番外編 王太子殿下は夕焼けの空に思う


学園卒業から三年後、私は母上の生国の姫君と婚姻した。


国内のまともな貴族からはそっぽを向かれ、寄ってくるのは出世に目が眩んだハイエナばかり。


こんな私に嫁ぎたくは無かっただろう妃は、それでも王太子妃としての務めを果たそうと、明るく振る舞ってくれている。

母上と同じ金茶の髪に緑の瞳。

少し落ち着きのない所があるが、とても前向きで強い女性だ。



「殿下と婚約者だったご令嬢とのお話しは、王妃様からお伺いいたしました。その事で殿下が立たされているお立場も」


彼女は私の目を真っ直ぐに見て言った。

妃となる為我が国に来て、初めて会った時の事だ。


私はバレット公爵家とその派閥という後ろ盾を無くし、貴族達の信頼を失っていた。

特に私が王となった時に支えてくれる筈の、同世代の貴族達の信頼は底辺まで落ちていた。

彼等は私のローゼリアに対する仕打ちを、学園で直接見聞きしていた。

信頼しろという方が無理だろう。


「一度失った信頼を取り戻すのは並大抵の事ではありません。ですが、互いを良く理解し合い、良い関係を作って行けば、いつかは信頼が生まれると思っておりますの」


それは母上が良く言っている事だった。

幼い頃から聞かされ、私自身そう信じていた。


私との間に信頼関係が無くなったと、婚約解消を求めて来たローゼリア。

そこにあると思っていた信頼を失った時、どれ程空虚な気持ちになるか、今の私なら痛い程分かる。


「殿下、まずはひとつづつ。一歩づつですわ」


初めて会った未来の妃はそう言ってにっこり微笑んだ。

鼻の頭にそばかすがあるのが見えた。


「まずは、わたくしと理解し合う事から始めましょう」


私には勿体ないくらい、前向きで強い女性だった。




「バレット公爵が?」


「正確にはその跡取りが、ですわ」


私は信じられない思いで妃を見つめた。

金茶の髪を結い上げ、緑の瞳をキラキラ輝かせている。


「わたくしも話しを聞いた時は信じられませんでしたけれど、バレット公爵はこれから二〜三年の内にご子息に跡を譲ろうと準備を始めたそうですの」


ローゼリアの父であるバレット公爵は、まだまだ働き盛りだ。

隠居生活を送るには早すぎる。


「次期バレット公爵は、あなたの後ろ盾になってくれると仰っていましたわ」


「信じられない」


次期バレット公爵とはローゼリアの兄の事だ。

あの事件があった時には隣国に留学していたが、帰国してからたまたま夜会で顔を合わせた時、恐ろしい程憎々しげに私を睨んでいたのだ。


可愛がっていた妹に手を上げ傷付けた、元婚約者である私の後ろ盾になるなんて考えられない。


「何でもかんでも信じてしまうのは問題ですが、今回の話しは信じても良さそうですわよ」


妃がふと目線を下げた。


「あなたの元婚約者様が、ずっとお父様とお兄様を説得してくださっていたのです。あなたが王となった時に安定した治世を送れるように」


私は驚いて妃を見た。

妃は目を細めて私を見ていた。


ローゼリアは私との婚約解消後、学園を退学してターナー辺境伯に嫁いで行った。

結局あの後一度も会う機会は無く、手紙の返事も来なかった。


ターナー辺境伯は大柄な熊のような男で、王国騎士団にいた頃、剣の稽古をつけて貰った覚えがあった。

歳はかなり離れているが、謹厳実直なあの男ならローゼリアを幸せにしてくれるだろうと、自分を納得させたのだ。


「ローゼリアが…」


思わず名前を口にして、懐かしさで胸が一杯になる。


燃えるように鮮やかな赤い髪、深い知性を湛えた紫の瞳、優しく微笑む形の良い唇、甘い香り…。


「妬けますわ」


妃の声に我に帰る。


「とても、お美しい方だとお聞きしますもの」


妃はそっと自分の鼻に手をやる。

そばかすを気にしているのだ。


「確かに、人目を引く華やかな美しい人だった。でもそれ以上に聡明で優しい人なんだよ」


妃は私から顔を背けると、明るい声で言った。


「これで貴族間にあるわだかまりが少し無くなるかもしれません。一番の要因であったバレット公爵家があなたの後ろ盾に戻るのですから」


妃の顔が窓から差し込む夕日に赤く染まる。

その瞳が微かに翳って見えるのは気のせいではないだろう。


「私は君のそばかすが好きだよ」


「そばかすの事を言うのは止めてください!」


妃はそう言うと両手で鼻を隠してしまった。


「こんな私の妃になって、辛い事の方が多いだろうに、矢面に立ちながらも明るく前を向いて立ち向かって行く」


私は妃の前に立ちその緑の瞳を見つめた。


「私は君のそばかすが好きだよ」


そう言って妃をそっと抱きしめる。

最初は落ち着きなくもぞもぞしていたが、徐々に力が抜けてくる。

暫くそうしていたら、妃が顔を上げて私を見た。


「いつか、わたくしのそばかすではなくて、わたくしを好きだと言わせてみせますわ」


妃はそう言うと、私の腕の中で微笑んだ。



西の空が赤く燃える。

彼女の髪色に似た夕焼けの空を見ながら、私は思う。


あの時、私は多くのものを失ってしまった。

長年かけて培った王太子としての信頼も、心を許した側近も、愛する人も…。


失ったものは多過ぎて、取り戻せないものもあるけれど、こうしてまたかけがえのない存在に出会う事が出来た。



私は願う。

今はもう手の届かない彼女の幸せを。


私は願う。

今腕の中にいるそばかすの愛らしい妃の幸せを。


赤い夕焼けの空に、私は願う。

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