第3話 魔王領

 明るい日差しに、私はうっすらと目を開けた。

「ようやく起きたぁ?」

 女性の声で話しかけられる。


 私は、ようやく慣れてきた目でその声の主を見る。

 赤く艶やかな唇が印象的な女性。髪も目も扇情的な赤。もちろんその肢体も女性として完璧に作られた姿か思うほど。着ている黒の豪奢なドレスは、出るところはハッキリ出て、引っ込むところは引っ込んでいることを強調している。

 そして、その赤い髪から、二本のヤギのツノが生えていた。


「ま、ぞく……」

 彼女から、その圧倒的な力を感じ、生死を握られているという本能的な恐怖に声がかすれる。

「大丈夫よ。いきなりとって食いやしないから。殺すなら、あなたがすやすやと寝ている間にとっくに殺しているわ」

 私の様子がおかしかったのか、面白そうにクスクスと笑う。


 あ、それもそうね。魔力回復のためとはいえ、寝るのは不味かったかしら。でも、まさか、魔王領に来るまで目を覚まさないなんて、思わなかったのよね……。

「図々しく、寝たままで申し訳ありません。私はユリアと申します」

 ベッドに横たわったままの体を慌てて起こそうとすると、それは、赤髪の女性に肩をそっと押されて制止された。


「私は、魔王陛下直属の四天王を拝命している、アスタロトよ。よろしくねん」

 そう言って、彼女はぱちんとウインクをする。

「アスタロト、様……」

「やだぁ! 『様』なんていらないわよ! そのまま呼んで!」

 私なんかが、呼び捨てにしていいはずの身分の人じゃないはずだけれど……、上位の相手の言うことだ。素直に私は、こくん、とうなずいた。


 すると、それを見たアスタロトは満足そうに微笑み、続けて私の今の状況を教えてくれた。

「あなたは、魔力枯渇による酷い過労状態よ。魔力は酷使し過ぎればしすぎるほど、回復は遅くなる悪循環なのよね。だからか、魔王領の入り口について、王国側の騎士から私がその身を譲り受けて、馬車からなんとか出して、抱き抱えて魔王城まで転移してきても目を覚さなかったの」

 無防備というより、私はもう、一度休んだら起きられないほどに疲労していたらしい。

「だから、まずはあなたのために整えてあった離宮……、ここのことね。そのベッドでずっと休んでもらっていたのよ」

「ありがとう……ございます」

 私の言葉に、アスタロトの瞳が優しく細められる。


「起きたのなら、粥でも用意させましょうか。そうね、麦の粒もすりつぶしたものがいいわ。ちょっと話をしてくるから、しばらく休んでいて」

 そう言って、離宮だという私のいる部屋を彼女は後にした。


 ◆


 アスタロトは激昂していた。

 ユリアという、なかば人間が勝手に押し付けてきたあの人間はなんだ。


 彼女は、ユリアが気に入らないのではない。問題は彼女の体の状態と、彼女を押し付けてきた国の思惑だ。

 ユリアには、数え切れないほどの魔力枯渇を起こしてきた形跡があった。あれ以上無理をさせていれば、もしかしたら死んでいたかもしれないほどの状態だ。

 そして、そんな状態の彼女に追い討ちをかけるかのように、『聖女』という肩書をもって、我が国に嫁入りとは名ばかりの人質のように放り出されてきたのだ。


「かわいそうに……」

 アスタロトは、ようやく目覚めたばかりの、弱り切ったユリアに哀れみの感情を抱いていた。普通人間は魔族を恐れる。輿入れの名目で魔王領に一人(侍女もなしだ!)放り出されて、さぞかし心細かっただろう。

「一体、人間どもは何を考えているのよ!」

 バアン! と、一際豪奢な扉を彼女は乱暴に開けた。


「ちょっと、アスタロト。ここ、陛下の執務室だよ」

 そう、苦言を言うのは、四天王の一人であり、宰相でもあるアドラメレク。彼が軽い口調で彼女を嗜める。それに対してアスタロトは、怒りをそのまま視線でアドラメレクにぶつける。


「おやおや、女帝はお怒りのようだ」

 肩を竦めて見せるその青年の外見は二十五歳前後。そして目を引くのは、彼の出で立ちが、華美、妖艶で表されること。緩やかな癖を描くショートボブの髪は濃いエメラルド色で、同色のまつ毛は影を落とすほどに長い。片目に泣きボクロをつけた瞳は濃いサファイアのよう。弧を描く唇は女のように赤い。体にフィットした真っ白なスーツ。そして極めつけが、マントの裾一面をレースのように飾る孔雀の羽であった。


 そして、その執務室の中央では、執務机で、魔王が仕事中だった。

 名はルシファー。外見は二十五歳程度。魔王を示す三つのヤギの角を持つ。黒の腰まで届く長い髪に、金の瞳。背が高く、黒のローブは金糸で編んだ平織りの紐で緩く結んでいる。その上から、黒い光沢のある生地に金糸の刺繍を豪奢に入れたローブを羽織っている。


「俺は、お前に彼女の対応を任せたにすぎん。俺に怒鳴れと命じた記憶はないが?」

 黄金色の彼の瞳がアスタロトを睨め付ける。

「俺は、山のように積み上がる書類に埋もれて死にそうだ。その上、人間の花嫁を迎えて構ってやれだと? そんな余裕が俺にどこにあるというんだ! そもそも花嫁など時間の浪費。不要だ!」

 そう言って立ち上がり、執務机に山のように積み上がる書類を指し示す。


「じゃあ、聖女ユリアの報告は不要ですか?」

 アスタロトは、その状況にため息をつきながら、彼らに尋ねる。それは、力では勝ると知っていても、国交上、必要だと理解していての言葉だ。

「あ、いや。……報告を頼む」

 執務椅子に腰を下ろし、ルシファーがアスタロトに説明を求める。なぜなら、彼がアスタロトに聖女ユリアについての扱いを一任したのだから。


 ふう、と一つ自分を落ち着かせるために、アスタロトは深呼吸をする。そして、彼女が知った、ユリアについての情報を魔王とその宰相に伝える。

 ユリアが、確かに聖女であるオーラを身に纏っていること、ただし使い捨てのボロ雑巾のような状態で魔王領に差し出されたこと、そして、……その潜在魔力、特に総魔力量が、四天王であるアスタロトですら計り知れないことを。


「……人間は馬鹿なのか?」

 アスタロトの報告に真っ先に反応したのは、宰相であるアドラメレクだった。

「アスタロト、貴女ですら計れないほどの潜在魔力量とはなんだ。そこまでの逸材を、追放さながらに我らに差し出すなど。人間は馬鹿なのか? 想像するに、人間どもは優秀な聖女を使い潰したとも理解せずに、使い物にならなくなったと勘違いして魔族に差し出したと?」

 孔雀の羽でできた扇子を広げ、その下でアドラメレクが不愉快そうに眉間にシワを寄せる。


「……どんな哀れな身の上でも、私は花嫁として受け入れる気はない! 私にそんな余裕はない!」

 ルシファーがそう断言してから、ため息をつく。


「その人間には、与えた離宮で自由にさせよ。まずは、体の回復が第一だろう。花嫁としての……、その、名目を気にする必要はない。離宮で好きにさせよ。客人として扱え」

 ルシファーは、後半、やや頬色を赤くしながらそう告げる。

 こうして、ユリアの身の扱いが決められたのだった。

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