かたゆでたまご ―旭日と幸福の葉― 編

佑佳

crush the notice is first contact

予告状編

 枝依えだより中央区──枝依市鴨重かもしげ美術館。



「待ってましたよ、柳田探偵!」

 美術館の入り口前に、キン、と通るこの男声。一六八センチと小柄の割には、低く雄々しい。挙げた左手はゴツゴツと厚く、更にたくましく胸筋を蓄えているため、「ちっちゃゴツい」が彼の異名あだ名だった。

「あーウルセェウルセェ。声小さくしろ、俺は難聴じゃねーっつの」

 一方、赤茶けた柔らかい頭髪を気怠そうに掻きむしり歩み寄るのは、一八二センチの胸板の薄い探偵の彼。名は柳田良二やなぎだりょうじ。愛想と気迫は清々しいほどに無い。

「アッハッハ、まあまあ。課長は既に中っスから、気を張らなくてもいいですよ」

「別にいつだって気ィ張ってねーよ」

 『ちっちゃゴツい』彼は、都築正義つづきまさよし。枝依中央警察署の盗犯係に所属する警察官。ニコニコ笑顔が印象的な、顔立ちの整った男。

「で?」

 柳田良二があくびをかましてから問う。

「予告状の謎とやらは解けたのか?」

「こっちの台詞ですよ。解けました?」

「まーな」

「おお、それを待ってたんですよ! 早く教えてくださいっ」

「ん」

 都築正義へ向けられる、左掌。細長い五指が印象に残る。

「何ですか?」

「報酬」

「何言ってんですか。こっちが教えてもらってからですよ」

「チッ。誰か来て、探偵部外者に依頼してることがバレても知らねぇかんな」

 悪態付く柳田良二は、よれたスーツジャケットの胸元から、一枚のA4紙を取り出した。六折りにしたそれを開き、都築正義へ手渡す。



──────────────────────


   我ら

   白髪はくはつ淑女しゅくじょ

   助力せん者なり


   鴨重美術館に閉じ込められたる

   銀河の雫は

   明日みょうじつとり鳴きし正刻

   正しき輝きを得んため

   旧に復しに参らん



              かたゆでたまご


──────────────────────



「難しそーに書いてあっけど、案外簡単だった。国語苦手な俺様にも解けたからな」

 胸元からよれたタバコを一本取り出し、咥える柳田良二。

とり鳴きし正刻──これは『鶏鳴けいめい』のこった」

「ケーメー?」

「丑の刻。真夜中のこと、だとよ」

 おうむ返しをする都築正義は、柳田良二の左手が滑らかにマッチを擦る所作を眺めていた。マッチの先端がタバコに近付き、いくつか吸われて、白煙が立ちのぼる。

「昔の時間の呼び方の一種で、陽が昇るより早く鶏が鳴くことから、丑の刻を鶏鳴って呼ぶこともあるらしい」

 持っていた携帯灰皿に灰を落とす柳田良二。

「じゃあ、もしかして」

「あぁ。示されてンのが真夜中の一時から三時の間。更に、正刻ってのが夜中の二時ピッタリのことだから結論──」

 ビッと細長い人指し指が、都築正義の鼻先を向く。

「──『かたゆでたまご』は、白髪の淑女のために、真夜中二時に『銀河の雫』を盗りに来っかんな」

 ゴクリ、生唾を呑む都築正義。柳田良二の気迫に背筋が粟立つ。

「……っつーことだな」

 「証明終了」と呟く柳田良二は、刺すような気迫を揉み消し、タバコをくゆらせた。

 右腕の時計を確認する都築正義。現在時刻は一六時三〇分をわずかに過ぎたところ。

「まだ、時間はある」

「さァて。このまだある時間で何が出来る? 警察官さんよ」

 どこか愉しそうに、柳田良二は声色を上向かせた。しかし顔色は変わらない。彼は笑うことをしない。

「ともあれ、まずは解けたことを課長に伝えてきます」

「待て」

 駆け出そうとする『ちっちゃゴツい』襟首をふん掴む、柳田良二。

