第31話 優しい記憶が揺れる午後
次に気がついた時には淡いクリーム色の天井が見えた。
「ティナ!」
ああ、よかったと、ベッドの脇でボスが崩れ落ちた。
「ぼ……すっ」
「ああ、ここにいるぞ。どこか痛いか? 俺が見えるか? 聞こえるか?」
「は、い……。はい、大丈夫。手がちょっと痛いけど」
「ああ、ああ、そうだな。ちょっとな。でもすぐによくなる。ああぁ……本当によかった……」
深く俯いて、何やらつぶやいていたボスは、がばりと顔を上げると私をにらんだ。
「ティナ、お前っ、あんなもの掴みやがって。馬鹿が! 死んだらどうする気だったんだ!」
「……ごめんなさい。でも、死んでませんから。ほら、大丈夫ですよ。ね、ボス。それよりも褒めてください。お手柄だったでしょ! もう怖くない。マローネ3なんか」
私が得意そうにそう言えば、今度は今にも泣きだしそうな顔をして、ボスはそっと私の右手を握った。一体今日のボスはどうしてしまったのだろう。まるで別人のようだ。いや、遠い日にこんなボスを見たことがあったような……。
(そうだ、あの日。小さな小さな頃、泣きわめく私と一緒になって泣いてくれた日)
熱いものがこみ上げてきて、慌てて視線をもう片方の手へと移す。仰々しく包帯が巻かれていたけれど、どうやら思ったほど状態は悪くなさそうだ。
「無意識に左手に力を集めたんだ。それもずいぶん高等な技でな。花を潰さず、でも力は押さえ込み、自分の周りに薄皮一枚ってとこか。さすがに無傷ってわけにはいかなかったが、おかげでちょっとした裂傷だけで済んだんだ」
「へえ、私、すごかったんですね」
「馬鹿! ラッキーだったんだよ。うまくいっただけだ。自分でもわからん力なんぞ信用するな。これはまぐれだ、偶然だ。いいか、次はないと思え! 心配させやがって……。本当にっ……お前の手が吹き飛ばされなくてよかった……。いや、たとえ吹き飛ばされても、銀河で一番いい義手をつけてやるけどな!」
「嫌だボス。勝手に人を傷物にしないでください、縁起でもない」
口を尖らす私にボスは笑い、頬にかかった髪をそっと払ってくれながら言った。
「ハモンドは、とりあえず大丈夫だ」
「とりあえず?」
「ああ……」
「え! 私、思い切りやりすぎました?」
「いや、お前のせいじゃない」
「だったらなんです」
ボスがなんとも切なげな微笑み浮かべた。
「ボス!」
「あいつ、泳げないんだってな。お前に負けず劣らず、あいつも無茶苦茶だな」
私は口元を押さえたまま声が出せなかった。
「お前を追って飛び込んで、引き上げて救急隊に引き渡して、俺に見たこと全部説明して、医者の説明を一緒に受けて。よくあそこまで持ったもんだ。ずいぶんボロボロだったぞ」
茫然自失の私を前に、何やらボスは嬉しそうに口角を上げて続ける。
「まずはお前に突き飛ばされて右手を捻挫した。かなり腫れてたな。それから爆風による全身打撲。それだけでも一般人なら寝込むだろうよ。だが次に水難救助! それも泳げない奴が。痛んだ手でお前を抱えて水をかき分けて……相当無理したんだろうなあ。ダメージMAXだ。そこまで揃えば部隊のやつらだって半数は倒れるな。それでもあいつは踏ん張った。だけどお前の無事が確認できて一気に力が抜けたんだろうな。医者から話を聞いた直後に倒れてまだ目が覚めない。でも大丈夫だ、命に別状はないって医者は言ってるし、驚くほど頑丈にできてるみたいだからな。しばらく寝かせといてやろう」
ようやく呪縛から解き放たれた私の脳裏にあの瞬間が流れ出した。
(そうだ。ウィルが水の中にいたんだ。青い青い中で私を抱きしめてくれた。綺麗すぎて嬉しくて夢みたいだと思って……ああ、なんてこと……。まだ何一つ自分の秘密を打ち明けられていなかったのに、彼を巻き込んでしまった……)
私は罪悪感でガックリとうなだれてしまう。
「ティナ。ハモンドはな、お前の秘密を知っててもやっぱり同じようにしたと思うぞ。いや、もっと張り切ったかも知れんな。そうなれば、黙って突き飛ばされてくれることもなかっただろうから、話をする前でよかったと俺は思ってる。おかげで大惨事を免れた」
「……」
