鬼妙丸 ―羅刹の子―
成海 要
鬼の襲撃 その一
――この世界の極東にある小さな国が荒れに荒れていた時代――
領主達は覇権を争い、長きにわたる
強き者が、敗者を制し、時として裏切りや濡れ衣による制裁が人々に下された。
更なる弱き者は、貧しさと飢えに苦しみ、生きる意味すら失うこととなり、人々の 心は悲しみと怒りに満ち溢れていた。
その想いは、怨念となり、人を人ならざる者に変貌させ、現世を呪う死者の魂は悪霊と化し、更なる魔物を生み出した。
◇◇◇◇◇◇
秋を迎えた夜の事だった。
「鬼だ!」
「
村人に
本来、人々が知る伝説上の鬼とは、身体が人の二倍も大きく、赤や黒色と言った肌をした。凶暴な化け物の一種と思われている。
それは時として、まだ、怖い経験をしたことのない幼い子供が危険な場所に行くことや夜道を出歩くことをを危惧した大人たちが『この山には大きな鬼が現れて、一口で人間を喰ってしまう』と作り話をし、そのような危険な場所には行かぬようにと長い間、語り草となっていたものだった。
しかし、ここに表れた村を襲う鬼はそんな大きな
鬼子は闇夜に紛れるように紺色や黒色の混じった、ささくれて、あちこちが破れた着衣を身にまとっている。
浅黒い顔の額には二本の角が生えており、大きく鋭い眼光をしていると、以前目撃した村の者が、その容姿を語っている。
この村が鬼子に襲われるのは、この日で、実に既に三度目に及んだ。
最初の襲撃の夜は、ある農家の家の扉を叩く音がしたため、家の主人は、家族と共に眠りについていた頃だったが、村の誰かが訪ねてきたのかと思い、何の警戒もしないで、扉を開けた時のことだった。
突然、目の前に、額に二本の角が生えている鬼が、木刀を片手に立っていた。
(でっ、出た――!!!)
主人は声を出す間もなく、木刀で額をしたたかに叩かれ流血した。
命に別状はなかったものの、彼の額には一生消えないであろう傷ができてしまった。
この家の主人は村人に語った。
「まさしく、あれはの悪鬼じゃ、羅刹じゃ・・・・!あの鋭く輝く眼光を一度見てしまったら、身動きどころか声すら出なくなる・・・・」
村の血気盛んな若者たちは、口々に主人に
「もっと、具体的に教えてくれよ。背丈はどのくらだったのだ?」
「どんな
ど
まだ、鬼と遭遇したことのない村の者としては、興味津々と言ったところだ。
主人はいう。
「月の光すらない暗闇だったため顔ははっきりとは見えなかった・・・・頭を打たれたせいか、記憶も曖昧だ・・・・覚えているのは、背丈は俺よりも低かったと思う。低い姿勢から、高く飛び跳ねる様に、こっちに向かって棍棒を振りかざしてきたからな。顔は暗がりのうえ浅黒い顔の色だったようで鋭い眼光くらいしか確認できなかった。何せ一瞬の出来事だったからな。鬼であるといったのは前髪の生え際の辺りに二本の
「おっさん、いい加減なことを言うなよ!・・・鬼がいるなんて信じられる訳がないだろ――」
村では一番体のでかい若い男がそう言った。
「俺は、見たままを話しだけだ。あれが伝説の鬼であろうがなかろうが、人とは思えない風貌をしていたのだ!!まさに、獣のような奴だったっ!!!」
主人は不機嫌な顔をしながら吐き捨てる様に、若者たちに語った。
******
二度目は、その二日後の夜ことだった。今度は別の農家の家に忍び込み、その家の子供を盾にするように人質にして、『食い物をよこせ』と一枚の袋を父親の前に投げ出し凄んだ。
「どうか、子供の命だけは、お助けを・・・・」
と母親と思わしき女性が震えながら鬼子に
鬼子の右手には鋭く輝く短刀が握られており、少しでも抵抗するならば、子供の命はないと思われた。
子供の父親は、「解った。食い物なら裏の蔵の中に保管している」と外を指さした。
鬼子は子供に刃を向けたまま、「ついてこい」と父親に対し顎をしゃくった。そして母親に眼を向け、「いいか動くなよ」と言い、この家の大人たちが動かないように警戒をしながら蔵へと向かった。
