第48話 春の訪れの中で

 柔らかな日差しが降り注ぎ、空に青が戻ってくる。もう雪は降らない。春の到来だ。湧き出すように芽吹き、蕾が日々膨らみを増す。鳥は昨日よりも声高らかにさえずり、小川の氷は完全に溶けて陽の光に輝いた。


「オーウェンチーフ補佐、素晴らしいデータが取れましたよ。低温だけでなく、雪が降ったことも大きいですね。観光客も喜んでいましたが、私たちにとっても大いに喜ばしい未来への指針となりそうです」


 そう言って笑う博士の助力が、この大胆な気温降下を可能にしてくれたのだ。おかげで蛾の産卵数は抑えられ、森がいたずらに食い荒らされることはなかった。もちろん、森を散策中に蛾の大群に出くわして、具合が悪くなるような人が出ることも。そう、一番の功労者は博士。だというのにこの人は……。私は博士に微笑み返す。


「調査班の人たちは寒かったでしょうし、蛾にはすまないことをしましたけど、いい結果につながって良かったです」

「そうですね、痛み分けということにしましょう。勝手な温度調整で増やして減らして、自然を引っ掻き回したのは私たちだ。これからはこれまで以上に自然に寄り添っていかなくては。天候を自分たちで作れるからこそ、有効に使いたいものです」

「はい。緑化促進課も全力でサポートしますから、必要な時はいつでもおっしゃってください」


 スロランスフォードに冬を、雪を作り出しての大変革。紆余曲折の末、あるべきところに落ち着いてくれたことは総督府に大きな喜びをもたらした。何百年なかった凍える季節。急な決定に、準備期間などないにも等しい有様で、誰もが手探りで飛び込んだ。不安をやる気に代え、前に進むしかなかった。それだけに、これからのスロランスフォードを作っていく上でなくてはならないものを手に入れたことは大きなことだった。  


 DF部隊にとって、それはマローネ3を抑え込むための計画だった。それなのに、気がつけば天候の順調な移り変わりを喜んでしまう自分がいて、私は苦笑を禁じえない。それもこれも、恵まれた人脈ゆえのこと。仕事とはいえ、この一年で博士を始め多くの専門家たちと接点を持つことができた。それは私に大きな影響をもたらした。

 高周波を追いかけたはずが、蛾や鳥の個体数を心配していたり、雪を見てはしゃぐ観光客とすれ違えば思わず笑顔になってしまったり。すっかり公園管理事務所チーフ補佐が板についてしまったようだ。偽りの姿かもしれないけれど、この職につけてよかったと心から思うのだ。


「まさかこんな気持ちになるなんてね……。仕事なんてなんでも同じだと思ってた。大事なのは任務完遂であって、それ以上もそれ以下もなかったのに……」


 スロランスフォードという星は最先端都市でありながら、今まで知らなかった自然とのふれあいを教えてくれる場でもあった。観光客寄せの人工的な美しさだとばかり思っていたすべてが本物だったのだ。それはスロランスフォードが一流を取り入れることに重きを置いた結果だ。

 天然のカスターグナーとは違うけれど、ここにもまた人が求める自然の姿がある。風の匂いや水の音が生きている。ウィルと歩いたトレッキングコースや生態系チームと潜入した森の奥、マローネ3を追いかけて赴いた郊外のあれこれ、すべてが私に教えてくれた。

 

 施設の奥に閉じ込められて光や風を感じることなんてなかった、知らなかった。それを残念に思うことさえなかったのだ。けれど今、こんな風に与えられて、初めて味わう気持ちに戸惑いつつも幸せを感じずにはいられない。銀河に名を轟かす大都市に来たつもりだったのに、すっかり野生児のようになってしまった自分に呆れつつも、それは大きな充実感だった。


「私は神ではありませんが、命を預かる片棒を担いでいる、責任があるんです。そのためにここへ呼ばれた。私のやるべき仕事は驚愕のデータを取り扱うことじゃない、このドームの下で無意味に虐げられるものがいないよう見守ること。小さな命の営みの上に私たちは生かされている。それを忘れないこと。足元の違和感をそのまま放置しておけば、いつしか大きな傾斜となってすべてひっくり返されてしまいますからね」


 博士の言葉は学者としてのそれを超え、人生の教えのように聞こえた。私たちは宇宙に出て、無機質なものに囲まれることに慣れすぎた。シベランス銀河の多くのコロニーが、完全にコントロールされた環境下にある。今やそれはごくごくありふれたものだ。

