第20話 遠い日の少女に戻る時

「以上が今月の報告分です」


 スロランスフォード来期分輸入会議という名目で集まった数人と、いくつかのタブレットの向こうのメンバー、それから総督室をつないで。厳重なセキュリティーの元、DF部隊の定例会は滞りなく終わった。

 闇ルートからのチップは、破損していない分のほとんどを回収できている。長年この案件を追いかけてきたチーム。任務完遂を前に誰の顔も晴れ晴れとしている。ポーカーフェイスを貼り付けた私ももちろん同じように見えるだろう。けれど心の中には焦りがにじんでいた。私の受け持つ案件だけは進んでいないからだ。

 マローネ3の存在は極力伏せられている。こうして集まった中にも詳細を知らされていない者がいる。あまりに複雑な内容を上層部が重く受け止め、超極秘扱いとなったからだ。民間人を巻き込む恐れがあること、殺人予告の対象が総督であること、能力完全開放の許可が下りた上で任務に当たるのが私であること。どれを取っても公にできるものではない。

 ボスが言うように孤独な戦いだ。何が何でも抑え込む。共倒れ? 望むところだ。それだけの覚悟はできている。けれどここへきてもうずっと膠着状態。じりじりと胸の内が焼き付いても仕方ない。


「何よ、蛾だけじゃないって……。中尉って、ボスが言う純粋なんかじゃない。ねじくれてるのよ、恐ろし狡猾で巧妙。ああ、天才ってやだ。もて遊ばれてる気分」


 思わず零せば、この特別任務に携わっている数少ないメンバーの一人がそっと耳打ちしてくる。


「おいおい、怒られるぜ。中尉じゃない、元中尉だ。ボスが毎回そう言ってるだろ?」

「わかってる」

「しっかし純粋ねえ。あの人、綺麗な顔してるからなあ。天使みたいで、裏なんかないような感じで……」


 私はあの日見た映像を思い出した。確かに顔は綺麗だ、けれどそれ以上に声にはっとさせられた。綺麗な声。まさに天使の歌声。


「だけど結構やんちゃだったみたいだぜ。いたずら好きというか。でもそれがまたかなり度の過ぎたいたずらだったみたいで、つけられたあだ名が堕天使だとよ。すげえよな。予言かよ……」


 580個の悪を重ねて天界の花園を放棄し、ボスを道連れに地獄へ行く覚悟を決めた中尉。それはまさに堕天使の所業。あの輝くような微笑みをもう見ることは叶わないのか……私はやるせない気持ちでいっぱいになった。人を想うことって一体……。前日のボスとの会話が思い返される。


「ティナ、このあいだの事故はフェルの仕込んだことじゃないと思うんだ」

「なぜです。あんな大岩を落としたんですよ。それなりの力が発動したことは間違いありません。あの花の中にマローネ3があったのだと私には思えますが」

「ああ、あったかもしれないな。けれどその発動には別の何かが関わっている。もしフェルだったら、大岩が転がるだけじゃ済まされない。大爆発が起きて、今頃新たなクレーターができてる」

「そんな……」

「お前もハモンドも吹き飛んでな」

「なっ!」


 いきなり出てきたウィルの名前にうろたえる。ボスの前だ。ポーカーフェイスが崩れたところで問題はない。まだまだ甘いと怒られるくらいで。どう返したものかと口をパクパクしている私を見てボスがうっすらと笑った。


「なあ、ティナ。ハモンドはいい奴だな」

「……ええ、まっすぐな方ですね。感性が豊かで才能があって」

「この間、会議の後に少し話したんだ。オペラハウスのことは多少もめているが、いいものができることは間違いない。だから焦らず十分に時間をかければいいって。疲れた顔をしてたからな、ちょっと休むようにも言った。そしたらお前の話になったんだ」


 ウィルとの週末のことはボスも知っている。その報告で新たなプロジェクトチームだって立ち上がっているのだ。今更何を話したというのか……首をかしげる私にボスが続けた。


「謙虚で仕事熱心なチーフ補佐には何かとお世話になっていますが、何よりも彼女の笑顔に救われています、だとよ」

 

 まさかの言葉に息を飲む。


「お前、あいつの前だと笑えるんだな。最初は得意の業務用かと思ったが……新しいプロジェクトで仕事が増えた時も前向きだったしなんか嬉しそうだっただろう? だからどうやら本物だなって気づいたのさ。ああ、ティナは小さい頃みたいに笑ってるんだなって」


 私はふるふると頭を振った。なんと言っていいのかわからなかった。確かにウィルの前では素直になって笑った。だけど、小さな頃みたいにって……。ボスに気持ちをぶつけてばかりいた日々を思い出す。


「ティナ、頼ってみてはどうだ? お前は一人で抱え込みすぎる。俺がいる間はいいが、俺だってもうこの年だ。いつまでもお前を守ってはやれないぞ」

「ボス! ……自分のことは自分で守れます。それにボスはまだまだお若いです。命尽きるまで現役でお願いします。私も栄えあるDF部隊のメンバーとしてどこまでもついていきますから!」


 そう言い募ればボスが眉を下げる。まるで捨て猫を前に困っている人のようだ。私はそんなに切羽詰まった表情をしているのだろうか。


「いいかティナ、DF部隊だって人の子の集まりだ。みんな生きてるんだ。誰かを想ったり家族を持ったりして当然。もちろん秘密を共有することによって相手を危険にさらすことにもなる。だけど、それでもいいと思える奴を選ぶことができるのなら、絶対にそのチャンスを逃すな。俺たちに与えられた時間は人より歪で先も見えない。だからこそ、見つけて欲しいんだ」

「……わかりません、ハモンドさんがそんな相手かどうかなんて、私にはわかりません」

「それでも一緒にいると楽しいんだろう?」

「それは……」

「だったらそれが答えなんじゃないか? 始まりなんだよ。わからなくて当然さ。何が出るのか誰にもわからんよ。だけどやってみて損はない。始めてみろ、ティナ」


 私は唇を噛みしめた。始めるためにはまず自分のことを話さなくてはいけないだろう。そんなことできるだろうか……考えたこともない。


「……重要秘密事項の漏洩です」


 苦し紛れにそう言えば、ボスが喉の奥で笑った。


「ああ、そうだな。まさに人生最大の賭けだ。だけどあいつになら試してみる価値はあるんじゃないか? それで尻尾を巻いて退散するような男を、俺はこのスロランスフォードの未来を指し示すプロジェクトのヘッドに据えたつもりはない」

「……」

「ティナ、まさかあいつのことは一夏の幻なんて思ってたんじゃないだろうな?」

「……」


 ボスは天を仰ぎ、私はいたたまれなくなって窓の外を見た。申し訳ないけれど、すぐには答えを出せそうにない。だけど今はそれでいいと思った。生まれて初めての感情。それが意味するものをまだ掴みかねている。許してくれると言うなら、大事に育ててみようと思った。そうすれば何かが見えてくるかもしれない。中尉の深い深い想いが、私にもわかるようになるかもしれない。

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