子供の父親が、蔵の中にある芋や大根を風呂敷に包めるだけ入れて鬼子の前に差し出した。鬼子は左手で風呂敷の結び目を掴み、軽々と肩に担ぎ、子供をはなして、家を飛びでた出た。
そして鬼子は尋常ならぬ足の速さで走り出した。
子供を解放された、父親が、一瞬ほっとした表情を浮かべたものの次の瞬間、大きな声で叫んの両頬
「鬼じゃ、鬼が出たぞ――!!」
その声は暗闇に紛れる様に、村中に響きわたった。
騒ぎを聞きつけた村たちが、家の中から出てきた。
とてつもなく早い脚力で走る鬼の存在を見たものは仰天した。
最初に襲われた家の主人が語った、鬼の姿と大差もない姿をしていた。
鬼はまだ成熟していない少年くらいの背丈をしていた。
服はどこもここも穴が開いていたり、シワシワでささくれている。
継ぎはぎだらけの服を身にまとっている。
一度目に襲われた家の主人が言っていた鬼の子の顔が黒く思えたのは、墨だった。 暗闇に紛れるように、顔の両頬に墨を塗りたくり、更に樹木で造られたであろう角のついた赤黒い仮面で額から鼻の部分まで覆っていた。
この角の付いた赤黒い仮面故に更に鬼の子と思わせたのだった。
露出している肩や腕、足の肌には、黒い墨の様なものがその皮膚に蛇が這うたそ様に塗られている。
なびく長い黒髪の額の生え際には、確かに二本の角らしきものが見えた。
その姿を見た村の人々は皆言った。
「鬼じゃ・・・あれは、やはり鬼の子じゃ・・・・本当に鬼が
鬼の子は、野菜の入った風呂敷を担いだまま村の家の屋根の上に難なく上り、屋根から屋根へと飛び移り、あっという間に暗がりに姿を消してしまった。
「鬼子じゃ」
「鬼子じゃ!!」
村人の声が、あちこちで、そう響いていた、
*********
村人は三度目の襲撃に備えて数日前から集会を開いていた。
村の男達は、今度こそ鬼を捕まえて正体を暴いてみせると意気込んでいた。
血気盛んな若者たちは、下手に抵抗するようなら、即座に殺すと断言している者も数人いた。
村の者たち家の明かりを一切消し、各々農具などで武装し息をひそめて鬼が村に来るのを待った。
「鬼子が
今度は村の東側の家が襲われた。
鬼は、寝静まった五人家族の家に押し入った。
鬼子はその家の十七歳になる長男の額に木刀をしたたかに叩きつけた。
この家の長男はたまらず声を上げた。
竹の棒を持ち武装をして家の前で鬼の子を待ち伏せしていた長男は、昼の農作業の疲れから、たまらず立ったまま、うたた寝をしてしまっていた。そこにすかさず鬼の子があらわれ、長男の額に一撃を喰らわせたのだった。
長男は、『うううっ――』といううめき声をあげて額を抑えた。
その手の指の間からは真っ赤な血がしたたっていた。
叫び声を聞いた長男の父親が、驚いて家の外へ飛びだしてきた。
「何をしやがるっ!」
父親が鬼子がもう一度、長男に木刀で殴りかかろうとしている様子を見て鬼子の腰あたりに掴みかかろうとし鬼子に向かって駆け寄ったが、鬼子は父親の突進を交わして、背後から父親の右肩に木刀を振り下ろした。
「ぎえっ!」
肩の骨を砕かれ、その家の父親は苦悶の表情を浮かべた。
長男は地を這うようにして家に避難したが、それを鬼子は後を追い家の中に侵入してきた。
血の滴る額をおさえて、恐怖のあまり部屋の隅で腰をついて震えている。
その騒ぎの最中、目を覚ました、まだ小さい二人の姉妹も鬼子の姿を見るなり大声を出して泣き始めた。
鬼子はその泣き叫ぶ娘たちに一度眼をやり、しばらく家の中を見渡した。
部屋の隅で震える長男。
まだ家の外で肩を抑えてひざまずく父親、泣き叫ぶ二人の姉妹を抱えなきさけぶ母親。
それらを見渡して間もなく鬼子は家を後にした。
歯を食いしばり痛みを打ち消すかの様に、父親は大きな声で叫んだ。
「鬼じゃ、
鬼子は再び木刀で、父親の背中に強烈な一撃を喰らわせ、気絶させ、家をとびだし暗い村の中を走り始めた。
走る鬼子が通り過ぎると、それを目撃した者が、大声で鬼が出たと
