公爵令嬢は王太子殿下との婚約解消を望む3


その日、物凄い勢いで走って来た王太子殿下に、いきなり頬を叩かれた。

衝撃で廊下の壁に飛ばされ、強かに体を打ち付け床に崩れ落ちた。

何が起こったのか分からず、痛みと恐怖で震えるわたくしに向かって、王太子殿下が捲し立てた。


「ユリアを階段から突き落としたな!何て事をするんだ!嫌な女だと思ってはいたが、こんな酷い事をするなんて!」


怒り狂う王太子殿下に、護衛が声をかけた。


「それは何時頃の事ですか?」


「ついさっきだ!今、医務室に連れて行った所でこの女を見つけたから追いかけて来たんだ!」


「だとしたら、それはバレット公爵令嬢ではありません。つい先程まで学園長先生とお話しをしていて、教室に戻るところなんですから」


「それに、私達がずっとご一緒しておりました。ローゼリア様は、そのような恐ろしい事はしておりません」


「うるさい!お前達は誰の許可を得て私に口答えをしているんだ!」


王太子殿下は廊下に蹲ったまま動けないでいたわたくしの胸ぐらを掴んで引き上げた。

護衛の静止する声と、令嬢達の悲鳴が響き渡る。


「いいか!二度とユリアに近づくな!私にもだ!」


ドンッ!


王太子殿下に突き飛ばされ、また壁に体を打ち付ける。


「二度と私にその醜い顔を見せるな!」


衝撃で涙が溢れた目に、王太子殿下が足音荒く立ち去る後ろ姿が見えた。


「医務室に…」


「っ、いいえ。今医務室に行ったら、王太子殿下と彼女がいますでしょう。今日はこのまま邸に帰ります」


わたくしがそう言うと、護衛とご令嬢方がわたくしを支えて馬車まで連れて行ってくれた。

ご令嬢の中にはショックで泣いている方もいて、申し訳なくて堪らなかった。


「わたくし、父に相談してみますわ」


馬車に乗る前にそう言うと、護衛もご令嬢方も安心したように微笑んだ。




王太子殿下が彼女に惹かれている事は分かっていた。

それを止める事が出来なかったのは、わたくしに魅力が無かったからだろう。


それでも、いつか王太子殿下が仰っていたように、信頼で繋がった関係になれると思っていた。

愛されていなくても、国を導くと言う重責を負った王太子殿下を支える事は出来ると思っていた。


でも、いくらわたくしが言葉を尽くしても、他者の証言があっても、証拠となるものを提示しても、王太子殿下はわたくしを信じてはくださらなかった。


やってもいない事をお前がやったのだろうと責め立てられる度に、王太子殿下のわたくしへの信頼の無さに傷付き、わたくしの王太子殿下への信頼も薄れて行った。




「お父様、わたくしは王太子殿下に全く信頼されなくなってしまったのです」


お父様は張り詰めた辛そうな顔で、わたくしの話しを聞いている。


「わたくしに、王太子殿下の婚約者…未来の王妃は務まりません」


お父様が張り詰めた表情のまま、わたくしの左頬に手を伸ばす。


王太子殿下に叩かれた頬は赤紫色に腫れ上がり、唇は切れ、その唇も青く腫れている。

左眼も血のような赤に染まっていて、壁に二度もぶつかったせいで体も痣だらけだ。


頬と目に当て布をしているけど、はみ出した変色部分が痛々しいと、お母様が泣いてしまった。

隣国に留学しているお兄様も、この事を知ったら悲しむだろう。


「責めないのか?」


お父様の目にも涙が浮かんでいる。


「王太子殿下を…この婚約を決めた私を…」


「責めたりいたしませんわ」


お父様が下を向き涙が一粒膝に落ちる。

生まれて初めて見るお父様の涙。


「わたくしの力不足だったのです」


わたくしの頬に触れるお父様の手にそっと自分の手を重ねる。


「お父様、ご期待に添えられず申し訳ありませんでした」


お父様、お母様、お兄様。

国王陛下に王妃殿下。

いつか王妃になる筈だったわたくしに教育をしてくださった先生方やお世話をしてくれた方々。

皆に申し訳ない気持ちで一杯だ。



「お父様、どうかアラン王太子殿下との婚約を解消してください」

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