第11話 スキル

 今日は黒毛熊狩りの四日目、最終日だ。

 朝起きたときは爽やかな晴天が広がっていた空は、生暖かい北風が強くなるにつれて徐々に雲が広がってきていた。

 ハンナさんの見立てでは、雨になるのは明日の午後からだろうとの事だったので、今日中に家に戻る僕たちが雨に濡れることはなさそうだ。


 そして肝心の狩りの成果だけど、僕が仕留めた黒毛熊は四頭で、ハンナさんは二頭だった。

 ハンナさんの二頭は僕が仕留めそこなった時に代わりに仕留めてくれた分で、基本的にはハンナさんのサポートを受けて僕が狩りを行っていたからだ。


 最終日の今日は狩りの予定はしてなくて、ひたすら家路を急いでいた。

 僕の前を歩くハンナさんの足取りは軽い。

 一昨日の夜に僕が立ち入った事を聞いてしまって、ハンナさんにつらい過去を思い出させるような事をしてしまった事を後悔していたけど、翌朝のハンナさんの機嫌は何故か良くて、それが今日も続いている。

 いつもの悪い笑顔ではなく、純粋に喜んでいるハンナさんの笑顔が僕に向けられる事が多くなった気がして、僕はハンナさんとの距離が少し縮まった気がして嬉しかった。


 時刻は間もなく正午に差し掛かる頃、相変わらず軽快な足取りで適当な休憩場所を探して先頭を歩いていたハンナさんの足が突然止まった。

 もう二年もハンナさんと一緒に毎日狩りに出ている僕の身体は、何も考えずに勝手に動いていた。


 後方の警戒をしつつ、静かにハンナさんに近づいて指示を待ちながら、耳を澄ますハンナさんと同じように僕も耳を澄まして気配を探ると、進行方向から風に乗って微かに獣の咆哮が聞こえてくる。


「黒毛熊......いや」


 ハンナさんが呟いたように、僕にも黒毛熊の咆哮に交じって他の獣の唸るような声が聞こえた気がした。


「これは、狼......でしょうか?」

「ああ、かなりの数のようだ。しかも黒毛熊は一頭ではないな」


 二頭の黒毛熊に大規模な狼の群れ。

 通常、黒毛熊は一匹で行動する為、昨日までは僕とハンナさんの二人で一頭の黒毛熊を相手にしてきたけど、相手が二頭となるとハンナさんのサポートなしで黒毛熊を相手にすることになる。

 ここは迂回して避けた方が良いと思ったけど、ハンナさんはどう判断する?僕は緊張で喉を鳴らした。


「避けて通りたい所だが、そうもいかないな」

「でも、相手は二頭ですよ」

「ああ、だが場所を考えるとそうも言ってられない」


 場所......そうか、今僕たちは家から半日程の距離にいた。

 僕が一人で日帰りで狩りに来る場所にかなり近い所まで来ている。

 今ここで黒毛熊を放っておいたら、一人で狩りに出たときに危険だろう。

 僕は状況を理解してハンナさんに頷いた。


「まずは詳しい事を確認してからだ、ゆっくり進むぞ」


 そうして僕たちは最大限の警戒をしつつ、ゆっくりと慎重に音源に近づいていく。

 徐々に大きくなる獣の咆哮を聞きながら森の中を十分程進んだところで、ハンナさんは中腰の姿勢で前を見つめたまま手を挙げてから、ゆっくりと大きな岩の陰に隠れた。

 僕もハンナさんのハンドサインに従って中腰で岩の陰に身を隠すと、そーっと岩の陰から咆哮の方に顔を向ける。すると、巨大な黒毛熊が両腕を振り回して暴れているのが目に入った。


