第17話 一夏の幻として
翌日月曜からは山積みの書類と格闘する日々で、そんな一週間の終わりに鳥類チームをまとめる教授から連絡が入った。保護した鳥は二、三日様子を見て、どこにも不調がないと判断されたため、足に発信機を取り付けて放したという知らせだった。
今の所、自分の巣に戻り、行動は森の中に限定されているようだ。大型の猛禽類が街の方まで出てくることは珍しい。よっぽどのことがあったのだろうと推測される。相変わらず廃線と湖をつなぐあたりを飛んでいるようだけれど、これと言って不可解な行動は取っていない。もうしばらく様子を見ようということになった。
「オーウェンチーフ補佐、この鳥の名前を知っていますか? スロランスフォードの固有種なんですよ」
「えっ! そうなんですか。すいません、知りませんでした。勉強不足で申し訳ないです」
「いえいえ、そういうつもりでは。あんな風に上着に包んで大事に抱いてきてくださったんで、もしかしてご存知なのではと思ったんです」
「ああ……いえ、それくらいしか思いつかなかったので……。せっかくですから、その鳥のことをもっと教えていただいても?」
それはほのぼのとしたやり取りだった。けれど私は非常に重要なことを聞かされたと思った。教授にとっては授業の一環みたいなことだったかもしれないけれど、私にすれば願ったり叶ったりのピンポイントな指摘だったのだ。
身体的特徴や行動などはさして他の猛禽類と変わらない。捕食するものは昆虫や小動物、時に水辺の生物。ただ、この種が特に好むものは蛾だった。そしてその蛾もまたスロランスフォードの固有種だったのだ。
「猛禽が蛾を捕獲……スピードも力も圧倒的でしょうから、きっと容易いでしょうね。だから好きなんでしょうか」
「いや、それがね、なかなかどうして簡単ではないんです」
この鳥は捕食時、ソナーのように超音波を出して小動物などの位置を捉える。けれどこの蛾は身体の一部を振動させることでそのレーダーから逃れるのだ。それはすなわち、自らも超音波を出して向かってくるものを相殺しているということ。私は胸の高まりを感じつつ、慎重に質問を重ねる。
「すごいですね、生きるための知恵というか……」
「そうですね。けれどこれ、実は繁殖行動です。オスを呼ぶためにメスが出す音波なんです」
「まあ。そうすると季節が関係するんでしょうか?」
「いえ、このドーム内においてはほぼオールシーズンですね、まあ、真冬は少し数も減りますけど」
「じゃあ、場所は?」
「蜜が好きですから、やっぱり花が多い場所でしょうか」
これだ! とひらめいた。蜜に引き寄せられる蛾。そしてこの蛾が出す超音波にマローネ3が反応するとしたら! この蛾はここにしかいない。それはすなわちここでしかマローネ3は発動しないと言うこと。まさにお前を狙い撃つぞと言う、宣戦布告のようではないか!
