は、夜闇の静けさに溶けるような静寂に包まれていた。



 土橋どばし課長率いる警察官少数隊は、展示品『銀河ぎんがしずく』の護衛についている。


 展示ケースの前後に一人ずつ。これは土橋課長と都築正義つづきまさよしになう。

 展示ホールの入口に二人。

 展示ホールの入口外に一人。

 あとは、美術館入口と美術品運搬口である裏口に三人ずつ。


 少数精鋭の布陣に、土橋課長は鼻を高くしていた。

「それにしても。予告時間がわかった以上、その時間以外に護衛なんてしなくてよかったんじゃないですか?」

「ぬゎにを今更!」

 展示ホールにクワン、と響く土橋課長のガサガサ声。

「奴らが現れるのが二一時間後だからといって、ぬかるわけにはいかん! もう、予告の『明日みょうじつ』になっとんだぞ、気を引き締めろ」

 鼻息荒く憤慨する土橋課長。思い立ったように、都築正義は「ああそうだ」と一声を上げた。

「課長は、予告状にあった『白髪の淑女』。あれ、どなたのことだと思います?」

 なんでもないような声色でそんな問いを向ける、都築正義。その背をハテナで見つめ返す、土橋課長。

「僕、調べたんですよね、その淑女のこと。そしたらなんと。ご存命の方でした」

 「なんの話だ」と口から出す前に、都築正義にさえぎられる。

「国内某所の古い洋館にお住まいのその淑女は、ある日、代々隠し受け継がれてきた家宝を盗まれてしまったそうです」

「…………」

「淑女の洋館には、親の代から仕えてくれているお手伝いが三人いらしたとか。女中メイドさん、ケアマネージャーさん、庭師さん。いずれも主人あるじである淑女と、深い信頼関係にあった。まるできょうだい、まるで友人。仲睦まじく、ささやかな四人の老後だったとか」

 都築正義の右手人指し指から順番に、三本立ち上がる。

「ところが」

 ピシリ、空気を裂くように鋭い一声が発せられる。

「そのうちのお一人がある日、その家宝を見つけ出し、目が眩み、盗み出してしまう」

 都築正義の『ちっちゃゴツい』背に、不審な気配を感じる土橋課長。

寝食しんしょくを共にしていた『仲間』の一人が家宝と共に消えた。これは、淑女の美しい黒髪を一夜にして白髪に変えるほどに強い衝撃を与えました。残ったお手伝いさんたちは口々に言った、『盗難届を出しましょう』『被害を訴えましょう』と、しかし淑女はそうしなかったなぜなら!」

 クレッシェンドしだんだん大きくなっていた都築正義の声。生唾を呑む、土橋課長。

「淑女自らが、その家宝の隠し場所を漏らしたことが原因だったから」

 哀しげな声色は、呼吸と共に続きを紡ぐ。

「淑女は心から信頼していた、自分の身の回りの世話をやいてくれる『仲間』のことを。だから共有しておきたかった、長年秘匿ひとくもとにあった家宝のありかについてを。自らの痴呆が、進んでしまう前に」

「…………」

「ではなぜ秘匿されていたのか。それはその家宝が、とある『訳在り品』だったからです」

 ゆらり、秒針よりも遅く、左回りに身をよじる都築正義。

「その家宝には魅惑的なオーラがあり、それに取り憑かれたものは苦しみの果てに『燃え尽きる』──そんな言い伝えが、付属していたんです。だから代々秘匿してきました」

「…………」

「淑女は恐れた。家宝を盗み出した長年の『友』が、悲惨な末期まつごを迎えることを。どうせならば、その家宝と共に余生を幸せに生き抜いて欲しい、そんな風に、淑女は願った。そんな優しい淑女だから、盗まれた事実は闇に隠されていたんです」