 そこには苔むす森も花乱れる草原もない。わざわざ作る必要などないとみなが思ったからだ。欲しいなら、そんなものはいくらでも部屋の中に再現できる。細部にわたってカスタマイズされ、害虫や湿度や温度に悩まされることなく、目や耳を楽しませることができるのだ。

 そんな中で、スロランスフォードは早くからユートピアをコンセプトに掲げ実行してきた。ペラペラの作り物ではない五感で感じる世界。博士の語るそれは、まさに誰もが忘れてしまっていた理想だった。自然と生きることを想像できない人たちは、その真剣な取り組みを道楽だと言ったりもした。しかしスロランスフォードはそれを形にし、押しも押されぬものへと昇華させたのだ。


「才能と資金を惜しむことなくつぎ込み、より良い次世代を作ること、それがこの宇宙で一日でも長く生き延びるコツです。スロランスフォードがモデル区だというのにはそんな希望も込められている。しかし残念ながら、多くの人はまだその本質に気づいていない。だからこそ私たちが声を上げなくては。オーウェンチーフ補佐。あなたがきてくれて私は嬉しいんです。小さな疑問が大きな力につながる。生きることを知ることになっていく。私たちは自然の一部だ。これからも一緒に頑張っていきましょうね」


 それはとても嬉しい言葉だったけれど、同時に寂しさでもあった。私がここを離れる日は遠くない。それはもう決まったことなのだ、私にはどうしようもないこと。データ片手に嬉々として、この先の計画を説明してくれる博士の顔を見ながら、今だけはしっかりと私のできることをしておこう、悔いのないようにやりきろう、私はそう自分に言い聞かせた。


 一方で、マローネ3の追撃が休まることもなかった。種を厳重に保管したのち、その流通経路を遡って部隊は動き出した。すぐにこの問題が中尉とは関係のないものだということが判明する。相変わらずトカゲの尻尾切りのような追走劇は続いていたけれど、見え隠れする闇組織の一端に、総督府と連邦政府の新たな合同チームも編成された。

 その未来は不透明だ。すべてに方がつく日が簡単には来ないことは私にもわかる。世界はそんなに甘くない。潰しても潰しても闇は生まれ蔓延る。けれどその事実に立ち向かうために、DF部隊は存在するのだ。

 銀河ポートのコントロール室でボスと二人、システムがはじき出したデータを見ながら今後の対応を練る。高周波兵器は昔からあり密売は後を絶たない。それでも、このシステムによって性能の低いものはあっという間に暴かれた。ボスはそれをあえて公表し、自分たちの意思として掲げたのだ。

 

 この任務を通してエンジニアリングチームと懇意になった私は、自主的にマシーンテストに参加し、その性能を確認する役を買って出るようになった。マローネ3が核となったシステムは、より高みを目指して今日も進化中であり、そのためには欠かせない協力だと喜んでもらえた。いや、私こそ喜びを噛み締めていた。忌み嫌われたこの力をこんな風に役立てることができるなんて思いもしなかったからだ。


「オーウェンさん、全放出はやめてください。僕らの愛するマシーンを壊さないで!」


 そんな言葉まで飛び出して私は大笑いする。抱えてきた呪いの重荷をようやく下ろせたように感じた。私たちは奇異なる存在ではなく個性的なのだと院長先生が言ってくれたことを思い出す。スロランスフォードにやってこられたことが私を救ってくれた。ここには私と同じように、孤独を感じたり人との隔たりに悩んできた人たちが多かったのだ。けれどそれでもみな、前を向いて生きることを選択していた。それが私に勇気を希望を与えてくれた。


「マローネ3に感謝しなくちゃね。私をここに呼んでくれたんだもの。あれ? ボスが総督になったのって……」


 聞いたところではぐらかされるだろう。だから私はこの偶然を素敵なプレゼントだと思うことにした。未来のことなど誰にもわからない。けれど選択することはできるのだ。無理を背負いこむ必要はない。生きやすい場所を選び、自分を活かすことを望めば、きっと道は開かれる。

 

 スロランスフォードに再び訪れた平穏。任務完了だ。今日明日に辞令がおりても不思議はないだろう。そう思っていた時、ナーサリーから連絡が入った。マローネ2の発芽! 私は急ぎでナーサリーに向かった。

 小さな温室の中に、小さな小さな芽があった。尖った緑が顔を覗かせている。どんな花が咲くのか想像もできないけれど、それは間違いなく氷河色だろう。中尉が愛した美しい白、想いをつぎ込んだ約束の色。大事に育てていこうと改めて心に誓う。できることなら花が咲くのを見届けたい。そう願わずにはいられなかった。

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