第3話 決断

 真っ赤になった僕がまたベットに潜って毛布から顔だけを出すと、その人は僕を見て笑いながら「お前の服もそろそろ乾いてるだろ。待ってな」と言って部屋から出て行くとすぐに戻ってきて、ほらよとベットに僕の服を投げてきた。


「私は台所にいるから服を着たら来な」

「......分かりました」


 その人が部屋から出て行くのを確認して、僕はベットから出てすぐに服を着た。

 洗濯してから干してくれたようで、服の汚れも落ちていてさっぱりして気持ちがいい。

 服を着て大分落ち着いた僕は改めて部屋の中を見渡す。

 子供部屋なのか、この部屋にある家具すべてが小ぶりで僕にピッタリか僕にも少し小さいくらいだ。

 そんなことを考えながら僕は違和感を感じていた。

 パニックになっていた時の僕には気が付かなかったけど、こうして少し落ち着いてみると明らかにおかしいと感じる点。それは空気、というか気温だ。

 真冬のはずなのに、僕はさっきまで裸でも全く寒くなかった。

 見た限り部屋の中にはストーブのような暖房器具は見当たらないのに。

 そしてもう一つの違和感の正体は窓だ。僕は振り返って窓を見た。

 大きく開け放たれた窓からは赤い西日が差しこんでいて、外には青々とした葉が茂った木や、ピンクや白の色とりどりの花が咲き乱れていた。

 ここが村の近くだったら雪に覆われた銀世界が目に入るはずだし、窓を開け放っていれば凍えるような冷たい風が部屋に吹き込んでいるはずだ。

 世界には冬が来ないような場所や、僕たちの村とは季節が逆の場所もある話を昔父さんに聞いたことがあったけど、そんな不思議な場所に来た気分だ。


 ただ、ここがエンビ村とは遠く離れた場所なことは強く感じてしまう。


 ♢♢♢


 部屋を出た所は廊下ではなく、少し大きな部屋になっていて四人掛けのテーブルや椅子、食器棚が置いてあり、あの人がこっちに背中を向けて立ったまま何かしている。


「あの、着替えました......」

「そこの椅子に座ってな」


 振り向かずにぶっきらぼうに言うその人に言われた通りに、僕が椅子に座って待っていると、白い液体が入ったコップと茶色い焼き菓子のようなものを僕の前に置き、僕の前の席に座った。


「あの......」

「腹が減ってるんじゃないのか?晩飯はもう少し後だからとりあえずそれでも食べておけ」


 コップに入った白い飲み物は何か動物の乳だろうか。そして茶色い焼き菓子のようなものからは、ほんのりと甘い匂いがして急にお腹が空いてきた。

 思わず手を伸ばそうとしたけど、先ずはお礼が先だ。

 僕は席から立ちあがってその人に頭を下げた。


「あ、あの、助けてくれてありがとうございます。それに服も洗ってくれて......」


 急に席を立って頭を下げた僕に、その人は少し驚いた後、苦笑を浮かべて手を振った。


「なんだ、かわいいのに以外としっかりしてるじゃないか。でも私がお前を攫ってきた犯人かもしれないぞ」

「え!?」

「フフッ、今のは冗談だ。さっき話した、お前がうちの近くに倒れていたから連れて帰った事は本当だ。まあ、勝手に連れて帰ったんだから攫ったといえば攫ったことになるけどな」

