第4話 憧れのスローライフ

「え? この離宮で好きにすればいい?」

 私は、アスタロトの配下のルリという名のメイドにそう告げられた。

「はい。魔王陛下は、ユリア様に婚姻を強要する気はないと。また、ユリア様には、まずは体の回復を。そして、その後はご自由に過ごして構わないとの言伝です」

 うやうやしく、上司からの伝言を告げるルリ。

 でも、その時の私、前世は過労死、現世でも過労死寸前だった私は、『婚姻をする気がない』という言葉には、一切の興味も覚えなかった。


 それよりも!

 ――人間にこき使われてきた私を、魔族が自由にしてくれるなんて!


「本当に、自由にしていいのね!」

 私は、ルリの両肩を掴んで揺さぶる。

 その勢いに驚きながらも、ルリは答えてくれた。

「はい、そのように承っております。ユリア様には、この離宮にて、客人として思うように過ごしていただきたいと」

 再び恭しく礼をするルリ。


 そんな彼女を横目に、私は夢想する。前世の千花の頃から憧れていた、自分のためだけに贅沢に使える自由な時間! アロマテラピーの良い香りに包まれながら、ただ、休息を取るだけの時。ああ、ジャムも煮たい。それと、好きな本を読んで違う世界に夢を馳せる時間……。

 何をしようかしら……。


 ――憧れだったスローライフを送ろう!


 私は、そこに想いを馳せるのだった。



 ある日、私は、鏡で自分の顔を眺めていた。

「ずいぶんくたびれているわね」

 確かに、ユリアの持っている素材はいい。銀糸の長い髪、抜けるように白い肌、銀糸の冷たい印象を和らげる優しげな緑の瞳。

 でも、髪は艶を失い毛先は枝毛ができてしまっている。目の下に出来たクマはまだ取り切れていない。肌も乾燥気味だ。手指もなぜこんなに荒れているのだろう。

 日々の聖女としての務めに追われ、こういったところまで気配りができていなかった。


「まだ二十歳だっていうのに、これはないわね」

 髪の毛は一度長さを短くした方が良いかもしれない。そして、何か良いオイルで保湿して……。

「……オイル」

 はた、とそこで思いついた。


「フローラルウォーターは化粧水になるわね。そしてそれを作る過程で、アロマオイルも取れるわ。それと、髪の毛になら、椿オイルが一番よね。欲しいなあ」

 フローラルウォーターとは、芳香蒸留水とも言って、蒸留器なんかで水の蒸気が上がっていく途中で花やハーブを蒸すことで出来るんだけど、蒸し器なんかの、手ごろな道具でも出来る。フローラルウォーターには、花に含まれる様々な美容成分が水に溶け込むので、安上がりな化粧水になるのだ。そして同時にわずかだけれど、アロマオイルも採取できる。


 そしてオイル。元日本人の私である。ヘアオイルなら椿オイルだろうという短絡思考はお許し願いたい。しかも、ユリアの髪は細く長いストレートヘアである。ならば、やはり、シンプルに椿オイルが一番良さそうな気がするのだ。


「アロマオイルや椿オイルって言ったら、まずはお花よね。庭にはどんな花があるのかしら?」

 部屋の窓から庭を眺めると、たくさんの薔薇の花が咲いているのに目についた。

「薔薇のフローラルウォーターやアロマオイルっていったら、高級品よね。たしか肌への効果も高かったはず」

 まあ、その中でもこだわるならダマスクローズだけれど、そこは妥協よね。


 チリンと呼び鈴を振って、私付きのメイドであるルリを呼ぶ。しばらくすると、彼女が入り口をノックして、やってきたことを告げる。

「ルリ、入って。お庭に出たいの。着替えを手伝ってくれないかしら」

 扉の向こうのルリにそう告げると、「かしこまりました」という返事とともに扉が開いて、彼女が一礼をしてから、可動式の小さなテーブルに水の入ったボウルとタオルを載せたものを押して、部屋に入ってくる。

 私は促されるままに、その水で顔と口腔内を清める。

 そして次に、ルリはクローゼットと思われる家具の扉を開く。中には、本当に最低限の衣類しかかけられていなかった。


 ――中身、少なっ!


 思わず顔に出ていたのだろう。ルリが苦笑いしながら説明をしてくれた。

「突然のお話で、ユリア様の体のサイズも事前に調べることもままなりませんでしたし、まさか人間どもが、ユリア様を着の身着のままで馬車に押し込めるという非道をするとも、よもや思いませんでしたので……。ゆったりしたどなたでも合わせられるものをひとまずご用意させていただいております」

 そう謝罪の言葉を述べながらも、その数枚のうちから、外に着て出かけられるものを私に指し示して、私に選ばせてくれた。


「そうよね。私の状況自体がおかしいんだものね。むしろ、魔族の方々には、急な話でお手間ばかりをかけているわね。……ごめんなさい」

 ルリに着付けをしてもらいながら、私の方が下を向いてしまう。

「ユリア様が謝るなんてとんでもない! それに、そんな顔をなさらないでください。今、アスタロト様がユリア様にお似合いの服をあつらえさせると張り切ってらっしゃいますから! ユリア様は楽しみに待っていてくださいね」

 私の簡易なドレスを着付けさせ終えてから、ルリは私の方に顔を向けてにっこりと笑ってくれる。


「ところで、御髪はどうしましょう?」

 私をドレッサーの椅子に案内しながらルリが尋ねる。

「外で、薔薇の花摘みをしたいの。だから、邪魔にならない程度にシンプルにまとめて欲しいわ。ほら見て、毛先も痛んでしまっているから……。髪の毛の負担にならない程度のセットにして頂戴」

 椅子に腰掛け、私の髪の毛を掬い取り、その毛先をルリに見せる。


 痛んだ毛先を見せられたルリは、悲しげに少し首を傾けて眉を下げる。

「まあ……。これは、あとで、整髪師に毛先を整えに参るよう申し伝えておきましょう」

 そう言いながら、緩やかな編み込みでサイドをまとめ、後ろで一括りにした後、そのシンプルさを補うようにレースでできたリボンで飾ってくれた。

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