「報、酬、よ、こ、せ」

「アハハ、バレちゃったかー。仕方ないな」

「警察が金銭ちょろまかすようなことしてんじゃねーよ」

 ブツブツ、柳田良二は口を尖らせる。襟首を解放してもらえない都築正義は、自らの財布から薄い茶封筒を取り出した。

「柳田探偵、ありがとうございました!」

「ん」

 襟首の解放と引き換えに、手渡される茶封筒。パカリと口を開ければ、中には二枚の福沢諭吉。

「へーへーまいど」

「ところで柳田探偵、この後暇ですか?」

「なんで」

 都築正義は、ニタリと含みのある笑みで、柳田良二の深い茶色の双眸そうぼうを見つめた。



     ♧  *  ●



土橋どばし課長!」

 美術館館内、展示ホール。やはりキン、と通る都築正義の声は、その場の全員を振り向かせた。

「都築ィ! ったく、今までどこで何やってた!」

「アハハ、外周ぐるっと見廻っただけっス」

 にっこにっこと満面の笑みの都築正義。土橋課長の隣へ並び立ち、小首を傾げる。

「へー。これが予告状にあった『銀河の雫』っスかぁ」

 都築正義がまじまじと見つめるガラスケースの中。「のんきかましてんじゃねーぞ」な土橋課長は、眼球をくるりとひと回し。


 それは、プラチナと金で縁取られたティアラ。

 細かなダイヤモンドが数多散りばめられ、三粒の大きなウォーターオパールが主役となっている。


 ウォーターオパールとは、無色や乳白色の透き通った地色に、鮮やかな遊色効果ホログラムシート的斑点が浮く、人々の目を惹き付け離さない魅惑的なオパールの呼称。


 まるで一粒に銀河を閉じ込めたかのような様相をしていることから、この展示されているティアラは『銀河の雫』と命名されている。

 一粒でも溜め息が出るほどに美しいのに、このティアラはそれが三粒。しかも奇跡の大きさをしているのだから、価値は相当なものと誰しもがさとるにやすい。

「美しさ一際っスね。目が離せません」

「ったく。何言っとんだか。これはいつ盗られんともわからんのだからな」

 目が離せない意味が、土橋課長と都築正義の間で食い違う。

「大体、これの持ち主は世界屈指のオパールマニアの男性だ。白髪の淑女なんて、見当違いもはなはだしい」

 土橋課長が鼻息荒く吐き捨てる。太い腕を組んで、『銀河の雫』から顔を上げた。

「クソ、かたゆでたまごめ……。のこのこ現れてみろ。明日こそふん捕まえてやる」

 横目で土橋課長の独り言をクスリとする、都築正義。

「ところで課長。解けました? 予告状の謎」

 『銀河の雫』から目を離さぬまま問う、都築正義。土橋課長は「ハン」と鼻でわらった。

「あんなもん解かんでも、『明日みょうじつ』って書いてあるんだから明日に決まってんだろ。今日明日中こうして張ってれば、回避できる案件だ」

「雑だなぁ、課長は」

 わざとらしく肩を竦めて、都築正義は首を振った。

「僕は解けましたよ」

「あん?」

「解けた上で相談なんですけど、人員配置に作戦がありまして」

 口をポカンと開けたまま、土橋課長は都築正義の左横顔を見つめる。その視線に、ふと目を上げる都築正義は、凄味あるまなざしで土橋課長を見つめ返した。

「人員配置図、もう一回見せてくれませんか」

 三〇秒、そうして固まる二人。

 やがて折れる形で、土橋課長は胸元から三折りにしたA4紙を取り出す。

「都築、お前、そんなこと考えられる脳ミソあったのか?」

 取り出されたものの、A4紙は広げられぬままその手に留まり、更に土橋課長は、都築正義を睨んでいる。

「やだなぁ、めてもらっちゃ困りますよ。一応これでも、謎解きは得意なんです」

「ゲームとは違うぞ、わかっとんのか」

「当たり前じゃないですか。至極真剣そのものですよ」

 柔らかい笑みの都築正義。土橋課長は都築正義を怪しんでいる。

