第19話 第2の事故発生
気温が一段と高くなり、いよいよ夏の花があちらこちらで咲き始め、そのチェックに追われる毎日が続いた。
次に懸念される場所は森と図書館裏。特に、花数の多い森の中は要注意だ。しかし日中はデスクワークもあり、そうそう席を離れられない。したがって森へは業務時間外、朝夕出かけることにした。夏という季節柄、朝が早く夜が遅いことはありがたい。
一方で、図書館裏はまだ開花していない。ここは真夏というよりも、夏から秋をつなぐ花が多いのだ。とは言え蕾もずいぶんと膨らんできているし、早い花の開花は時間の問題だろう。
劇場正面階段下、一般開放されているオーガニック農園の一部、郊外の休耕地の多くや牧場。そこに咲く花は、公園管理事務所が管轄するナーサリーで作られた種のため心配はいらない。けれど念の為、一週間に一度は足を運ぶことにした。
鳥類昆虫混合チームの生態系保持と向上のためのプロジェクトが立ち上がっていることも功を奏し、私が頻繁に外出しても特に不審がられることはない。それどころから働きすぎを心配されて申し訳ないほどだ。いや、実際に働きすぎているかもしれない。けれど時間との勝負なのだ。うかうかしてはいられない。大きな事故が発生する前に手を打てるのならそれに越したことはない。
「だけど今週もお散歩はできないんだよね……」
ウィルからの連絡で、オペラハウスプロジェクトが佳境に入ったことを知ったのはシェリルベルを見に行った翌週だった。デザイン決定の最終段階で何やらトラブルがあったらしく、それが解決するまでは問答無用の休日出勤。そしてその怒涛の打ち合わせは、秋までかかるのではないだろうかということだった。
私は一抹の寂しさを覚えてしまった。睡眠時間を削って作り出していた週末の早朝イベント。なくなれば体は楽になる。けれどなんだかぽっかりと心に穴が空いてしまったような気がしたのだ。癒されていたのはウィルではなく自分だったのかと苦笑を禁じえない。空いた時間に一人森へと足を運べば、花を見ても鳥を見ても、ウィルの顔を思い浮かべてしまう。
「ウィルも今が正念場。頑張ってるんだから私だって。うん、ぐずぐずしてられないわ」
そう自分を鼓舞し調査に明け暮れる日々。やがて、図書館裏の花が満開になりそうだという報告が入ってきた。私はデスクワークを切り上げ、午後一で出かけることにした。
貯水池広場、それは階段広場だ。ひな壇になった芝生、その中を下っていく石の階段。一番底の部分に貯水池は大きな長方形の水鏡だった。空を映し出して悪くはないが、ビルの谷間ということもあって少々無機質な感じがする。それを和らげるためか、芝生のあちこちに低木や大小の岩が配置され、寄り添うように小花が植えられている。野の花風だ。階段の両脇にも植えられているし、もちろん貯水池もぐるりと囲まれている。
「わあ、夏花のミックス……。一番厄介なパターンね。すぐに特定は難しそう。いざとなったら視覚ではダメね」
とぼやきつつも、そのカラフルさにしばし見とれる。赤にピンクにオレンジに黄色に白に紫や緑まで。重々しい石造りの図書館裏がちょっとした花畑なのは意外性があって面白い。空調の効いた静かな館内での読書もいいけれど、好きな場所に寝転がって本を読むというのもなかなかに楽しそうだ。
小さな子ども連れが多く見受けられ、ベビーカーもそこかしこに置かれている。確かに、ここなら子どもが大きな声をあげても気にならないし、トイレやレストランや知育広場など館内の施設も使える。ちょっとした気晴らしには最適だろう。若い母親たちもリラックスしているように見えた。
「オーウェンチーフ補佐!」
ああ、夏の容赦ない日差しに蒸された心と体に染み込む清水のような……! 突然耳に届いた声に心が震えた。反射的に振り向けば、図書館脇で手を振る姿が見える。隣の人に二、三何か言ったあと、ウィルがこちらに走ってきた。
「ロティ、久しぶりですね。元気でしたか? ちょうどランチに出ていて、まだ三十分ほどあるんです。ちょっと話をしませんか?」
到着してから違和感を感じていないし問題はないだろうと私は頷いた。木陰になった芝生に座る。まだお昼を食べていなかった私はウィルに断って小さな包みを広げる。
「それだけですか? 足りてます? しっかり食べないと……」
忙しいのと暑いのとですっかり食欲が落ちていた。ウィルと早朝の散歩を楽しんだ頃はブランチをしっかり食べていたことを懐かしく思い出す。
「大丈夫です。ここの暑さはカスターグナーに比べればずいぶんとしのぎやすいですし、秋になれば落ち着きます」
「……秋になったら僕も少し休めそうですから、また美味しいものを食べに行きましょう」
それでもまだ心配そうなウィルに微笑んで見せる。とその時、何かがそばを横切ったような気がした。嬉しくない気配。ついにきたかと身構える。それは……さほどの威力ではないけれど、重ねて放出されれば影響が出ないとも限らないような高周波だった。
(どこから? まさかこんな街中に蛾が紛れ込んだ? 鳥がまた迷走?)