 都築正義の左横顔と、土橋課長の視線がかち合う。

「ここに展示されるまでは」

「…………」

 展示ケースを挟んで睨み合う、都築と土橋。

「どうするつもりだ『かたゆでたまご』? この、淑女の家宝、『銀河の雫』を」

 バンッ。

 展示ケースに平手打ちをかましたのは、都築正義。土橋課長は動かない。

「どうするつもりもなにも、そもそもワシは『かたゆでたまご』ではないが?」

 左口角を引きつらせる、土橋課長。視線は互いに逸らされない。まばたきも呼吸すらもはばかられる、緊迫した一瞬。

「ご冗談を、『土橋課長』。それが変装だってことくらい、僕にはわかってるんですよ。だって──」

 顎を引く都築正義。

「──土橋課長ホンモノには別の場所でお仕事してただいてますのでッ」

 ダン、と足踏みひとつ。都築正義の踏み込み。『土橋課長』まで距離を詰めるコンマ単位の速度。

 胸ぐらを掴まんとする一瞬、スルリと『土橋課長』に抜けられる右手は虚空を掻く。

「フッハハハハ! よくぞ我らの裏をかき、そして気がついたものだ、警察諸君」

 ふわり、都築正義の腕をすり抜けた『土橋課長』。石像のような重みを感じる見た目とは打って変わった、華麗で繊細な身のこなしをしてのける。

 どのような跳躍をしたのか都築正義の動体視力では理解できなかったが、『土橋課長』は展示ケースの上に音もなく乗ってしまう。片膝を付き、都築正義へ不適な笑みを向け、土橋課長ではない笑い方をした。

「まさかキミがそこまで調べあげているとはね、都築巡査部長」

「課長がああいう目立つお人なんでね。その影に隠れて立ち回るのは、下に就くものとしては慣れっこなんですよ」

 フンと鼻を鳴らし、笑みの奥へ、沸き立つアドレナリンを押し隠す都築正義。対峙たいじするはクスクス、と余裕綽々に笑む『土橋課長』。

「じゃあ尚更、状況は把握してるだろう? 『銀河の雫』は悪どい魔の手から我らが奪還し、直々に白髪の淑女のもとへ返還する」

「ダメダメダメェ。それじゃ手順的には横領罪にあたる。だから渡せない。だから僕たちが仕事してるんです」

 『土橋課長』はその双眸そうぼうを細め、奥に微かに闘気を宿した。

「大体、夕方『あなた方』が僕に化けて、課長に嘘吹き込んだ時点で、この作戦は進められていたんですよ」

 笑みが微かに消える、『土橋課長』。

「課長は信じたんだ。『夕方の僕』が披露した、予告状の謎を解き明かした話をね。で、人員配置に変更が出た。館内は夜間、手薄になることが決まった。あなた方の思惑どおりに」