蛾に飛ぶなとは言えない。言って聞くものでもないだろけれど、だからと言って殺傷処分とかもあり得ない。それこそ生態系を崩すことになり、本末転倒だ。中尉はそこまでわかっていて仕掛けてきたのではないだろうかと私は思った。見つけたと思っても八方塞がり、私たちが悩む様子を想像してきっと
そこまでしてボスを傷つけたいのか……。けれど私はその執着の中に、中尉の想いの深さを感じずにはいられなかった。裏返しになってしまった想い。中尉はボスのことが本当に本当に好きだったんだ……。
もちろん、これはあくまでも私の推測。蛾の超音波がスイッチだと決まったわけではない。けれどかなり可能性は高いのではないだろうか。超音波を出せるものはそう多くはないし、花の近くに生息するとなるとさらに限られてくる。まだまだ調べる必要はあるけれど、まずはこの蛾について調査を始めようと決めた。
昆虫チームにも鳥が方向感覚を失ったことを伝え、その調査の一環で捕食対象である蛾の情報が欲しいのだと言えば、笑ってしまうほど多くの資料が提供された。せっかくなのですべてに目を通すことにした。それを知ったボスには呆れられてしまったけれど、乗り掛かった船だ。オープンカレッジの、夏の特別セミナーにでも参加したつもりで勉強させてもらおうと思った。
「ティナ、無理はするなよ。必要ないことはできるだけ削って自分を労れ。と言って聞く性分じゃないか。でも楽しそうだし、お前がいいようにすればいい。今まで心を殺すような仕事ばっかりさせてきたからな……こんな風に笑っているお前を見ると救われるよ」
確かに辛い時もあるけれど、知らないことを学べるチャンスだと思えばやる気もわいてくる。それにボスが言うように、今回の任務は楽しかった。最初はどうなることかと思ったけれど、蓋を開けてみれば何かと性に合う。まるで念願の仕事場に就職できたかのよう。スロランスフォードの公園管理事務所に配属されたことは、私の中にいつにない感情を引き起こしていた。
それは喜びなのではないだろうかと思った。日々、誰かに何かに感謝することや、美しい風景や音楽や絵画に感動することはあっても、じわじわと胸にこみ上げるような喜びを感じることは稀だった。さらにそれが、誰かに働きかけることによって生じるなど考えたことさえない。
けれど今、私はそんな奇跡を目の当たりにしていた。ウィルのおかげだ。グイグイと容赦なく私的スペースに割り込まれているようでその実、隅っこで小さくなっている自分に優しく手を差し伸べてくれているのを感じる。頑なに他人との距離を取りたがる私に、彼は誰かと一緒に笑うことの心地よさを思い出させてくれた。
この星の生態系を褒めてくれウィルのために、総督府の目指す自然の美しさに同意してくれたウィルのために、もっともっとこの星の自然を理解した自分になりたいと思った。
おかしな話だ。任務が終わればここを離れ、もう二度と花を植えたり種を蒔いたり、鳥や蝶やミツバチの話などしたりすることはないというのに……。それでも、今だけはあれもこれも貪欲に取り込んで、少しでも休日のウィルに笑って欲しいと思った。
だけどここまでだ。これ以上踏み込んではいけない。シャーロット・オーウェンは一夏の幻だったと思ってもらわなくては……。
これはささやかな夢。現実味のない夢。そう思うと苦いものが胸に走る。なんだろう、この感情は。こんな風に胸が苦しくなることなんてなかった。それでも私は頭を振って自分に言い聞かせる。
(十分じゃない。心から笑って楽しむ。こんな贅沢が他にある? 週末の温もりも胸の高まりも、きっとずっと、これからの私を支えてくれるわ……)
ねじれた想いが引き起こす悲しさ虚しさ。でも、それだけ誰かを愛することができる人はきっと幸せだろう。壊してしまいたいほど欲しい人をこの広い銀河の中で見つけられるなんて、本当に羨ましいと感じた。
「さあ、蛾についてとことん調べるわよ! 求愛の音ってどんなものかしらね。マローネ3は言ってしまえば横恋慕よ。正しい相手を教えてあげなくっちゃ。もちろん正しい愛の表現方法もね。まあ……経験のない私に言われるのはしゃくでしょうけど」
独り言だというのに、面白おかしく言わずにはいられなかった。自分に中に芽生えたものが、任務を請け負ったあの時よりも一層この事件のやるせなさを教えてくれる。中尉に真実を届けることができたらどんなに良かっただろうと思う。しかしそれが叶わぬこととなった今、私たちはとことん戦うしかないのだ。どちらかが壊れてこの世界からなくなるまで。そして私たちは勝たなければいけない。
「あいつはもう、あの頃のあいつじゃない」
ボスの声がこだまする。その一言をボスはどんな気持ちで吐き出しただろうと思うと胸が痛んだ。無理なことだとわかっていても、私は中尉に少しで遠い日の喜びを取り戻して欲しいと、そう願わずにはいられなかった。
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