表情を変えずに、さっと辺りを見回してもそれらしきものは見当たらない。けれど嫌な感じは続いている。それどころか大きくなった。
(まさか! 花が!)
そう思った瞬間、ひときわ大きな力を感じた。私はとっさにウィルを押し倒した。叩きつけてくる痛みを無視して耳たぶを握り込み、意識を集中させる。
(ギリギリいける!)
有無を言わさぬ勢いでウィルに覆いかぶさり、頭上を通過するものをすれすれでやり過ごす。若い母親の悲鳴が聞こえた。子どもが泣き出す声も。それを引き金に辺りは大騒ぎになった。しかしまだだ。意識集中をさらに高める。
「ロティ?」
「……もう少し」
それから時間にして数秒、続いて大きな水音。どうやら問題は収束したようだと私は判断した。こわばっていた体が緩み、密着したウィルの体温にほっとする。心地よい。
「ロティ?」
先刻までとは違う、幾分甘さを含んだ声にはっとする。しまった、非常事態だというのにうっとりと身を任せそうになっていた。ダメダメ、陶酔している場合ではない。ああ、なんてざま。一気に恥ずかしさも募り、私はそそくさと起き上がった。
気持ちを入れ替えて状況を確認する。誰も傷つけてはいないはずだ。転んだ子どもが膝を擦りむいたくらいで他にけが人はいないことに安堵する。
しかし異変が起きたことは一目瞭然だ。花はなぎ倒され芝生はえぐられ、図書館側から貯水池まで地面に大きな傷跡ができていた。あろうことか大岩が転がり落ちてきたのだ。
あの時、実際に見てはいなかったけれど、重量と大きさは直ちに感知できた。もちろんその軌道も。自分たちに向かってくることは明らかだったから、一も二もなくウイルに覆いかぶさって力のコントロールに集中したのだ。
止めるのはもう無理な状況で、ベストな選択は方向は変えること。大岩を貯水池に落とそうと決めた。こちら側からも力を放出して関与するのだ。瞬時に極力危険のないルートを計算したけれど、転がっていく大岩はあちこちでぶつかって砕け、破片を撒き散らかしながら進んだ。人々は大いに驚かされただろう。実際、貯水池からの水しぶきを浴びた人たちは未だ茫然自失状態だった。しかし怪我がなくてよかった。とにかく、今は現場を収めなくてはとウィルを振り返る。
「ウィル、ごめんなさい、ちょっと待っていてもらえますか?」
IDをポケットから引っ張り出して騒ぎの中へと足を進める。状況を聞き、被害の有無を再度確かめる。ここでも名刺を配って、何かあった時のサポートを申し出る。総督府にもつなぎ、技術チームの派遣を要請した。
転がったのは大岩一つだったけれど、他のものが緩んでいないとは限らない。全てを点検して人々を安心させることが公園管理事務所の優先すべきこと。破損した階段と押しつぶされた花や芝生の処理も急がなくてはいけない。
しかし不幸中の幸いとでも言えるだろうか、嫌な感じはすっかり消えていた。かすかな高周波は未だ感じられたけれど、それを集めて放つような脅威は霧散していた。潰れた花の中にマローネ3があったのか。けれどもうそれを調べる手立てはなかった。
ただ、爆発ではなく振動による落下という状況が力の弱さを意味していた。まだ予測を立てていた程の超音波が出ていない。蛾でないのか? だったら何が……。力の大きさとは別の問題、予期せぬ音の出現にぞっとする。同時にさっきの一撃で受けたのだろう、肩に走った痛みを無意識に押さえた。
「ロティ?」
いつの間にか後ろに来ていたウィルが心配そうに私を覗き込む。大丈夫ですよと笑顔を作る。けれど思った以上の痛みのせいで顔がこわばる。心配させてはいけないと全力で口角を引き上げた。
「ごめんなさい、せっかくのランチ休憩だったのに」
「いえ、そんなことは構いません。久しぶりに話ができたし、たっぷり抱きついてもらえましたから。積極的なロティもいいものですね。ぐっときました」
重苦しい雰囲気を払いのけるかのような言葉に心が和む。ウィルはこういう人なのだと改めて感じ入る。もう行かなくてはという言葉に、つい名残惜しい気持ちがわき上がるけれど、それをチーフ補佐オーウェンの仮面の下に強引にしまい込んだ。タイミングよく技術チームの到着だ。ウィルに軽く会釈を返し、私はチームと共に作業を開始した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます