第2話 風車の森

 村の見張り櫓は僕のお気に入りの場所の一つだ。

 みんなの家の屋根より高く、村の端から端まで見渡す事はもちろん、空まで続く森の果てまで見ることが出来る。

 春になると目覚めた森の香で満ち、夏には手が届きそうな高さに真っ白な雲が浮かび、秋になると爽やかな風に包まれ、冬は音のない白銀の世界を見せてくれる。


 だから僕は今日も見張り櫓に登って村を眺めている。

 これから狩りに出かける父さんが村の入口で手を振っていて、畑では母さんがいつもの笑顔で野菜の収穫をしている。

 畑の横を流れる小川に目を向けると、上半身裸で小川に入っている兄さんが魚の入った網を掲げている。

 その光景を見ていると、僕は居ても立っても居られなくなり急いで櫓を降りたのだけど、いつの間にか一面の雪に覆われた村には父さんも母さんも兄さんも村の皆も居なかった。


 雪の降る音が聞こえてきそうな静寂の中で僕は皆の名前を呼び続けた。

 暫く呼び続けていると急に空が明るくなったので空を見上げると、赤い尾を引いた流星が僕の頭上一杯に落ちてきた―――


 ♢♢♢


「兄さぁぁぁぁーーん!!」


 自分の叫び声で気が付いた僕が恐る恐る目を開けると、眩しい光が目に飛び込んできた。暫く薄目を開けて耐えていると、徐々に丸太を並べた天井らしき物が見えてくる。


 ここは?......


 さっき見ていた夢の事を回らない頭でぼんやりと考えていると、雪の中で僕に手を伸ばす兄さんの顔が浮かんできた。

 そうだ!兄さんは!?


「兄さん!」


 バッと上半身を起こすと、見慣れない部屋が目に飛び込んできた。

 天井も壁も太い丸太で組まれた四メートル四方の部屋には小さな机と椅子と箪笥があって、机の上には水差しと木のコップが置かれている。

 僕が寝ているベットの横の壁には開け放たれた木製の窓から太陽の光が差し込んでいて、春のような暖かな風が吹き込んでいる。


 いったいここは......何処だろう?

 明らかに僕たちの部屋とは違う光景に、今見ているものが夢なのか、さっきまで見ていたものが夢なのか分からなくなってくる。

 僕が混乱していると、部屋の扉が開いてすらっとした体形の見たことのない女性が部屋に入ってきた。

 肩に掛かるくらいの薄いブラウンの髪と少し目じりの上がった大きなブルーの瞳。

 日焼けした褐色の肌が健康そうで、見た感じは僕の母さんと同じくらいの年齢に見える。


「起きたか?」


 部屋に入ってきたその人はぶっきらぼうにそういうと、椅子をベットの横まで引っ張ってきて座り、大きなブルーの瞳で僕をじっと見つめてきた。


「あの......これは夢、ですか?」


 そうだ、きっとこれは夢なんだろう。

 だってさっき僕は炎のように燃える流星から逃れようと兄さんと―――


「兄さん?......父さんは?母さん!母さんっ!!」


 そうだ、はっきり思い出した。炎の壁に向かって立つ父さんの後ろ姿。僕たちに向かい手を向けていた母さん。僕の名前を叫んで手を伸ばす兄さん。

 炎の熱さも、凍えるような雪の冷たさも、握りしめた兄さんの力強い手の感触も、抱きしめられた母さんの暖かさも。


「父さん、母さん!どこ?兄さん!僕は!」

「落ち着け!」

「早く逃げないと!早く、父さんも母さんも!」


 パシッ―――


「......っ?」


 両頬に軽い衝撃が走り、鼻が触れそうな目の前には吸い込まれそうな深いブルーの瞳が僕の目をじっと覗き込んでいる。

 誰だろう......知らない人―――女の人だ。

 その人が両手の手のひらで僕の頬を包み込んでいて、暖かく柔らかな感覚が伝わってきた。


「深呼吸をしろ。ゆっくりと、大きく息を吸え」


 乱暴だけど暖かさを感じる声が耳に入り、全身から力が抜けていくのを感じる。

 僕はその人に言われた通り、大きく息を吸ってゆっくりと吐き出す。


「そうだ。もう一回、ゆっくりと」


 僕はその人に言われた通りに何回か深呼吸を繰り返す。


「落ち着いたか?」

「......はい」


 僕の返事を聞いたその人は、少し微笑んで僕の頬からゆっくりと手を放して立ち上がると、机のコップに水を入れて戻ってきて僕に差し出した。


「飲め、水だ」


 僕はよほど喉が渇いていたのか、差し出された水を一気に飲み干してから、再び大きな息をつくと、自分でも落ち着いてきたのが分かり今の状況が夢でないことを理解できてくる。


「ここは......どこ、ですか?」

「どこ?ここは風車の森にある私の家だ」


 風車の森?聞いたことのない名前だ。

 村の周りの森の事を他所の人はそう呼んでいるのだろうか?


