第47話 天上の花園へ行くきみ2
目の前で突如、立て続けにライトが点灯した。バタバタとチームの人たちが動き始める。私は椅子から立ち上がり、ガラス越しにじっと作業を見つめた。例の金属でできた特別な密封容器に、小さな種が次々と収納されていく。もちろんこの後、それらはすべてさらなる検査にかけられるのだ。明らかにされたデータが厳重に保管されるだろう。
私は容器の上に刻印されていく数字を睨んだ。私の報告した数字の上に重ねられていったもの。じりじりと、それは私たちが信じる数に近づいていく。
「予想される数は580です」
それを聞いたエンジニアリングチームメンバーの驚愕といったらなかった。それはそうだろう。一粒でさえ、周りの力を集めて放てばビルをも破壊できる力を持つのだ。そんなものが580もあったらスロランスフォードは跡形もなく消え去ってしまう。けれどなぜその数なのか、ボスの口から説明されることはなかった。
私は焦った。沈黙が痛い。何か言わなくてはと思うのにいい言葉が思いつかない。しかしさすがそこは年の功。立ち会っていた少佐がすかさず「マローネ3の試作品も580だったんだよ。だから可能性があるかと思ってね」とフォローしてくれた。ほっと胸をなでおろす。
納得するスタッフが解散していく中、少佐が肩を竦ませて私を見た。怒ってはいなかった、呆れても。どちらかといえば困った子の相手は疲れるなあという大袈裟なゼスチャーだ。そこには微笑ましい何かさえも感じられて私は目を瞬かせた。
「やれやれ、リックにも可愛らしいところがあるな。580はあいつにとって自分とフェルをつなぐ特別なものなんだ。579は乗り越えていくもの、580は叶えられる夢。だから他人には教えたくないって、こんなところでガキみたいなわがまま発揮しやがって」
そう言いながら少佐は笑っていた。少佐もきっとずいぶんと心配していたのだろう。
中尉の命は刻一刻と削られていく。別れは確実に迫っていた。それなのにボスは何一つ弱音を吐かない。いや違う、無関心を装ったのだ。まるで中尉のことなんか忘れてしまったかのように、執務に没頭するボスに私は何も言えずじまいだった。
ボスは精巧なアンドロイドのように、黙々と仕事を続けた。泣きもしない愚痴りもしない。中尉との思い出をすべて手放そうとしているのではと感じるほどの徹底ぶりに胸が痛くなった。確かに、何もかも放り出して考ることをやめ、突きつけられた現実から逃避してしまいたくなるのは当然だ。だけどお願い、どうか忘れないで! そう思わずにはいられなかった。
少佐の一言で、そんなボスが580にこだわったままなことが明らかになった時、私は密かに安堵の息を吐き出した。よかった。ボスは壊れてしまったりはしていない。少しずつ少しずつ、希望を見つけているんだ、この数字がボスを裏切ることがないことを祈るばかりだった。
「信じられないくらい綺麗な配列コードなんです。まさに天才としか言いようがない。こんな恐ろしいもの、狂人が作ったとしか思えないのに、綺麗だなんて……うまく言えないんですが、目に見える以上のものがそこには詰め込まれている気がしてならないんです。科学者の僕がこんなことを言うのも変なんですが……」
「いえ、私もそう思います。この世界には説明できないものもきっとあるんですよ。科学者の方にこんなことを言うのは憚れますが」
おどけて答えれば、チームチーフは小さく笑った。その笑顔を見ながら私は静かに続けた。
「気配みたいなもの、とでも言いましょうか。どんな小さな細胞もみんな生きているんですものね。そう言ったこともあるのかもしれないと、そう思うんです」
「ええ、そうですね。きっとそうだと思います。僕らは数値だけでものを割り切るべきではない。それは多くのことを導き出せる力ですが、心が伴わなければ豊かなものにはならない。科学は人を幸せにすることをもっと考えなくてはいけないとここ数ヶ月で思い知らされました。色々と勉強になりました」