「そこの大きい奴と、そいつの左後ろの奴、二頭いるな。あとは......」


 ハンナさんが僕の耳元で囁いた通り、少し距離が離れた大木の陰にもう一頭、黒毛熊の頭が動いているのが見えた。


「あとは狼ですね......七頭、いや、八頭います」


 手前の大きな黒毛熊を五頭の狼が周りを取り囲みながら低い唸り声をあげていて、奥の黒毛熊の周りには恐らく三頭の狼が威嚇しているのが目に入った。


「恐らくここまで出てきた黒毛熊が狼の縄張りに入った所で見つかったんだろう。それも珍しく二頭同時にな」

「どう、します?」


 狼はともかく、黒毛熊は排除しないと明日から安心して一人で狩りに出られないだろう。だから黒毛熊を狩るのは決定だけど、問題はタイミングだ。

 僕がハンナさんの指示を待ちながら様子を伺っていると、手前の黒毛熊を囲んでいた狼の一匹が、空気を切り裂く様な咆哮をあげて、黒毛熊の斜め後ろから飛び掛かった。

 が、黒毛熊はその巨体に似合わない速度で飛び掛かってきた狼のほうを向くと、巨大な手のひらで飛び掛かってきた狼を叩き落とした。


「ギャゥーーー」


 甲高い悲鳴を上げて地面に叩きつけられた狼はピクリともしなくなった。


「これは駄目だな。狼は間もなく逃げるだろう。やるとすればその後だ」

「でも、そうしたら黒毛熊どうしで潰しあってくれるんじゃ......」

「いや、駄目だ」


 ハンナさんは詳しい理由も言わず、僕の淡い期待を短く切り捨てた。

 すると、ハンナさんの予想どおり、狼の群れは黒毛熊の攻撃を避けつつ徐々に距離を取り始めた。その動きは明らかに戦意を喪失している様子だ。


「アーベル、狼の群れが去ったら一気に仕留めるぞ。私が手前の大きい奴を仕留めるから、お前はその間右にまわって奥の奴の気を引いておいてくれ。無理はするな、気を引くだけでいい」


 気を引くだけと言われても、僕だってこの四日間戦ってきた自信もあったから、ハンナさんのサポート無しでどこまでやれるか試してみたい。


「分かりました」


 ハンナさんの作戦に了解しつつも、僕が間違って倒してしまっても大丈夫だろう。


(一人でもやってやる!)


 僕はいつの間にか恐怖を忘れ、ハンナさんの合図を待った。


「行くぞ!」


 狼の最後の一頭が姿を消した瞬間、ハンナさんの掛け声が掛かって、僕は素早く岩の陰から飛び出して奥にいる黒毛熊目指して走り出した。

 が、僕が走り出した瞬間、僕の左前方を物凄い速さで走るハンナさんの姿が目に入った。


(はっ、早い!)


 ハンナさんは上体を前に倒すように低い姿勢のまま、岩や倒木を飛ぶように飛び越しつつ、あっという間に手前の黒毛熊に迫っていった。


(くっ、全然追いつかない!)


 僕も全力で走っているのに、ハンナさんの囮になるどころか全く追いつかない。

 これがハンナさんの本気。

 狼が去った方に移動しようとこちらに背を向けていた黒毛熊も、急速に近づいてくるハンナさんに気が付いたのか、足を止めてハンナさんの方を振り返った。


 ハンナさんと黒毛熊との距離は約三十メートル。

 その瞬間、ハンナさんは大きく跳躍すると、空中で前転をしながら回転に合わせて剣を振りぬいた。


風月かぜつき―――速撃!」


 ハンナさんは剣を振りぬいた態勢のまま綺麗に着地すると、その勢いのまま黒毛熊に向かって再び走りだした。


(今のは?何だ?)