「どうして僕はここに?あなたが......」


 この人が助けてくれたのだろうか?だったら兄さんや父さん、母さんはどこだ?


「兄さんは?僕のそばに兄さんがいたはずなんです!村の中には父さんと母さん、ハンスおじさんや村の皆が!」

「まあ落ち着け、まず体は何ともないのか?」


 体?体は、少し頭がぼーっとするけどどこも痛くなかった。


「体は......大丈夫です」


 僕がそう答えるとその人は再び椅子に腰かけ、少し怒ったような顔つきでじっと僕を見つめてくる。


「ここまでどうやって来た?と言っても覚えてなさそうだな」

「はい......気が付いたらここに」

「村と言ってたが、村の名前は?」

「エンビ村です。この森の中にあるんです!」

「エンビ村?」


 その女性は村の名前を聞いて暫く考え込んでいたけど、ゆっくりと首を左右振った。


「私は生まれてから三十年間ずっとここに住んでいるが、エンビ村なんて村は聞いたことがないな」

「でも、僕を助けてくれたのはあなたでしょ?そこに村があったはずなんだ」

「確かに倒れているお前をここに連れてきたのは私だが、お前が倒れていたのは私の家から二百メートル程離れた森の中だ。当然周りには村なんてないぞ」


 二百メートル?村の周りの森にはそんな近くに家なんてないはず。

 僕はあまり森の奥深くまで入ったことはないけど、父さんも兄さんも村の近くにこんな家があるなんて言ってることを聞いたことはない。

 何がどうなっているのかさっぱり分からないけど、皆無事で僕を探しているかもしれないし、早く村に戻らなきゃ。

 そう思うと居ても立ってもいられなくなり、僕は毛布をどけてベットから起き上がった。

 急にベットから起きて立ち上がった僕を見て、その人は少し驚いたように僕を見上げた。


「すみません。助けて頂いてありがとうございます。これから村に戻ります」

「村に戻る?これから?」


 その人は少しあきれたように肩の力を抜いた。


「此処がどこで、自分の村がどこにあるか分かってるのか?それにもうすぐ日が暮れるぞ」


 そう言われて窓の方を見ると日の光が少し黄色味を帯びている。村がすぐ見つかれば大丈夫そうだけど、少しでも迷ったら日が暮れてしまいそうだ。でも......


「家族や村の皆が―――」


 その人はハァとため息をつくと、やれやれと言った感じで僕の話を遮った。


「お前やお前の村に何があったかは知らないが、この風車の森は深くて広い。魔物は滅多に出ないが、狼や黒毛熊もそこら中をウロウロしているぞ。もし私がお前の親だったら、夜の森にお前みたいな子供を行かせたりはしないな」


 マモノ?マモノって動物は聞いたことがないけど狼や灰色熊は僕も知ってる。父さんや兄さんが狩りで起こった色々な話をしてくれるから。

 そんな危険な動物がウロウロしてると聞いてしまうと、怖くなってきて体がぞわぞわしてくる。


「でも......」


 急に弱くなった僕の声色で怖気づいたのが分かったのか、その人は僕を見て少し笑みを浮かべた。


「それでも戻りたいんだった別に止めやしないさ。だけどね、」


 僕の顔をじっと見ていたその人は、目線を僕のつま先までゆっくりと下げると、また僕の顔を見て何が可笑しいのかフフフッと笑った。

 その目線に釣られて僕も目線を下に下げた―――


「あっ!!」


 ベットから起き上がって、その女の人の真正面に立っていた僕は・・・・・・下着も付けていない完全な裸、全裸だった。

 股間だけはとっさに手で隠したけど、ベットから起き上がってもう何分も話していたのだから今更だろう。


「お前の服はびっしょり濡れててな、風邪でも引いたら可哀そうだから脱がさせてもらったよ。裸なのはお前に着られる着替えがなかったからだ。悪かったね」


 初対面の人に裸を見られて恥ずかしさで自分の顔が急に赤くなっていくのが分かる。

 その人は真っ赤になった僕を見てニヤリとしながら言った。


「そんな僕ちゃんが夜の森に出るなんて無謀だね」


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