「そんな顔をするな。もう一晩も寝ればけろりさ。部隊にスカウトしたいほどいい素材だ。だから覚悟を決めとけよ。もう待ったなしだ。ここは先手必勝、洗いざらいぶちまけて驚かせてやれ。なあ、ティナ。もう迷うな。隠すな。愛されてるってちゃんと自覚しろ。ここまで体を張ってお前を守りたいと思ったあいつを褒めてやれよ。大した奴だよハモンドは。凄い男だ。うん、そうとも、こんな優良物件、他にはない! いいかティナ、これは上司命令だ。絶対リリースするな。責任を持って完全拘束だ」
「……ボス」
これだけ言われなければ自分の恋心を肯定できないなんて、本当出来損ないの部下である。だけどたまらなく嬉しかった。私が選んだ人はこんなにも素敵な人なんだと感じられて、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「ボス、今いつですか? 私どれくらい」
「丸一日だ」
「丸一日……。あっ! プロジェクトチームの最終ミーティング!」
「大丈夫だ、俺も参加して今朝無事終わった。ハモンドの渾身のデザイン、通ったぞ。あいつは紛れもなく天才だな。スロランスフォードの知名度はこれでさらに高まる!」
「よかったぁ。よかった……」
泣き出しそうな私の顔を見ながら、ボスが大きな手で優しく髪を撫でてくれる。ああ、やっぱり。今日はあの頃みたいだ。わがままを言ってはボスを困らせていた頃。でも根気よく、優しく、いつまでもいつまでも私をなだめてくれる大きな手。その温もりの中で私ははっと我に返った。
「白い花はどうなりました?」
「ああ、あれな。お前の力のおかげで形をとどめてたからすぐにラボに回した。今日の午後には詳しいことがわかるだろう」
「あれは……マローネ3でしょうか」
「多分な」
「でもだったらなぜ?」
「シェリルベルだったかということだろう? ああ、それは俺も悩んだ。まあ、結果はすぐ出る。ある程度は解き明かせるだろう。これから忙しくなるぞ、早くよくなってくれよ」
「もちろんです」
午後の日差しが柔らかく窓辺に投げかけられていた。テーブルの上には綺麗な水色の布張りのトレーが置いてあって、私のシェリルベルのネックレスとパールのピアスが並んでいた。
「ボス……、私、ウィルを見にいっても?」
「ああ、お前が動けるなら構わんが……」
「大丈夫です、いけます」
「本当だな? 無理はしてないな?」
「はい、でもボス……」
「ん?」
「訓練はもっとしないといけないことがわかりました。もう死にかけるつもりはありませんから!」
ボスが笑った。さっきまでの弱さは消え失せ、私のよく知っている堂々としたトップの貫禄を漂わせて豪快に笑った。
「わかった。希望者を集めてのトレーニングコースに登録しておく。この任務が終わったら少しやってみるといい」
「ありがとうございます。ではちょっといってきますね」
「ああ、俺はラボからの連絡が来るだろうから総督府に戻る。何かあったらすぐに連絡するように。今週いっ」
「明後日には復職します」
「ティナ……」
困った子を見る顔をされてしまったけれど、ここは引けない。今が一番大事な時なのだ。ことは動き出している。ボスは素知らぬ顔をしているけれど、あのコンテナが誰の手によって設置されたものなのか、総督府の中にスパイがいるのか、問題は山積みだ。けれど早期復職を普通に頼んでもボスは聞いてくれないだろう。だから申し訳ないけれど、私はまたまたウィルを引っ張り出した。
「オペラハウスの庭園打ち合わせもまだしていません。最終案には必要だって言っていたんです。急いだ方がいいと思うので」
「それはここでやればいいだろう? ハモンドがいるんだからここでできる」
「なっ!」
「そういうことだ。まずはしっかり体を元に戻せ。中途半端では全力は出せんぞ!」
やっぱりボスが一枚上手だった。私はちょっと悔しそうに肩を竦ませてみたものの、結局はおとなしく頷いた。ボスは満足げに目を細め、そんな私の額にそっとキスをする。これもまた小さい頃からの習慣。温もりから遠ざかってしまった人が与えてくれるこの小さな触れ合いに、何度助けてもらったことだろう。私は備え付けのガウンを羽織ると、もう一度ボスに頷いてそっと部屋を出た。
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