その声を聞いた者たちが、慌てて家を出て、手製の竹槍を握り武装し始めた。
女と、まだ十歳に満たない男児は家を警護するために、同じように竹槍をかまえながら家の中に避難した。
身体が不自由な老年の者も出来る限り応戦しようと竹槍を構えて家の間に立っていた。
或る者は松明を持ち、片手に棍棒を持つ、あるものは農作業に使う農具を持っている。
どの者も、勇気を振り絞り、今回こそ鬼の子の退治に参加した。
「あっち逃げたぞ」
「向こうへ行ったぞ」
鬼子を見た者が、口々にそう伝えあっていた。
その声の方向へ走ってきた武装した村の若い者たち五人が、やって来た。
「こっちの方へ向かったと聞いたが、何処に行きやがった」
若者うちの一人がイラついた様子で言った。
彼らは今度こそ、鬼子をとっ捕まえようと、意気揚々としていた。
その中の一人が言った。
「いた!あそこだ」
そう言って暗闇の中に、そびえたつ一本の
紺色のボロボロに破れた着物で腰の帯には短剣が鞘に収まっている。
左の肩には、またもや米俵を一つ担ぎ、右手には木刀が握られている。
黒い長髪を後ろで束ね、顔は暗闇に馴染むかのように黒い顔であった。
そこからギラりと輝く鋭い眼光。
額の髪の生え際あたりからは二本の角が見えた。
「間違いない、あいつだ、あいつが鬼子だ――」
「よし、見つけたぞ!鬼だぁ!鬼がいたぞ!!!」
そう声を上げた背丈の高い若者が、鬼子に向かって竹槍を構えて走り出した。
それに続くかのように四人が走り出した。
鬼子は軽やかに飛び跳ね、五人の若者の頭上を飛び越えて、走り出した。
「待ちやがれ!」五人は振り返り鬼子の後を追った。
鬼子の脚力は尋常ではなかった。
五人の若者と鬼子の距離は、みるみる離されていく。
村の若い男たちも農作業で鍛えあげられた足腰をいかし、負けじと鬼の子の後を追った。
鬼子の行き先に待ち構えていた、二人の村人が表れ、鬼子の前に立ちふさがり、鬼子を捉えようした。
鬼子は腰の
暗闇に黒いかをから白い歯をむき出しにして「ううううぅぅ――」を唸り声をあげ威嚇していた。
二人の男は身動きが出来なかった。
少しでも動けば飛び掛かってきそうな雰囲気が鬼子から漂よっている。
そんな時、後方から鬼子を追ってきた若者たち五人が追い付つき、実質、鬼の子を七人で囲む形となった。
鬼子は肩に担いでいた食料が入った風呂敷を肩から降ろして、更に低く構えた。
月明かりが、鬼子を照らすと、若者たちの眼にはっきりと鬼の子の姿が映った。
鬼子の顔が黒く見えたのは、どうやら墨だか
露出している肩や、二の腕、前腕、足の膝や脛、ふくらはぎ部分にも蛇がはうように、黒い墨で塗りたくられている。
煤が塗られてない部分には人と同じような肌の色をしている。
無駄な贅肉が付いていない、引き締まった腕や足にはいくつもの汗の粒が浮かんでは流れ、月明がその皮膚を照らしていた。
顔は、鼻の上の辺りから額にまで赤黒い硬質な物に覆われていた。
それは木製の仮面だった。
仮面は、額の髪の生え際の部分に左右に飛び出た二本の角と思わしき突起あり、大きく見開いた様ようにくりぬかれた目元から切れ長の人間の眼が鋭く輝いている。
若者たちが見たものは、鬼の仮面をかぶった少年だった。
「なんだぁ、まだガキじゃねーか!!」
一人の村の男がいった。
すると、七人の村人の表情が変わった。
怒と憎しみのこもった表情だ。
村の若者にとっては、この事態が恥でもあった。
自分たちが、鬼、鬼と怖れていた謎の人物が、まだ、自分たちよりも背丈も低く年端もいかない、たった一人の少年に村全体が混乱させられていたことに気付いてしまったからだ。
「こんな奴に・・・・」
「コノヤロー、よくも!!!」
「覚悟しやがれ!」
それぞれの憎悪まじりの声が鬼子に向けて発せられた。
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