第13話 旅立ち

 僕がこの森に来てから四年目の冬が終わろうとしていた。

 この森に来た時は十歳だった僕も今では十四歳で春には十五歳、大人の仲間入りだ。


 エンビ村の家族の事は一日だって忘れたことが無いし、今すぐにでも旅に出たい気持ちはある。

 だけど、こうして多少の力を身に付けた今だから分かるけど、四年前の僕があの時旅に出る事を選択しなくて本当に良かったと思っている。


 エンビ村と風車の森しか知らない僕には、この世界がどれほど広くて、どれほど危険なのか今もよく分からないけど、未だにハンナさんが許可をくれないってことは、今の僕ではまだ力不足なんだろう。


 だけど、半年ほど前にハンナさんに、旅に出れるのはいつ頃になるか聞いてみた事があったけど、その時に、あともう少し。と言われたので、その時が間近に迫っている事だけは分かったので、それからの訓練は更に気合を入れて行った。


 そして、僕は今日もハンナさんと狩りに来ていた。

 家から半日程度距離にある狩場で、狼の数が少し増えてきたので間引きをするために来たのだけど、何故か今日は狼の姿が一匹も見当たらない。

 少し前までこの狩場近くには沢山狼がいたはず。


「ハンナさん、おかしいですね」


 僕がハンナさんの方を振り返って疑問を口にすると、ハンナさんは少し離れた所で木の根元にしゃがんで何か考え込んでいた。

 僕もハンナさんの傍に行き、ハンナさんがじっと見ている物を覗き込んだ。


「これは......黒毛熊の毛ですか?」


 ハンナさんの視線の先の木の幹には、真っ白で短い動物の体毛が数本付着していた。


「......これは狼だな」

「えっ?でも......」


 ハンナさんは狼って断定したけど、狼の体毛はもっと細くて柔らかく、もう少し長いのに、この毛は色以外は黒毛熊の体毛にそっくりだ。


「多分大きくて強い個体がこのエリアに紛れ込んだんだろう。それで縄張り争いになって、今一時的にこの辺りに狼が居ないのかも知れないな」


 強くて大きいハグレ狼。

 あり得る話だけど、でもあの体毛は......


「でも―――」

「仮に黒毛熊だとしても私とアーベルだったら何の問題もないだろう?」


 確かに今の僕なら一人で二~三頭の黒毛熊だって相手にできるけど。


「狼が居ないなら仕方がない。今日は引き上げよう」


 ハンナさんはそう言ってとっとと帰り始めたので、僕は釈然としないながらもハンナさんの後を追って家路に着いた。

 帰り道でのハンナさんはいつもの様に時々冗談を言ったり、森の上に浮かぶ雲の流れで天気の予想をしたりと普段と全く変わらない様に見えたけど、時々真剣な表情で黙り込むことがあった。

 それだって普段のハンナさんにはよくあることなので、別におかしい事じゃないけど、僕にはなぜかそれが普段とは違うように感じられた。


 そしてその違和感の正体が分かったのは、その日の夕食が終わった直後だった。

 ハンナさんは話があると言って、いつも以上に真剣な眼差しで僕を見てきた。


「アーベル、ちょっと立ってみてくれないか」

「......良いですけど」


 ハンナさんが何をしたいか分からないまま僕が席を立つと、ハンナさんも立ち上がって僕の目の前まで来ると、僕の肩や腕をポンポンと叩いて、大きくなったなと呟いた。

 そう言われれば確かにいつの間にか僕の身長は、少しだけハンナさんより大きくなっている。


「アーベル......」


 ハンナさんは何かを言いかけて、また僕をじっと見つめてきた。

 僕はハンナさんの突然の行動や様子で、その時が来たことを察してしまう。

 すると、ハンナさんは僕が想像した通りの言葉を口にした。


「アーベル、今日で......今日で終わりだ」


 僕がこの四年間待ち望んでいた瞬間。

 僕が今日まで続けていた訓練は、全てこの瞬間から始まる旅の為だった。

 嬉しくない訳がない、嬉しくない訳がないはずなのに。


「終わりって......なに、が終わり......なんですか」


 僕は終わりを認めたくない言葉を口にしていた。


「もう十分だ。お前はもう一人で......何処にだって行けるさ」

「だって、そんな......突然、そんなことっ!」

「本当はな、半年前にはお前ならもう一人で旅が出来ると思ってたんだ。それを色々理由を付けて今日まで来てしまった。だけどそれも今日で終わりだ」

「だからって!こんないきなり!僕はもっと!」


 僕はもっとハンナさんと狩りがしたい。

 一緒に食事をして、一緒に笑って、怒られて、時には褒められて......

