第6話 初めての狩り
水汲みをいつも通り二時間で終わらせてから、畑にいたハンナさんに終わったことを告げて一緒に家まで戻ってくると、ハンナさんは狩りの準備があるらしく少し待っていろと言うと自分の部屋に入って行った。
僕はとうとう迎えた初めての狩りに、喜びと少しの緊張を抱えて椅子に座ってハンナさんを待っていると、暫くしてハンナさんの部屋のドアが開き、剣を二本持ったハンナさんが出てきた。
一本はいつもハンナさんが出掛けるときにいつも身に着けている剣で、もう一本は初めて見る剣だった。
「アーベル、今日からこの剣を使え」
ハンナさんは初めて見る剣を僕に渡してきた。
ハンナさんの剣より短い六十センチ程の長さの剣で牛の革のようなもので出来た固い鞘に収まっている。
「剣は扱ったことが無いんだったな」
そう言うと、ハンナさんはもう一つ手に持っていたベルトを僕の腰に巻き付けて、そのベルトに剣を取り付けた。
「少し大きいがこれで良いだろう。まあ、今日は剣を使う事は無いと思うが、一応護身用だ」
「護身用?じゃあ、狩りは・・・・・・」
「ウサギ相手に剣はいらない。狩りに使うのはこのナイフだ」
てっきりこの剣を使って狩りをするものだとばっかり思っていた僕に、ハンナさんは腰に取り付けた鞄から一本のナイフを取り出して手渡してきた。
柄の部分を含めても二十センチ程の剣と同じ鞘の付いたナイフだ。
「ナイフは使えるんだろう?」
「ナイフは・・・・・・使えます」
村では主に弓の練習が多かったけど、ナイフもそれなりに練習した。
「使い方はお前の自由だ。直接切りつけてもいいし、投げてもいい」
このナイフを使って僕の人生初の狩りが始まるんだ。
小鳥の風車は散々だったけど、村で練習したナイフ、狩りだったら。
すると、僕が緊張していると思ったのか、ハンナさんは笑いながら僕の肩を叩いた。
「まぁそんなに緊張するな。これは必ず必要な訓練じゃないし、一匹の獲物も見つからない日も珍しくないからな」
「分かりました」
「よし、それじゃあ、行くか」
自分でも緊張しているのか興奮しているのか分からないけど、妙に昂ぶった気持ちを抑えるように黙って頷いた。
♢♢♢
初めて入った風車の森の木々の上には薄く雲が掛かる空が広がっていて、爽やかな風が吹き抜けていくたびに時々ザワザワと音を立てる。
今日向かうのは家から三十分程の距離にあるウサギが多い狩場で、家から近いことと、危険な動物が滅多に出ない事でここに決めたらしい。
僕は狩場に向かう道すがら、ウサギ狩りに関する注意を受けながら、ふと疑問に思ったことをハンナさんに聞いてみた。
「ハンナさんは弓は使わないんですか?」
村では皆、狩りには弓を使っていたのに、ハンナさんが弓を持って出かける所を一度も見た事が無かったからだ。
弓だったら鳥だってウサギだって簡単に仕留められるだろうし。
「弓......」
ハンナさんは小さな声で呟いたきり、黙り込んだ。
「はい。僕の村では狩りに出るときは皆弓を使っていたので」
「......私は弓が苦手でな。少しは練習したんだが」
「じゃあ、弓も使えるんですか?」
「ああ、一応は......な。だが......」
ハンナさんはそう言うとまた黙り込んだまま足を進めた。
そして、暫くするとポツリと呟いた。
「私の弓は......」
そこまで言うとハンナさんは急に足を止めて僕を振り返った。
振り返ったハンナさんは、僕が初めて見るような満面の笑顔を浮かべていて―――でも深いブルーの大きな瞳は、瞳だけは今にも涙が零れそうな悲しい色を帯びていた。
僕はまだ子供だっていう事もあるけど、この半年は自分の事に精一杯で、これだけお世話になっているハンナさんの事は何も知らない。
風車の森に一人で住んでいて、狩りと少しの畑を耕しながら生活している。
ぶっきらぼうで、厳しくて、怒ると怖くて、意地の悪い笑顔を浮かべては僕を困らせる。でも僕が家族を思い出して泣いてしまうような時には、優しい笑顔と暖かい手で僕の頭を撫でてくれる。
