第16話 心から笑いたい時

 再びやってきた週末。先週と同じく朝の六時半にウィルと待ち合わせ。今日はサイクリングコースもあるコース3に行く。

 今朝もまた、私は鏡の前で一人着せ替えごっこに慌ただしかった。前日には決めてあったのに、着てみると納得がいかず、さらなる数枚を引っ張り出したからだ。ブラウスの色が青だろうが白だろうが、きっとウィルには大差ないだろう。けれど気になって仕方がない。

 今までならそんな私的感情など簡単に切り捨てられた。ところがどうしたことか、それを許してしまう自分がいた。そしてそれを、ほんのりと嬉しく思ったりする自分が。

 結局、白いブラウスにして青と紫の花柄スカーフを結ぶ。張り切っているのは明らかだった。それでもパンツと帽子は先週と同じものにして、張り切っている風に見えないようにと無駄なあがきを試みる。もう苦笑しかない。

 そしてまた五分前に着けば、やはりもうすでにウィルはいた。大丈夫、想定内だ。今日は慌てず歩いて行く。「おはようございます」と声をかけつつ近づけば、顔を上げたウィルがぱあっと笑顔になった。


「ああ、ロティ、おはようございます。今日は白ですか。青と紫が映えて綺麗ですね。ロティはやっぱり青が似合う。本当は先週もあれこれ言いたかったんです。でもうるさいと嫌われるんじゃないかって思って言えずじまいで……。だけど帰ってから、やっぱり言っておけばよかったって凹みました。思ったら伝える、これ鉄則ですよね」

「はあ」

「だから今日は言いますね。うん、とっても素敵です、ロティ。さあ、行きましょう。で、今日の見所は?」


 どう反応したものか今日も今日とてわからない。ウィルが相手だとどうも調子が狂ってしまう。とりあえず差し障りのないお礼を言って歩き出せば、さっと手を握られた。


「なっ!」

「せっかくだから手を繋いでいきましょう。うん、今日はずっとそうしていましょう。素敵な気分になれば、より一層休日は充実するというものです」


 今日も、気がつけば巻き込まれているお決まりコース確定だ。潔く諦めて提案に乗る。というのは嘘。こんなことされて平常心でいられるわけがない。「はい」なんて素直に従ったものの、心臓がうるさく音を立ててどうにかなりそうだった。

 これはもう警戒モード仕事モードに集中するしかない。持てる装備を全力で発動。いつも以上に完璧ポーカーフェイスをがっしり貼り付けて、心の中では自分諌めに大忙しだ。


(落ち着いて! 先週だって手は繋いだじゃない、こんなの挨拶よ挨拶。目的はリラックス、その手伝い! チーフ補佐オーウェン。あなたならこれくらいのピンチは乗り切れるはずよ!)


 コース2と違って道幅は広くゆったりしている。二人で並んで歩いても問題ない。まるで恋人同士のように私とウィルは散策を楽しむ。いや、違う。心の内は連行される犯人のごとき焦りでパンパンだ。しかし不思議なことに、何やかんやと話は弾み、気持ちがほぐれてくる。


「そう言えば、ロティはいつもパールのピアスですね。好きなんですか?」

「ええ、まあ……。親にプレゼントされたもので、お守りのようなものです。つけていると安心するというか……、だから引っ越したり新しいプロジェクトが始まったり、そういう時には必ずつけるんです」

「なるほど。それは心強いですね。よく似合っていますよ」

「ありがとうございます」


 嘘ではない。用意してくれたのはボスで、これはなくてはならないもの。任務にも欠かせない、私のパートナーといっても過言ではないだろう。いつだってつけているのだ。

 しかしよく見ている。けれどウィルだけではないかもしれない。他人に違和感を感じさせないためにも、もう一つ二つピアスホールを増やそうかと、私はウィルの顔を見ながら考えた。


 やがてそよそよと風吹く中に甘い香りが混ざり始める。広々としたピクニックエリアが見えてきた。テーブルと椅子が配置されているのは花咲く草原の中。もちろん花を踏まないように石畳が敷かれているけれど、遠くからだとまるで花の中にいるように見える。赤やピンクやオレンジの華やかで可愛らしい花たち。蜂や蝶も楽しげに飛んでいる。

 そんな心安らぐ風景とは裏腹に、密かに身構えた私は神経を集中させる。どこからも圧力は感じない。大丈夫だ、ここにはない。


「ランチを持ってきても楽しそうですね」


 早朝のコース、さすがに食事を広げる人の姿はないけれど、光景が目に浮かぶ。素敵な提案だと私はウィルの言葉に笑顔で頷いた。


「ロティ、お料理はするんですか?」

「することはするんですが……平日は忙しいのでほとんど簡単なものを買っています。女子力が低くてお恥ずかしい」

「いえいえ、チーフ補佐が忙しいのは部署の誰もが認めるところ。それなのに僕が週末まで引っ張り回してしまって……すいません。だけどきっとロティは上手に作るんでしょうね。センスがいい人というのは、何をさせても器用にできてしまうものですよ。いつかそんな機会に恵まれると嬉しいなあ」


 私は乾いた微笑みを浮かべる。そんな機会がないことを祈るばかりだ。


「あ、小川の代わりに噴水と廃墟風のウォーターガーデンがあるんですね」


 そう、これこそがコース3の目玉だ。サイクリングコースでもあるけれど、歩く人用に多くの趣向が凝らされている。コース2が自然を満喫タイプなら、ここは人工的な良さを前面に押し出した巨大庭園風だった。

 「優雅なる散策路」という呼び名にふさわしく、苔むした石畳やら廃墟風のオブジェやらがなんとも魅力的だ。さらに、古い宮殿に迷い込んだかのようなウォーターガーデン。周りを飾る水生植物も美しく、それはコース2とは違った意味での素晴らしい水場だ。


「溜まった水というのは管理が大変ですよね。水質保持にはやはり魚ですか?」

「ええ、詳しいことはわかりませんが。一時期、魚を取ろうと野鳥がたくさん集まって問題になったと聞いています」

「で、どうしたんです」

「掘り下げて深いものにしました。それなら足の長い鳥も入れませんから」


 ウィルが弾けるように笑い始めた。ツボにはまったらしい。そんなに面白かったかと首をひねれば、ウィルは目尻に溜まった涙を拭きながら言った。


「すいません、想像してしまって。いつものつもりできた鳥、相当慌てたでしょうね」

「え? ああ、そうですね、うふふ、うふふふ」


 私もつい、笑い続けるウィルにつられてしまう。いつになく大きな声に思わず口元を押さえながらも、楽しくて仕方がない。こんな姿を見たら、私をアイスプリンセスだと呼ぶ人たちはきっと驚くだろう。

 でも、ウィルと一緒の時にはもう無理をしないと決めたのだ。もちろん急に馴れ馴れしくするつもりはない。適度な距離は必要だろう。けれど、この週末だけは笑いたい時には笑おう、そう思った。


「ロティは笑うと可愛いですね。いつもは凛として仕事のできる格好よさがありますけど、こんな風に笑っていると本当に可愛い。だけどやっぱり仕事中は今までのままでお願いします。この笑顔はかなりの威力ですから。これ以上ファンができると困ります」


 言っていることは相変わらずさっぱりだったけれど、ウィルが眉を下げて随分と困った顔を演出するものだから、その様子がおかしくて私はまた笑った。

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