 都築正義は瞼をパタリと閉じ、土橋課長の視線を切った。

「わかりました。そこまで言うなら、僕の推理をご披露します」

 三折りにしたA4紙を、自らのスーツジャケット外側の胸ポケットから引き抜く都築正義。開かれたそこにある文面は、かたゆでたまごからの予告状。

「まず。この『とり鳴きし』。これは、この美術館のどこから侵入するかを表してます」

 A4紙に右人差し指を突き付ける、都築正義。

「この美術館は、上から見ると八角形をしてるんです。北側をの方角にあてはめると、とりの方角──つまりは西。この美術館の西側は、何がありますか?」

「美術品運搬口、だが」

「そう!」

 声を大きく被せる都築正義。半ば興奮したかのような発声に、他の警察官らはビクッと肩を震わす。

「美術品運搬口……それは裏口とも言えますよね。裏口が開くのは閉館三〇分後の二一時三〇分が一番早い。この『とり鳴きし』の『鳴く』が美術品運搬口が開くことに相当する、よって──」

 スゥと深く吸い込む都築正義へ、生唾を呑む土橋課長。

「──侵入予定時刻は、明日の二一時三〇分です」

 シン、と静まり返っていた展示ホールに、微かに「おぉ」と驚嘆の溜め息が漏れる。

「ふん、なるほどな。考えたじゃないか、都築にしては珍しく」

「いやあ、恐れ入りますゥ」

「だったら尚わからん。そこの『正刻』っつのは、なんのことだ」

「正しい時──ピッタリに、って意味じゃないですかね?」

「『ないですかね?』じゃあないだろう。ここまでやったんならキッチリ解明せんか」

「まあまあ。ここまでわかったからこそ、人員配置に作戦を設けてきたわけですから。ね? 信じてもらえました?」

 にっこにっこと花が舞うほどの笑みを向ける都築正義。呆れたように、土橋課長は自らの持つA4紙を広げ見せた。

「で? お前はどこにどう配置し直せって言うんだ」

 向けられた紙面へ、まばたきをふたつ重ねる都築正義。薄く笑んで、右人差し指を指していく。

「さっき僕が言った推理に添うには、まずここが手薄です。あとここ。ここも奴らが通りそうだからここも。あとここには多すぎますね、ここからこっちへ人を持っていきましょう」

「フム……検討しよう」

「ダメです、土橋課長。決定してください。すぐに」

 強い口調の都築正義に睨まれた土橋課長。眉を寄せ、無精髭の目立つ顎を引く。

「ま、まぁ、じゃあすぐに反映しよう……」

「ありがとうございますっ!」

 強引に押される形で、そうして人員配置が改められると、土橋課長は手にしている無線で、各所へ改訂の連絡を入れた。

「そういうわけだから土橋課長。こうして貼り付いていても奴らは明日にならなければ恐らく現れません」

 都築正義はふたつまばたきを重ね、人員配置図を折り畳む。

「護衛兼逮捕劇は、明日改めればいいのではありませんかね?」

「フム、そうだな。よし、少数名だけ残り、あとは一時解散とするか」

「はーいっ! かしこまりましたっ」

 満面の笑みの都築正義のその声は、展示ホールに高く抜けた。



     ♧  *  ●



『おい。地が出てたぞ、気を付けろ』

 左耳に響く透明感だけはいっちょ前な男声に、目元だけを真顔に戻す『彼』。

「ウルサイな。それより、ちゃんと送れてた?」

『バチこい』

「まばたき二回がシャッターだったよね?」

『そ。不用意に二回連続でまばたきすんなよ』

「オケ」

 美術館内を闊歩かっぽする革靴の音。一定のリズムを刻んでいたそれは、徐々に疾走に変わっていく。

「予告状どおり、今回も遂行しちゃうよ、きょう

Obviously当然だろ瑠由るう


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