 いつかはこの森を離れると頭では分かっていた。だけどその時が来ない事が当たり前になっていて、明日もハンナさんと一緒に暮らす日常が来るものだと思っていたのに。


「お前にはこれから一番大切な事が待っているんだろ。お前の、アーベル・クラウドの旅はこれからが始まりだ」

「ハンナさん......」


 僕の頭をくしゃくしゃと撫でながらハンナさんは笑った。


「なーに、私はずっとここに居るんだ。無事村に着いたら手紙でもくれ。麓の町の雑貨屋にでも送ってくれれば受け取るから」


 そうだ、僕はハンナさんのお陰で、この時の為に世界を旅する力を付けたんだから。


「いや、手紙は送りません......」


 だから無事に村に戻れたら―――


「村に帰ったら、またここに来て報告します。だから......その時は、また一緒に狩りに行って下さい」


 僕は精一杯の笑顔を作ってハンナさんに笑い返した。


「......そうだな、分かった。その時は一緒に狩りに行こう」

「約束ですよ......」

「ああ、約束だ」


 ♢♢♢


 翌朝、ハンナさんと一緒に最後の朝食を済ませた後、日の出と共に僕とハンナさんは外に出た。


 昨日の晩、出発するなら早い方が良いと、ハンナさんはあれから色々と準備をしてくれた。

 旅の路銀になるようにと、この日の為に準備してくれていた狼や鹿の毛皮を数枚くれたり、他に町への道順や、旅をするなら冒険者になった方が良いとか教えてくれたけど、最後には自分も町まで一緒に付いて行くと言い出したりした。


「本当に良いのか?」


 ハンナさんは、せめて森の途中までは見送りたいらしく、未だにそんな事を聞いてきた。


「はい。ここからが僕の旅の始まりです。だからまたここまで自分一人で戻ってきます」


 僕はそう言って、ハンナさんと向かい合う。

 腰にはいつもの剣を履き、背中の大きなバックには着替えとハンナさんからの餞別。

 そして、バックの上にはハンナさんからもらった弓を持っている。


「それじゃあ、ハンナさ―――」


 僕が最後のお礼を言おうとすると、ハンナさんは僕の身体をぎゅっと抱き締めてきた。


「ハンナさん」


 僕もハンナさんをそっと抱き締め返す。

 あれほど大きく感じていたハンナさんの身体は、力を籠めれば折れてしまいそうなほど小さく感じるけど、昔と同じように優しくて暖かかった。


「アーベル、気を付けてな。お前が無事に家族の元に戻れることを祈ってる......」


 ハンナさんは僕から手を離すと僕の顔を見つめてきた。


「ハンナさん、今まで有難うございました。必ず無事に村に戻って、そして」


「ああ、約束だな」

「はい、約束です」


 僕らはお互い頷きあい、小さく笑った。


 そして僕はハンナさんに背を向けると、旅の始まりの一歩を踏み出した。

 少し進んで振り返ると、ハンナさんの大きなブルーの瞳から大粒の涙が零れたのが目に入る。

 僕もいつの間にか涙を流していた顔を前に向けてまた歩き出し、少し歩いてまた振り返ってしまう。

 徐々に小さくなっていくハンナさん姿を森の木々が隠してしまうまで、僕は何度も振り返りながら歩き続けた。


 ♢♢♢


 何度も振り返りながら森の向こうに消えて行ったアーベルが見えなくなっても、ハンナは暫くその場に立ち尽くしていた。


(これでいい......)


 アーベルとの別れが怖くて、理由を付けては旅立ちをずるずると引き延ばしていたハンナだが、昨日の狩りでアレを見てハンナの決心がついた。

 なぜアイツがこんな所まで出て来たか分からないが、せめてアイツとだけは決着を付けなければ。


 ハンナは家に戻り、また一人になった部屋で狩りの準備を整えて家を出ると、森に入って行った。

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