第20話 捏ねないパン
やっぱり、パンが硬いのは嫌よね。美味しいパンが食べたいわ。
それには、やはり『天然酵母』をつくらないといけないわよね。
「ルリ。この辺りに、ベリーとか葡萄のなる木はあるかしら?」
私はルリに尋ねてみた。
すると、タイミングが良かったらしい。
「ちょうど今日、森にブラックベリーを採りに行った侍女達がおりまして。ジャムにする予定ですが、ご必要なら、お分けしましょうか?」
と言うことで、ビンにブラックベリーを分けてもらって、同じ重さのお水を入れる。そして蜂蜜をスプーンで加えた。
「それは、何をお作りになるんですか?」
ルリが興味深そうに聞いてくる。
「これを時間をかけて育ててやると、パンがふっくらする元ができるのよ」
すると、ルリが目をまん丸くする。
「パンって言ったら、ぺったんこと相場は決まっておりますが……」
その言葉に、私はくすりと笑う。うん、そう、この世界にはまだ、パン酵母というものを使っていないのだ。
「それは、完成してのお楽しみよ、ルリ。少し日にちがかかるから、できれば厨房の少し暖かいくらいの場所に保管させて欲しいんだけれど……」
すると、厨房の責任者のハンスに聞こえていたようで、快く引き受けてくれた。
約一週間ほど、私は酵母の様子を見に、毎日厨房に通った。
毎回、蓋をしてよく振って混ぜることの繰り返しだ。
そのうち泡がたくさんできるから、蓋を開けて「プシュッ」と言ったら、完成。
次に、パン種といきたいところなんだけれど……。残念ながら分量を正確に覚えていない。
でも、気楽に作れる『こねないふんわりパン』なら、千花時代によく作っていたし、あれならなんとか作れそう。さつまいもや葡萄なんかを入れるアレンジも可能だ。
手抜きというなかれ。美味しいんだから!
この国は秤もあって便利なんだけれど、日本ではグラム(g)だったのに比べて、こっちでは、ジー(G)って単位なの。
小麦粉200Gに、酵母液を150G、塩少々。以上!
ね、これだったら、覚えてられるでしょう!(えへん)
本当は強力粉が欲しいけど、そこまでの精密さはないようだから、妥協する。
あとは、これらをボウルの中に全部入れて、スプーンで粉気がなくなるまで混ぜる。
そして、二倍になるまで発酵させる。一次発酵だ。
ちなみに、ここで冷蔵庫に保管すると、食べたい時に焼けるわ。
「うわあ、膨らみましたね!」
見学に来ていたハンス達厨房組や、ルリ達侍女組がその変化に驚いて目を見張る。
驚くのは当然よね。パンはぺたんこが常識なんだから!
あとは、少し生地を引き伸ばしてから整形して、オーブン用の金属のトレーに生地を乗せ、ニ次発酵させて、オーブンで焼くだけ!
「うわあ! とってもいい匂いがしてきました」
「まだ膨らんでるわ!」
私は、ミトンをつけて、オーブントレーの取っ手を持って、ゆっくりと焼き上がったパンを取り出す。
「まん丸だ!」
誰かが真っ先に歓声をあげる。それにつられるように、皆が口々に驚きを言葉にして表現する。
オーブンから姿を表したのが、ブールのような形の柔らかいパンだったからだ。
「じゃあ、ここにいるみんなで味見をしてみましょう」
私は、パン切り板の上にパンを移し、大きめのナイフで薄く切っていく。
そうして、集まったみんなに味見をしてもらった。
「「「ふわふわ〜!」」」
皆が、美味しそうにまだ湯気の立つ焼き上がったばかりのパンを頬張る。
「……これは、是非陛下達にご賞味いただきたいですね!」
満場一致だった。
「これは今までのものと比べたら段違いです! むしろ、陛下方だけでなく、我ら使用人のパンもこちらに変えていただきたい!」
厨房の責任者のハンスが、拳を握りながら私に訴えてくる。
すると、そこにいた使用人達全員が深く頷いた。
「まあ、このパンは材料もそんなに贅沢ではないし、国庫の負担を増やすほどのことはないわよね……」
私は、それなら、みんなが美味しいパンを食べられるようになるほうが良いのではないかと思った。
「厨房担当の者に、この素晴らしいパンの作り方をご教授ください。きっと、再現して見せましょう!」
というわけで、陛下方の明日の朝用のパンを、ハンス達厨房係達に教えながら、もう一回作ることになったのだ。
◆
そして翌日。
「なんだ? これは」
ルシファーが、給仕係の運んできた朝食の中に、見たことのない、ふわふわとした周りが茶色く狐色で、真ん中が真っ白いものを手に取った。
まだ温かいそれは、さわれば触るほどふにふにと柔らかく弾力がある。
「はい、昨日、離宮のユリア様がご教授くださった、『柔らかいパン』でございます。勿論、毒味も済ませておりますので、ご賞味ください」
そう告げると、給仕のものは一礼して部屋を後にした。
「これが、パン……」
一口それを口に含むと、しっとりふんわりとして食べやすい。
そして、ユリアが考えた、という言葉から、そのパンの柔らかさは、ユリアの手の柔らかさと、しっとりとしたキメの細かい肌触りをルシファーに思い出させた。
「贈り物を用意させている間に、またもや彼女に素晴らしいものを教えてもらったな……」
ふう、とため息をつきながら、次に会う日に想いを馳せるのだった。
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