「じゃあ......やっぱりありがとうございます」

「お前をこれから奴隷商に売るかもしれないぞ?」

「えっ?」

「今のも冗談だ。奴隷商に売ることはしないから安心しろ」


 奴隷商というのが何なのか分からないがいい感じはしない。

 一体この人は何なのだろう。ぶっきらぼうで少し怖い感じだけど、意外と冗談が好きみたいで冗談を言った後のニヤッとする笑顔を見た感じは悪い人じゃない気がする。

 そこで僕は自己紹介をしていなかった事に気が付いた。

 知らない人にはちゃんと名乗らなければいけないと父さんが言っていた事を思い出したのだ。


「あの......僕の名前は―――」

「それはっ―――」


 僕が名前を言おうとすると、その人は急に狼狽えた様に両手を突き出し、ブンブンと振った。


「?......アーベル、アーベル・クラウドです」


 僕が名乗ると、その人は頭をガシガシと搔きながら大きくため息を付いた。


「ハァ......まあ、そうなるか......」


 その人は諦めたように呟くと自分の名前を口にした。


「私はハンナだ。ハンナ・メッツァラ」

「ハンナ?さんですね」

「ああ、ハンナでいい......」


 僕がその人、ハンナさんの名前を呼ぶと、ハンナさんは少し嬉しそうに俯いた後、気を取り直すようにぶっきらぼうな声を上げた。


「ほら、早く食べないとせっかく温めたクッキーが冷めちまうぞ」


 その後、僕は初めて食べたクッキーという甘くて美味しい焼き菓子を食べながら、自分の身に起きた事をハンナさんに説明した。


 ♢♢♢


「お前......アーベルの身に起きた事は理解した。まぁ、俄かには信じがたいがな」


 僕の話を黙って聞いていたハンナさんは、木のコップに入ったお茶を一口飲むとテーブルに置いた。


「はい。僕も良く分かってません......」

「それにしては、起きたときはあんなにパニックになっていたのに、今はやけに冷静だな」

「それは......」


 僕は狩りの練習中に兄さんから何度も聞いた言葉を思い出していた。


「兄さんが教えてくれたんです。「一度森に入ったら何が起こるか分からない。だから何が起こっても頭だけは冷静に」って」

「......ほう」

「だから、今の僕にできることは冷静に行動して無事に家族の元に戻る事だろう......って」


 僕が現実を受け入れられずに泣いていても何も変わらない。

 父さんも僕を狩りに連れて行ってくれるって言ったんだ。だからこれくらい出来なかったら僕に狩りに行く資格なんてない。


「かわいいだけの坊やだと思っていたが......良い兄を持ったな。だったら、これからどうしたら良いか一緒に考えてやろう」


 そう言ってニコッと笑ったハンナさんの深いブルーの瞳に、僕は母さんのような暖かな色を感じた。


「はいっ!お願いします」


 ♢♢♢


 ハンナさんはこの場所について教えてくれた。

 この場所、風車の森がアーガス公国という国の東の外れのあること、森の広さは二十キロ四方ほどあり、森の中にはハンナさん以外の人は殆ど住んでおらず、一つの村もないらしい。

 だけど、僕は自分の村、エンビ村がどの国にあったのか知らなかった。

 生まれてからずっと村から出た事は無かったし、僕もそんな事を気にした事も無かった。

 父さんや村の皆は偶に町に用事があって出かけることがあったけど、皆もただ”町”と言ってただけで町の名前も分からない。


「お前の村......エンビ村だったか、そこでは雪が降るんだな?」

「はい。冬になると毎年降ります。冬の間はずっと雪が降り続いて村も森も真っ白になってしまいます」


 ハンナさんはう~んと唸って難しそうな顔をしている。


「この大陸、フラスト大陸は一年中温暖な気候だ。雪が降るのはシュメルツ連山という、大陸で一番高い山か、大陸最南端のごく一部の場所だけだが、それも数年に一度舞うくらいで積もる程雪が降ったという話は聞いたことがない」

「じゃあ......」

「私も詳しく分からないが、毎年積もる程雪が降るとすれば、お前の村は北や南にある別の大陸のどこかだろうな」

「それは......遠いんですか?」

「遠いなんてもんじゃないさ、この森を出るだけでも最低三日、さらにこの国を出るだけでもひと月はかかるだろう。それから船の出ている国から何か月も船に乗らないといけない。」

「そんなに......」

「それだけじゃない。この森を出るだけでも危険な動物にゴロゴロ出会うし、森をでたらもっと危険だ。山賊や野盗、人攫い、魔物が多く生息する場所だっていくらでもある。まあ、私もあまりこの森から出たことは無いから、あくまで聞いた話だけどな」


 魔物......また聞いた知らない言葉だ。

 気になるけど今は家に帰る方法を考えなきゃ。

 すると、ハンナさんは真剣な目をして僕に決断を促してきた。


「アーベルが村に帰る為には自分で森を抜け、世界を旅する為の力をつける必要がある。但しこの場合は何年も掛かる。そしてもう一つは運を天に任せて今すぐ旅に出ることだ。もしアーベルがそうしたいんだったら、一番近くの町までは私が送っていこう」


 世界を旅する為の力をつけるか運を天に任せるか......


 さっきまでの僕だったら今すぐにでも皆の元に戻る為に運を天に任せただろう。

 だけど兄さんの言ってたように冷静になって考えたら答えは決まっていた。

 父さん、母さん、兄さんは絶対無事だ。だから今は僕が無事に帰れる一番良い方法を、無事に戻れるための力を付ける。


「僕は自分で旅をする力を付けたいです。たとえ時間が掛かっても!」


 ハンナさんは、まるで僕がそう決断する事が分かっていたように笑みを浮かべて僕をジッと見つめていた。


「だったら私はお前......アーベルの為に力を貸そう」


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