 夕方の僕、と強調し発した都築正義。『土橋課長』は、口を引き結んだまま動かない。

「あの僕は、僕じゃあない。まして『あなた』でもない」

「フン」

「あなたの相棒、だな? あなたよりも背が低く、身軽で線の細い相棒が、僕の変装をしていた。僕のタッパに合うように詰め物をして」

「フハハハ、ご推察にお任せするよ、都築巡査部長」

 スックと立ち上がる『土橋課長』。「さて」とひとつ前置き、着ていたライトグレーのスーツジャケットを剥ぎ取るように脱げば、それは漆黒の大判布へと変わった。

「もうすぐ我らが提示した、本物の予告時間になる」

 その声は、土橋課長の声真似から、かたゆでたまご構成員その人の声に切り替わっていた。溶け入るように柔く、どこか妖艶で甘い。

「都築巡査部長、キミが筆頭でここにいるということは、キミには解けていたのかな? あの予告怪文が」

 反して、見下ろすその人のまなざしは、冷淡で挑戦的で、刺すように鋭い。

「いや、僕には解けませんでした。時間的にもそんな余裕はなかったしね、淑女のことを調べていたので。じゃあどうして知っているのか。それは──」

 細められる、都築正義の双眸そうぼう。それを合図に、濃紺色の何かが都築正義の背後から現れ出でた。

「──僕の相棒が、解いてくれたからですよ」

 濃紺色の何か──それは、警察官の制服に身を包んだ、柳田良二だった。

「おい。相棒になったつもりは更々ねぇぞ」

「つれないこと言わないでくださいよ、二対二で均衡きんこう取れてるっしょ?」

「何が均衡だ、くだらねぇ」

 ぶっきらぼうに吐き捨てる、柳田良二。首一杯にキッチリ締めていたネクタイを左右に揺らし、胸元まで緩め下げた。

 大判布を肩へ引っ掛け眉間をわずかに寄せる、かたゆでたまご構成員。

「何者だ、ジェントル?」

「名乗ってやらねぇよ。今後俺に化けられちゃ、胸糞悪くなるからな」

 柳田良二は、腰ポケットからスマートフォンを取り出し、画面を点け、かたゆでたまご構成員へと向けた。

「悪ィなぁ、怪盗さんよ。『銀河の雫ホンモノ』はさっき返してきちまった」


 そこに映っているのは、オパールマニアの男性。たっぷり脂ぎっている躯体が、彼の懐事情を雄弁に語る。


「コイツは『銀河の雫』にご執心だからな、向かいのホテルまで来てやがる。コイツの居場所割ンのは簡単だった」

 スマートフォンの画面を凝視するかたゆでたまご構成員の目の奥の闘気が、じわり大きくなる。

「テメーが今踏み敷いてンのは、偽物ニセモンだ。残念だったなァ、仰々しくカッコつけてたとこだったのに」

 悪くニタ、と左口角を緩めた柳田良二。他人の伸びた鼻をへし折る瞬間が、柳田良二の最も清々しいと感じる瞬間であるためだ。

「ジェントル、なぜそんな魔の手へあの『銀河の雫』を戻した? 正しき持ち主は、都築巡査部長が説明したとおりだった」

「正しい持ち主にただ返すだけじゃ、何にもならないっ」

 割り入るは都築正義。ハツラツとした笑顔は既に無く、今の彼にあるのは、純粋たる正義感のみ。

「正しい手順で、表立って胸を張れるやり方で、『僕たち』から返還させていただくためだ!」

 都築正義の発声に、わずかに顔を歪める『土橋課長』。どうやら逆鱗に触れてしまったようで、『土橋課長』は肩に引っ掛けた大判布で自らをくるんだ。

 かと思いきや、柳田良二が一瞬速く踏み込み、大判布をひっぺがす。

「おーおー、消失マジックやろうってのか、上等だ。こちとら、そのトリックは中一でモノにしてんだよ」

Dammitチッ

 数秒で手の内をばらされてしまった、『土橋課長』。左腕を、三メートルはくだらない天井へ掲げ、フワリと中空に浮いた。

「あ?!」

「クソ、ワイヤーかよ」

 都築正義と柳田良二が注視すると、『土橋課長』の左前腕から、高い天井へ極細のワイヤーが放たれてあった。腕を軸に、ワイヤーが人一人を吊るしている事実に、都築正義は目を疑った。

「まさか予告状を逆手に足止めとは! ブラボーだよ、都築巡査部長!」

 スルスル、と昇っていく、かたゆでたまご構成員。懐から白い卵形の玉を取り出し、スイッチを入れ、投下。

「魔の手は我らが滅する!」

「都築っ、伏せろ!」

「柳田探偵!」


 ボンッ! 


 白い濃煙が、展示ホールに充満する。

 咳き込む声、開けられない瞼、つんざくようなモスキートノイズにうずくまる。



     ♧  *  ●



「全部聞いてたか、瑠由るう

 通用口へ向かって、音を極小に疾走する男性。土橋課長の変装を施したまま、左耳のワイヤレスイヤホンへ問いかける。

『もち! もう向かってるよ、今エレベーター入った』

「OK、マイパル相棒。奪還第一」

 角を曲がる。立ち止まり、様子を窺う。

 懐から白い卵形の玉を取り出し、スイッチを入れ、床を転がせばその先でそれが爆発。白いモヤが、出入りを阻む警察官四名を眠らせた。

「変装を変えて、今そっちへ向かう」

『待って、きょう。なんか変だ』

 ワイヤレスイヤホンから伝わる相棒瑠由の声色に、眉を寄せるきょう

『土橋課長居ないよ。それに、魔の手もッ』

「な、なんだと?」


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