 僕がそう思った瞬間、ハンナさんの前方にいた黒毛熊の頭がスパッっと綺麗に胴から離れて吹き飛び、数秒遅れて首から噴水のように血しぶきが舞い上がった。

 ハンナさんは次の瞬間、首無しのまま突っ立っている黒毛熊に向かって跳躍すると、肩を蹴り飛ばしながら黒毛熊を踏み台に更にジャンプして、一気にもう一頭―――僕が注意を引き付けておく予定だった。黒毛熊に迫った。


 残った黒毛熊はさすがにハンナさんが迫っているのを察知して、立ち上がって威嚇の声をあげるが、真正面から突っ込んでくるハンナさんを見て、迎撃しようと右手を大きく振りかぶって目の前に迫ったハンナさんに振り下ろした。


 だが、ハンナさんは低い体勢で黒毛熊の懐に飛び込むと、地面を這うように剣を摺り上げて、振り下ろされた黒毛熊の腕を両断すると、その勢いのまま大きく振りかざした剣を返して黒毛熊の脳天から股下まで一気に振り下ろした。

 ハンナさんが素早くバックステップで距離を取った瞬間、その黒毛熊は断末魔の悲鳴をあげる事も出来ず、天を仰ぐようにゆっくりと倒れていった。


 僕がやっとハンナさんに追いついた時には、ハンナさんはすでに剣を鞘に納めていた。


「......えっ?」


 僕は今目の前で起こったことが咄嗟には理解できずにただ茫然としていると、ハンナさんは悪戯をした後の子供の様な申し訳なさそうな笑顔を浮かべて僕を見た。


「アーベル、済まない。久しぶりに気合が入ってしまった」

「......えーっと、いったい何が......」


 いや、結論から言えば、僕が走りながら眺めている間にハンナさんが二頭とも倒してしまっただけ。それは僕にだって分かる。だけど、どうやって?

 二頭目は僕にも見えた。尋常じゃない速度で黒毛熊の懐に潜り込んで、剣を摺り上げながら腕を切り飛ばし、真正面から切り倒した。

 多分、剣を摺り上げてから切り下げるまでコンマ五秒も掛かってないのではないだろうか。

 ただ見えただけで、とても真似できない速さと正確さだったけど。


 だけど全く分からないのはどうやって一頭目の首を切り飛ばしたのかだ。

 三十メートル近く離れた空中で前転をしながら剣を振り下ろしただけ。だけどハンナさんが着地をした時には、一頭目の黒毛熊の頭は胴から切り離されて宙を舞っていた。


 僕が呆然としていると、ハンナさんは地面に座り込んで大きく息をついた。


「ハァー、久しぶりだとやっぱり疲れるな!アーベル、悪いけど少し休憩させてくれ」


 ハンナさんはそう言って、笑顔で空を見上げながら大きく肩で息をしているが、僕は一頭目の首をどうやって切り飛ばしたのか知りたかった。


「ハンナさん、一頭目の首を切り飛ばしたのって、いったいどうやって」


 僕が必ずその質問をしてくると思っていたのか、ハンナさんはいつもの様にニヤッと悪い笑顔を僕に向けてくる。


「あれはな......スキルって言う奴、らしいぞ」

「スキル?」

「そうだ、私も詳しくは分からないが、昔、町の人間に話したら、それはスキルだって言われたな」


 スキル......なんか良くわからないけど凄かった。そして格好よかった。


「僕もっ!僕にもスキルって奴、教えてください!」


 僕はそのスキルって奴を覚えたくて堪らなくなっていた。

 だけどハンナさんは笑ったまま首を横に振った。


「無理だな」

「な、なんで?」

「私にも分からないからだ」

「分からない?だってさっき―――」

「私もある日突然使えるようになっていたから、どうやったらスキルを使えるようになるかは知らないんだ。だから教えられない」

「そんな......じゃあ僕には......」

「だけど、私にだって使えるようになったんだから、お前もいつか使えるようになるかも知れないな」

「ほっ本当ですか!?」

「さあ、ただ可能性は誰にでもあるんじゃないか?」


 ハンナさんの言葉を聞いて、僕もいつかはスキルを、ハンナさんの様にかっこいい技を使って見せると心に決めた。

 僕は一人で黒毛熊を倒すと意気込んでいたけど、結局囮の役目さえ果たせず、ただ見ているだけの結果になったけど仕方ない。代わりにあんな凄い物が見れたんだから。


 そしてその後家に着くまで、僕はずっとスキルの事でハンナさんを質問攻めにしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る