第32話 眠り姫はキスをご所望

 ボスが気をきかせてくれたのだろう。私の部屋は東の塔の最上階の特別室だった。

 病院は上空から見ると十字の形になっている。部屋はみな窓側を長辺に細長く作られていて、大部屋の各ベッドからも外が見えるという仕組みだ。夜景や森や美しい中庭。旅先の怪我なり病気なりで心細い思いをしている人たちを、少しでも慰めるためだと聞いている。時間とお金をかけてこのスロランスフォードに来てくれた人たちに、どんな時でも応えたい、そんな想いからなのだそうだ。

 すべての場所において、まるでホテルのような設備。しかし徹底的に装飾をクリーム色で揃えて、これでもかと雰囲気を盛り上げている。そう、わざとなのだ。病院らしさも楽しもうという逆転の発想。入院なんてそうそう体験しない。だったら十二分に非日常を感じて帰ろうじゃないか。このコンセプトには笑わされも唸らされもした。

 だからと言って法外な滞在費や治療費をとるわけではない。銀河のどこよりも医療保障は充実していて、滞在期間を安心して楽しんでもらえることも、スロランスフォードの自慢の一つだ。


 綺麗に整備された中庭を見ながら、私は人影のない最上階の廊下を歩いた。ウィルの部屋は同じく特別室で、北の塔の端だと聞いた。そんなに利用する人もいないのだから、もう少し近くでもいいのではと思ったけれど、よく考えればそれはそれで心の準備が必要そうだ。いつでも顔を見れる隣にウィルがいたら……確かに休まる気がしない。

 これでよかったのだと頭を振りつつ歩いていて、はっと気がつく。私は通りかかった化粧室に飛び込んだ。そう言えば鏡さえ見ていなかった。慌てていたとは言え、あまりにもあまりだ。

 鏡に映る私は顔色こそ若干悪かったものの、特に傷もなくあの爆発が夢のようだ。もちろん、包帯の巻かれた左手は仰々しいし、地味に痛んでこれが現実だと教えてくれていた。

 鏡に近づいてさらに観察する。すっぴんだから幾分幼く見える。でも汚れたところもベタつくところもないし、きちんとお世話してもらったのだろう。よかった、見られる範囲だ。

 自由になる右手でざっと髪を整える。硬い直毛はこういう時ありがたい。すとんといつものように背中に流れてくれた。化粧はしばらくできないけれど、仕方がないだろう。ここにいる限り、この顔をあわせることになるのだから、ウィルに慣れてもらうしかない。


「がっかりされなければそれでいいわ。それより……」


 私はガウンの襟元をかっちりと締め直した。そうなのだ。これまたすっかり失念していたけれど、これは……大いに問題なのではと私は焦った。化粧どころの騒ぎではない。私は、そう……下着をつけていなかった。

 ここは病院なのだから当たり前だけれども、やはり少々心もとない。回れ右して帰ろうかとも思ったけれど、やっぱりウィルの様子が知りたい。ちょっと顔を見るだけ、まだ寝ているかもしれないし……と自分を納得させる。

 北の塔に入ったところで巡回の看護師さんとすれ違った。たまらず声を掛ける。


「あの、すいません、ハモンドさんは……。あ、私、東の特別室にいる総督府のオーウェンです」

「ええ、存じておりますよ。総督のお嬢さんですよね」

「え? ええ……」


 まさかの展開に度肝を抜かれたが、一介の職員に特別室を使わせるには確かに一番しっくりくる。もちろん、籍こそ入れていないだけで、そう言われても差し障りはない間柄ではある。それに……ちょっと嬉しかったりもした。


「ハモンドさんはまだ……。でも危険な状態ではありませんから心配しないでください。そっと入ってもらえれば大丈夫ですよ」


 私は看護師さんにお礼を言って歩き始めた。やっぱりまだ目は覚めていないのか。寂しいようなほっとしたような、何とも言えない複雑な気持ちになる。突き当りの部屋、そっとパネルに手をかざせば、ドアは音もなくスライドしていった。

 薄いカーテンが引かれた部屋は、程よく陰って雰囲気が柔らかい。私の部屋とはまた違った趣きだ。慌てて出てきたからじっくりとは見ていないけれど、私の部屋は可愛らしいものだった。それに比べてここはラグジュアリー感がすごい。

 一見、どの部屋にもあるようなカーテンがかかったベッド。けれどその上部には王侯貴族の寝室を思わせるような立派な天蓋があった。なんとも贅沢な装飾が施されている。そしてそれが、クリーム色で統一されることによって、派手さから心くすぐるアンティーク感へと見事に変換されていた。よくできたデザインだ。ロマンティックがお好みのご婦人にもきっと気に入ってもらえるだろう。

 

 へえ、と感心しながら私は静かに奥へ進んだ。閉じられたままのベッドカーテン手前でちょっと深呼吸をする。「失礼します」と小さく声をかけながら、紗のカーテンを開いてベッドの足元側に滑り込んだ。中はさらに一段ほの暗い。そっと視線を流せば固く目をつぶったままのウィルが見えた。

 駆け寄りたい気持ちに耐えつつ、ベッド脇を枕元へと回る。揺らさないよう気をつけながら、縁に寄りかかってウィルを覗き込む。綺麗な顔に傷はなかったけれど、胸の上に置かれた手首には分厚い包帯が巻かれていた。炎症を冷やしているのだろうか。


「ごめんなさい、痛かったよね。でも、これだけで済んでよかった」


 私は手首をそっと撫でた。それから黙ったままのウィルを見る。長い睫毛が陰を落とす顔はやつれているように感じられた。それはそうだろう。最終ミーティングに向けて連日の激務だった。そのピークにこんなことになってしまったのだ。申し訳なさでいっぱいになる。再度、「ごめんなさい」と言葉がこぼれ落ちた。


 右手をそっとその頬に添えてさらに重ねる。


「ごめんなさ」

「謝罪なら、言葉よりキスがいいなあ」


 聞きたかった声が鼓膜を震わせた。ゆっくりとまぶたが持ち上がり、ウィルが笑った。

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