第34話 いつも隣で笑っていてほしい
簡単な検査をしておこうということになり、迎えに来た看護師さんとウィルが病室を出た後、院長先生が私に向き直った。
「ありがとう、シャーロットさん。リックを救ってくれたことに感謝しかないよ、本当にありがとう。内戦が終わった後のリックはね、そりゃあひどかった。何もかも自分一人で背負いこんで、無茶ばかりして……、どんなに力になりたかったか……。だけど、誰もフェルの代わりにはなれなかった。フェルほど大きなものはなかったんだよ。リックにとってフェルはこの世界の中で一番大切なものだった。フェルがリックを思う以上に、リックはフェルを必要としていたんじゃないかと私は思っている」
「……」
「それでもリックはさすがだった。残された仕事をすることが自分の命を活かすことだと頑張ったんだ。やりすぎだとみな心配したよ。それでも生きていてくれるならと、私は何度も害にならない程度の薬を処方した。少しでも救えるものならと思ってね。長く苦しい日々だったよ。でも、ある日を境にあいつは変わった」
院長先生は目を細め、それはそれは嬉しそうに笑った。
「あなただよ。あなたを育て始めたんだ」
「私……」
「そう、小さなあなたを手元に置いて、悪戦苦闘の毎日だ。だが、あいつはそれで変わった。生き生きとして、かつてのリックが戻ってきたんだよ」
「院長先生、私のことは……」
「何も聞いていないよ。でもわかるさ。リックともフェルとも長いんだ。フェルの体のことを見てきたのは私だよ。何も言われなくても大体のことはわかる」
言葉に詰まった私の手を院長先生がそっと握ってくれた。
「シャーロットさん、この世界にいる人はね、みな少しずつ愉快な何かを持っている。耳たぶがふっくらしている人もいれば、足の人差し指がうんと長い人もいる。人との違いなんていうのは、その人らしさを表す形の一つでしかないんだよ。それは愛すべき個性だ。あなたはあなた。そうだろう?」
涙があふれそうになった。院長先生の言葉には確かな重みがあった。苦しんできた人をよく知っていて、そこに惜しみなく心を与え続けてきた人だからこその言葉だ。ボスの周りにはこんな素敵な人がいたんだ……。だからこそボスは、今また私に、これだけの気持ちを注いでくれているんだと改めて思い知らされた。
自分をかばってくれる人なんていないと頑なに心を閉じていた時期がある。自分をさらけ出すことを怖がって、それを封印しようと躍起になっていた時期も。それでもボスがその都度、仕事を役目を与えてくれて、私に自分の価値を教えてくれた。お前を必要としているんだと繰り返し言ってくれた。
その言葉に支えられ、励まされて生きてきたのだ。それはきっと、在りし日のボスも、そして中尉も同じだったのだろう。誰かに想ってもらえる。想い想われる。それは私たちが考える以上に大きくて大切なものなんだ。けれどそんな相手が……。
「今ボスは……」
「ああ、辛いだろうね……。だけどあなたがいる。リックはもう一人じゃないんだ。越えていけるさ」
「私、私こそボスに救われました。一人じゃないって教えてもらったんです! だからボスは私が助けます。何があっても!」
院長先生の温かい手がそっと両肩に添えられた。それだけのことなのに、高ぶってしまっていた気持ちが凪いでいく。そうだった、どんな時も冷静さを失ってはいけない。ああ、この人もまた、ボスとともに幾多の危機を乗り越えてきた人なんだ。熾烈を極めた内戦の中で、多くも失いつつも大切なものを守り続けてきた人なんだ……。
私は目閉じ、大きく深呼吸した。気持ちがぐっと引き締まり、揺らがないものとなっていく。院長先生はそんな私を満足そうに覗き込み、「ああ、リックと同じ色の瞳をしているんだね」と笑ったあと、穏やかに言葉を重ねた。
「シャーロットさん、いいかい。リックがあなたに求めているものは、献身や忠誠ではないよ。あなたの喜び、あなたの笑顔だ。あいつはあなたの後見人として、いや父親として、もう一度生きることに目覚めた。だったら、それを大事にしてやってくれないだろうか。あいつのそばにいて、笑ってやってくれ」
「院長先生……」
その夜から熱を出した私は、結局その週いっぱい病院でお世話になった。復帰が遅れたことを謝る私に対し、ボスはなんだかずいぶんとご機嫌で、時間のある限り病室に足を運んでくれた。時には院長先生と一緒で、そんな時には昔話に花が咲いて、私は知らないボスの一面を知れることに喜びを感じずにはいられなかった。
もちろん、その合間にはウィルが顔を出してくれた。リハビリだといって病院内を散歩し、下の売店で買ったブーケを毎日のように届けてくれたのだ。狭くはない特別室なのに、あっという間に甘い花の香りでいっぱいになり、看護師さんたちに羨ましがられた。
ほんの数日。けれどそこにはしばらく遠ざかっていた温かくて穏やかな時間があって、私たちはしばし、忌まわしい戦いの中にいることを忘れることができた。
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