そんなハンナさんが初めて見せた泣いているような笑顔に、子供の僕では立ち入れない過去が見えた気がしてそれ以上は何も聞けなかった。
するとハンナさんはふっと力を抜いて、いつものつまらなさそうな顔に戻り、また前を向いて歩きだしながらぶっきらぼうな口調で話を切り替えた。
「......弓の事はいいとして、アーベル、お前はナイフでどうやって狩りをするか考えたか」
僕も遅れないように慌てて後を付いて行きながら、少し考えてハンナさんの質問に答える。
「僕は......ナイフを投げて使おうと思っています」
「投げナイフか。出来るのか?」
「村では練習していました。少し練習すれば、多分」
「そうか、じゃあ、狩場に着いたら少し練習するんだな」
「はい。あの、ハンナさんは普段どうやって狩りを?」
また立ち入ってはいけない話になるかも知れないと思ったけど、僕は思い切って聞いてみる。
「ん?そうだな。ウサギやキツネなんかの小動物は基本的には罠だな。前日に罠を仕掛けて置いて次の日に回収するが、罠に獲物が掛からなかった日はこれだ」
ハンナさんは立ち止まって地面に手を伸ばすと、子供の拳くらいの大きさの石を拾い上げていつものようにニヤッと笑った。
「石?」
「私も投げナイフは今も持っているし、そこそこ使えるが、外した時に回収するのが面倒でな。でもこれなら回収しなくても良いし、そこら中に転がってるからな。それに......」
ハンナさんはそこまで言うと、大きく振りかぶって思いっきり石を投げた。
石は凄いスピードで飛んで行き、十メートル程離れた太い木の幹にガツンを音を立てて当たった。
石が当たった木の幹は表面が大きく削れて白い木肌を晒している。
「当たればウサギなら一発だ。狼でも頭に当たれば気絶させることくらいは可能だぞ」
確かに石なら何処にでも落ちているからいくらでも使えるし、ナイフのように回収することもしなくて良いから楽そうだ。
でも、子供の僕にはあんなに凄いスピードで石を投げることは出来ない。
ハンナさんもそれが分かっていて、ただ自分のやり方を聞かれたから見せてくれただけだろう。
「鹿や狼、黒毛熊なんかはこれで仕留める」
ハンナさんは腰に下げた剣をポンポンと叩いて相変わらず悪い笑顔を僕に向けてきた。
「それにとっておきもあるしな」
とっておき?
僕が疑問に思っていると、さっさと歩き出したハンナさんがさっきまでと打って変わって冷静な低い声で僕に告げた。
「もうすぐ狩場に着くぞ。心の準備をしておけ」
その一言でさっきまでの緩やかな空気が一変し、ハンナさんから真冬の空気のようなピンと張り詰める気配がしてきた。
ハンナさんの後に付いてそのまま数分程歩くと、木が少ない少し開けた場所が見えてきて、その場所の手前でハンナさんが止まった。
「ここが今日の狩場だ」
ハンナさんは横に並んだ僕に目線だけを向けてそう言うと、また真剣な表情で前方の空間をじっと見つめた。
これから初めての狩りが始まると思うと、僕は嬉しさよりも緊張が大きくなって口がカラカラになり、ハンナさんの言葉に黙って頷いた。
「これは遊びじゃない。が、そんなに緊張するな」
僕はまた返事が出来ず、ただコクコクと頷いた。
すると、ハンナさんの纏う空気が急に緩んだような気がして、僕の背中をポンポンと叩いてきて笑った。
「先に投げナイフの練習だったな。少し戻ろう」
そう言って、来た道を五十メートル程戻った所でハンナさんが止まり、そこで僕は暫くナイフを投げる練習を行った。
久しぶりのナイフ、しかも初めて持つナイフだったのもあるけど、やっぱり緊張しすぎていたのか初めは全然上手くいかなかったけど、大きな石の上に座って水を飲みながら、僕の練習を見て呑気なヤジを飛ばしてくるハンナさんの声を聴いていたら、徐々にリラックスできてそこそこ感覚が取り戻せた。
(よし、完璧じゃないけどやれそうだ)
僕はハンナさんに向かって小さく頷いた。
「もう大丈夫です。お願いします」
こうして僕の人生初の狩りが幕を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます