第15話 死闘

「ハンナさんっ!」


 ハンナがその声に振り返ると、ハンナの右後方に弓を構えたアーベルが映った。

 アーベルが放った次の矢は、左目に刺さった矢にもだえ苦しむ巨熊の左わき腹に突き刺さり、巨熊に悲鳴を上げさせた。


 何故アーベルがここに・・・・・・

 ハンナはアーベルがここに居ることに驚きながらも立ち上がると、もだえ苦しむ巨熊から素早く距離をとった。

 そこに、弓を剣に持ち替えたアーベルが走ってきてハンナの横に並んで剣を構えた。


「アーベル......」

「ハンナさん!怪我は?」

「大丈夫......だ」


 ハンナはそう答えたが、実は着地に失敗した際に右足首を痛めたらしく、立ち上がる際に痛みを感じていた。だが全く動けない訳ではない。


「どうして......お前がここに」

「話は後で。先ずはアイツですよね」


 アーベルは巨熊から視線を逸らさずに、緊張した笑顔を浮かべた。


「アイツは頭がいい、スキルを知っている」

「僕が行きます」

「お前ひとりでは......私も」

「ハンナさんは風月の準備を。お願いします」


 アーベルは言い終わると、ハンナの忠告を聞かずに走り出した。


 巨熊は自分に苦痛を与えた、初めて見る人間に対して怒りの咆哮を上げて迎え撃つ。

 アーベルは全速力で真っすぐに巨熊に突っ込んでいき、巨熊は迎撃すべく巨大な右手を振りかぶった、が、アーベルは巨熊の十メートル程手前で大きく跳躍する。

 すると巨熊は巨木の陰に隠れようと振りかぶった腕を下げ、逃げの態勢を取った。

 アーベルはハンナが言った「スキルを知っている」という言葉で、巨熊が巨木を盾にしていることを見抜き、ハンナと同じようにフェイントを掛けて一気に距離を詰めると、再び跳躍して剣を一気に振り下ろした。


 ガキィィンっと巨熊が鋭い爪で剣を弾くと、アーベルは左に大きくジャンプして躱し、巨熊の右側面へと一気に突貫する。


「うおぉぉぉぁあーーー」


 アーベルが攻め、巨熊が防ぐ。

 それはまるで先程のハンナと巨熊の死闘の再現だった。


 しかし、巨熊にとって誤算だったのはハンナとの闘いとは一つ違うことがあったのだ。

 この人間は刃を交わせば躱すほど、スピードが衰えるどころか、剣の速さも技の切れも鋭さを増していくのだ。

 巨熊はいつの間にか防戦一方になり、反撃することが出来なくなっていた。


 だが、それはアーベルにとってもギリギリの戦いだった。

 一瞬でも気を抜けば、掠っただけでも致命傷となるであろうナイフのような爪の餌食になってしまう。

 それに、いくらアーベルがハンナよりも若く、体力があると言っても目の前の巨熊に比べるべくもない。

 また、巨熊の体毛は異常に固く、中途半端な力で剣を振るっても傷一つ付けることができない。


(だけど、やらなきゃハンナさんが!)


 アーベルは矢が刺さった巨熊の左側に回り込むように素早いスピードで移動して、反応が遅れた瞬間を見逃さずに一気に切り込んでいく。

 アーベルもあれほど左目の克服に苦労したのだ。

 ついさっき左目が使い物にならなくなった巨熊がすぐに対応できるはずがないと踏んだアーベルは、フェイントを掛けて素早く左に回り込む。すると、アーベルの動きを捉え切れない巨熊は苛立ちの咆哮を上げて左右に腕を振り回した。


(―――っつ、今だ!)


 巨熊がアーベルの動きに反応できなくなった一瞬の隙をついて、アーベルは左後方から全力で切りかかった、が、


「!?なん・・・・・・だ?」


 全力で切りかかった瞬間、まるで水中で振るうように剣が重くなり、アーベルの剣は浅く切り込んだだけで、大きなダメージを与えることが出来ない。


(一体今のは・・・・・・剣が突然重くなったような)


 寸での所で危機を脱し、態勢を立て直した巨熊が、傷をつけられた怒りで我を忘れて突進してきた。


(もう一回っ!)


 アーベルはまたその動きで巨熊を翻弄しつつ全力で切りかかるが、その瞬間、さっきと同じように剣が重くなり巨熊を取り逃がしてしまう。


(まただっ!また重くなった)


 牽制で剣を振るった場合はいつもと同じように振るえるのだが、ここぞという時、全力で剣を振るうと途端に剣が重くなる。

 何故全力で剣振ろうとすると急に重くなるのか全く分からないが、自分の体力がそろそろ限界に近づきつつあるのを分かっているアーベルは、最後の勝負に打って出た。


(剣がだめなら!)


 約十メートルの距離で再び巨熊と対峙したアーベルは真正面から全力で突貫すると、巨熊は目の前に迫ったアーベルを仕留めようと右手を横に振りぬいた。

 アーベルは上体を伏せ、巨熊の一撃を紙一重で躱すと、懐に潜り込んで一気に跳躍し、巨熊の顔に向けて剣を摺り上げた。


「うおぉぉぉぉーーー!」


 が、巨熊は顔を守るために、左手を上げてアーベルの剣を叩き落とそうとする。


(掛かった!)