「えっ? ああ、もしかして博士が?」
「はい。こってり絞られました。だけど同じだけ、いやそれ以上に励まされました。生き方を認められるってこんなにも嬉しいんですね。己の存在価値を教えられて、大丈夫だ、お前はお前の道を行けと言われれば、頑張るしかありませんよね」
照れたように笑うチーフが中尉に重なって見えた。会ったこともない、だから想像でしかない。けれどきっとそう、好きなことを語る人はいつだって美しいんだと、そう感じた。遠い日にボスもこうやって中尉の話を聞いていたに違いない。
何かに秀でた人たちは疎外感を感じることが多い。自分たちとは違うと周りの人に一線引かれ、心を閉ざしがちになる。けれど違うことを認め合った上で臆することなく等身大の発言をすれば、知識の差に関係なく、互いを受け入れることができるはずなのだ。
中尉の考えることをボスがすべて理解できたとは思えない。けれどそんな中尉を丸ごと受け入れたいと思ったから、二人はずっとそばにいることができたのだ。中尉だって同じこと。ボスというすべてがきっと愛しかったに違いない。誰かと一緒にいるということはそういうことだ。理解する必要はない、その存在を認め受け入れること、それが一番大事なことなのだ。
「チーフ! オーウェンさん! 579出ました!」
私たちは顔を見合わせると大きく頷きあった。残りは一袋だ。あるのかないのか超えてしまうのか、それからの数時間、私はただただ計器の動きを追って過ごした。
「580!」
それは既視感のある種だった。シェリルベル! 私に新しい思い出を作ってくれた大切な花。諦めていたものを与えてくれたもの。ああ、どうか、もう一度夢を叶えて……私は胸に輝く花を握りしめた。
「残り半分です。オーウェンさん、体調はどうですか? いけますか?」
すでに時間は丸二日目を終えようとしていた。私は問題ないと答えた。やせ我慢などではない。身の中に滾るものがあって、疲れなど感じてはいなかった。
「ティナ!」
きっとこちらも寝ていないのだろう。ネクタイを乱暴に緩めたままのボスがやってきた。私の顔を心配そうに覗き込んだ後、くしゃりと笑って頭を撫でる。どうやら私の闘志は丸出しらしく、ボスにはそれで十分だったようだ。
二人して作業を見つめる中、やがて朝日が昇ってきた。待機する廊下の端が仄白く浮かび上がる。種の残量はもう数える程だ。580番目を告げて以来、マシーンのライトが点灯することはない。誰もが息を飲んでその瞬間を見守っていた。
しばらくすると、音もなく少佐も滑り込んできた。ボスの脇に立ち、肩にそっと触れれば、ボスは微かに微笑み返した。私は胸の前で両手を握りしめたまま、最後の一粒が通されていくのを見つめた。
「終了です。総数580! 総督の見立て通りです。すべて回収しました!」
燃え上がるほどだった体から、途端力が抜けた。それをボスの力強い腕が支えてくれた。
「ボス! ボっ……」
「言っただろう。これは天上の花園への鍵なんだ。だから絶対に580なんだよ。俺たちが力を合わせて集めた徳だ。ティナ、ありがとう。間に合った……」
「間に、合った?」
「ああ。……今朝、フェルが死んだ。だけどあいつが俺に残してくれたこの580を俺はあいつに捧げるから。だから……あいつはちゃんとちゃんと天上の花園にいけるんだよ」
「……リック……」
「バカ、お前が泣いてどうするんだよ、ロブ。何か? それは振りか? 百戦錬磨の諜報官殿は泣き落としも得意なのか? そうか、そうだったのか、それは知らなかったな」
違う、泣いていたのはボスだ。人前では決して感情をあらわにしないボスが静かに泣いている。事情を知らない人の目には、マローネ3作戦の成功を喜んでいると映るだろう。それでいい。今はただ、この人を泣かせておいて欲しい、私は心からそう願った。
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