第29話 婚約と、初めての……
私のために離宮に集まってくれた皆を横目に、陛下と私は中座して、部屋を出て庭に出た。
陛下に誘われたのは、離宮の庭の中で少し小高くなっている場所に建てられた東屋だった。この間二人で話した場所でもある。
「……少し、冷えるか」
陛下は、私が畏れ多いと制止するのを気にもせず、羽織っていたマントを外し、私の肩にかけてくれた。そして、そのまま、東屋の椅子に腰を下ろすように勧められる。
私が、椅子に腰を下ろすのを確認すると、陛下はその隣に腰を下ろす。
「話は二つあってな。まずは、これだ」
陛下が、懐から、細長いいわゆるアクセサリーを入れるような入れ物を取り出し、テーブルの上に載せる。
「其方は、アスタロトに頼んでおいたおかげで、ドレスにはこと欠かなくなったようだが、宝石など身を飾るものを強請るでもない。……ならば、初めてのものは、私から贈ろうと思ってな」
スイ、っとテーブルの上で、ケースを私の方へと滑らせる。
「これを、私に?」
私は、両の手の指先でそっとその箱に触れる。
「ああ、開けてみてくれ。気にいるといいのだが」
ケースを開くと、中に収まっていたものは、実に繊細な細工の華奢なネックレスとイヤリングだった。
ミスリルで作られたそれは、蔦と葉を意匠した繊細なチェーンが幾重にも絡み合い、ネックレスを形作っている。そして、顔周りを飾る中央周辺には、同じくミスリルで象られた鈴蘭の花が散らばっている。
「……かわいい……、でも、あら?」
その鈴蘭の細工は、普通想像する色味ではなかったのだ。
鈴蘭の中の花芯が、一般的な白や花弁と同じ銀ではなく、黒い小さなビーズ状のオニキスが隠されていた。
「ユリア。私は、其方を手放したくはない。まずはこの小ささからであっても、私の髪の色を身に纏わせたいと思うくらいにはな」
「……陛下、それって」
陛下が、ネックレスのケースから、ネックレスとイヤリングを取り上げる。その瞬間、私の指先を陛下の指先が触れる。その瞬間、互いに顔をあげて、ごく自然に私と陛下の視線が交差する。
陛下の顔が、不意に私の顔のごく近くまで寄せられる。まるで、吐息も届いてしまいそうだ。
「……触れたい」
その言葉のとおり、私は、そっと唇に唇を重ねるだけの、優しい口づけを陛下から受けた。
胸が激しく高鳴る。この音、陛下に聞こえちゃったりしないかしら。
それに、息、息、息。
いつまで呼吸止めていたらいいのかしら。
必死に考えながら口付けを受けていると、やがて、陛下の唇が離れていき、陛下の顔が今度は私の耳元に寄せられる。
「……口付け中の呼吸は、適度に口付けながら口でするものだ。でないと窒息するぞ」
甘い声で耳元に囁かれて、体の奥から言いようもない感覚にゾクッと襲われる。
「あ……」
頬が紅潮し、自分でも知らなかった、掠れた甘い声が漏れる。
「――っ、んんっ」
急に立ち上がった陛下が、私から顔を背け、口元を手で隠す。
「その顔と声は反則だ。私が止まらなくなる」
そして、陛下は私の背後に回る。そして、ネックレスの蝶番を外す。
「ユリア、これをつけたいから、髪を避けて置いてくれないか」
そう頼まれて、私は自分の銀の長い髪を片方にまとめて避ける。
ひんやりと金属が肌に触れる感触がして、鎖骨の中央の窪みのあたりから、華奢なネックレスが私の肌に載せられていき。最後に、首の裏で蝶番が嵌められる。そして、両耳にイヤリングが嵌められる。
「この意匠は、其方の銀の髪と、俺の髪の色をイメージして造らせたものだ。このネックレスのように、ずっと俺と共にいてくれないか」
両の手が私の肩に載せられる。
「……婚約を、して欲しい」
そして、背後から、肩に載せられた手が離れ、陛下の長い腕が私の首周りに絡められる。陛下の吐息が熱い。
「婚約をすれば、それを理由に其方の返却要求も拒めよう。……私は、賢く朗らかで優しく愛らしい其方を、手放したくはないのだ」
私の瞳に涙が溢れ、ほろり、ほろりと涙がこぼれ落ちていく。
――こんなに求めていただいて。なんて私は幸せ者なのだろう。
こぼれ落ちる涙をそのままに、首に緩く絡められる陛下の腕に、私は手を触れた。
「そのお申し出、謹んでお受けいたします。……私はとても果報者です」
千花の二十九年とユリアの二十年を合わせても、これだけ男性に大切に思われ、求められたことがあっただろうか。
「――っ、ユリア!」
陛下は首に回した腕を解き、私の隣に再び腰を下ろす。そして、私の両の首に手を添えて私の顔を上げさせられる。
陛下の唇が、私の濡れた眦や頬に何度も触れてきて、涙を掬い取る。
その口付けは、喜びが生む私の涙が止むまで、終わることはなかった。
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