 アーベルは空中で体を捻ると、がら空きになった巨熊の左わき腹に向けて渾身の回し蹴りを放った。

 そして、速度に乗ったアーベルの踵が左わき腹に刺さっていた矢の矢筈やはずを捉えると、一気に巨熊のわき腹に押し込んでいった。


「グギャオォォォォォォーーーーーーー!!」


 アーベルが押し込んだ矢が内蔵まで達し、巨熊が狂ったように甲高い悲鳴をあげてよろめいた瞬間をアーベルは見逃さず、全力で巨熊に体当たりをする。

 アーベルに対する怒りで我を忘れていた巨熊は、いつの間にか盾となる木が無い場所までおびき出されていて、斜面を下った先の木々の生えていない開けた空間に転落していく。


「ハンナさんっ!」


 体力を温存していたハンナは、既に足首の痛みを押して走り出していて、アーベルの声と共に大きくジャンプした。

 そして、空中で大きく円を描くように回転しながら剣を振り降ろす。


風月かぜつき―――」


 ハンナの剣から、圧縮されて揺らめくような三日月状の風が巻き起こると、すでに身を守る術を無くした巨熊の胸部にぶち当たり、音もなく大きな風穴を開けると、巨熊は、グルオォォと小さな断末魔を最後にその動きを漸く止めた。


 着地の際、さらに足首を痛めたハンナが地面に転がり大の字になって倒れ込むと、アーベルがハンナの元に駆け寄ってきた。


「ハンナさんっ!大丈夫ですか!」

「ああ、大丈夫だ」


 アーベルに上半身を抱え起こされたハンナはそう告げると、泣き出しそうな顔をアーベルに向ける。


「アーベル......お陰でアイツを、お父さんの仇を......討つことができた」


 ハンナはそう言うと、倒れて動かなくなった巨熊を一瞥してから、アーベルの右手をギュッと握った。

 ハンナの手を握り返してきたアーベルの手のひらは、四年間の訓練でゴツゴツとしていて、いつの間にかハンナの手より大きくなっている。


「お父さんの仇?ですか?」

「ああ、実はな......」


 ハンナは、白い巨熊とのいきさつから、何故急にアーベルを旅立たせようとしたかまでをアーベルに語った。


 ♢♢♢


「―――という事だ」


 全てを語ったハンナはそう言って立ち上がろうとするが、右足首の怪我が悪化したらしく、苦痛で顔を歪めた。


「ハンナさん?足をどうしたんです?」


 よろめいたハンナをアーベルがびっくりして支えるが、ハンナは苦笑いを浮かべて手を振る。


「少し痛めてしまったようだ。だが、普通に歩く分には問題ないさ」

「駄目ですよ。肩貸します」

「......そうか、悪いな」


 ハンナはいつの間にか自分よりも強くなったアーベルに甘えて肩を借りると、さて帰るか、と言って、ゆっくりと歩き出しながら一番の疑問を口にした。


「......ところでアーベル。なんでここに居る?」


 朝方別れたばかりなのに、こうやってすぐに顔を合わせている事を指摘されたアーベルは、恥ずかしさで少し顔を赤くした。


「実はあの後―――」


 今朝、家を出たアーベルは、最後にオリヴェルとハンナの夫に挨拶をしようと精霊の丘に寄ったのだ。

 そして、精霊の丘から家を見返した時にハンナが森に入って行くのを見て、昨日のハンナの様子から何かあるのかもしれないと思い、一旦家に戻って荷物を置いてからこっそりハンナの後を追った事を明かした。


「お前に余計な心配を掛けない様にしていたが、全て見抜かれていたとはな」

「でも、間に合ってよかったです」

「ああ、お陰で助かったよ。ありがとうアーベル」


 お礼を口にしたハンナは、いつもの悪い笑顔を浮かべて続けた。


「じゃあ、いつか一緒に狩りに行く約束はこれで果たした事になるのかな?」

「えっ!いや、だってまだ!きょ、今日のは無しです!明日改めて出発しますから、その後でまた......必ず、戻ってきますから」

「ハハッ!分かったよ。でもその頃にはアーベルに狩りの仕方を教えてもらわなければならないかもな!」


 そう言いあってお互い晴ればれした表情で笑いながら家路に着く二人だったが、十分程歩いた所で不意にアーベルが足を止めて背後を振り向いた。


「ん?どうした」

「......ハンナさん。何か感じませんか?」


 さっきまでの落ち着いた雰囲気から打って変わって強張ったアーベルの表情を見て、ハンナも後ろを振り返って気配を伺う。


(まさか、アイツが死んでいなかった?)


 すると、ハンナにもアーベルの口にした気配が感じられるようになってきた。

 だが、その気配は巨熊ではない。


「これは......この気配は、まさか......」


 ハンナは驚きの余り身動き一つせずに森の奥を見つめ続けた。


(この気配は間違いない。だが何故?)


 すると、二人が今来た道を辿るように、森の奥からソレがゆっくりと姿を現した。


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