第5話 花咲く日の決意1
「ボス、中尉には計画の内容を知らせなかったんですか?」
「ああ、言えばあいつは絶対反対するだろうからな」
「当たり前じゃないですか! 他に道はなかったんですか?」
「なかった。だから、あいつがいなくなったんじゃないか」
「……」
「フェルにはもうこれ以上、血なまぐさいことはさせたくなかった。あいつは限界だったんだよ。聴いただろ。あの声。大聖堂の天使みたいなあいつには、一日も早く静かな生活に戻って、大好きな歌を歌ってもらいたかった。絶対に死なせたくなかった。だから俺が……なのに……」
普段のボスからは到底信じられないような声だった。胸を搔きむしらんばかりの悲しみが伝わってくる。その感情に私までもが飲まれそうだった。けれどここで負けるわけにはいかない。始まりなのだ。顔を上げ、私はまっすぐにボスを見た。
「ボス、教えてください。どうして武器の発案者が中尉だとわかるんです?」
「まずは579だ。フェルたちの宗教では580の徳を積んだものは天界の花園に入れる。だがもし579だったらすべてはぱあだ。そこまでいかに苦労して徳を重ねてきても、たった一つが全てをダメにする。たかだか一つじゃない、その一つこそが重要なんだ。それはな、一度の過ちが人生をダメにすることの恐ろしさを教えてるんだよ。あいつは声楽隊で聖堂に通う傍、天界の花園の天井画を見るのが何よりも好きだった。花園の門の前で崩れ落ちる男の姿は、自分にとって大きな戒め、自戒の象徴だったんだ。だからかな、作戦コードにもよく#579とつけた。忌まわしきを粉砕するんだって笑っていたよ」
ボスの目がかすかに細められ、笑っているかのように見えた。私は無性に悔しくなった。なぜ笑っているのかと、八つ当たりのように噛みつくように、ボスに詰め寄った。
「だったら、この場合の意味は何なんです、ボス!」
「……俺へのラブレターだな。徳が580そろって天界の花園に入れる。じゃあ悪が580揃ったら……それは間違いなく地獄の業火の中だろうよ。俺を道連れに、あいつは花園を放棄したんだ。地獄へ落ちる覚悟を決めた。あれほど求めたものを手放す、それほど俺が憎かったんだろうな。ああ、いいだろう、憎めばいい、俺だけで済むなら、いくらでもそうすればいい」
静かな声だったけれど、その中にはボスの決意が感じられた。ボスは自らの命をかけようとしているのだ。「そんなことやめてください!」と叫ぶ前にボスが私を制した。
「いいか、ティナ。先に流れた579個を完全追跡して破壊するのがこれからのDF部隊のミッションだが、お前は580番目に当たれ。それは俺めがけてやってくるはずだ。それが奴の本当の狙いだからな。ターゲットは俺。いかれた科学者の愛しい恋人か。上等じゃないか、全部受け止めてやる」
「ボス! そんなのおかしいです! そんな……」
「落ち着け、ティナ。お前がすべきことはなんだ。俺のことを少しでも哀れんでくれるなら、力を貸してくれ」
感情が吹き出して渦巻いて、訓練したはずのものなんか、みんなはるか彼方に吹き飛んでしまったかのようだ。怒りのあまり震え出した私の肩を抱いてボスは囁いた。
「思い出せ。種。あの男はそう言った。今までの流れからいってマローネ3が超音波増幅装置であることは間違いない。けれど種だ。それはどういうことだ?」
静かで深い声が私の心を落ち着かせる。ボスを見上げ、私は停止していた脳を叩き起こした。
「無差別、ですか? どこかに咲いたものが勝手に事故を誘発するとして、だったらそれはボスには当たりませんよ?」
「だな。だがじわじわと俺を苦しめるだろうよ。俺が総督に就任したことはすでに銀河内外の政府に通達されている。マローネ3は間違いなくスロランスフォードにくる」
「星を、無関係の人々を巻き添えに? そんなの無茶苦茶です!」
「だから、お前なんだよ、ティナ。わかるな」
事の重大さとあまりに悲しい展開に、私は脱力して床にへたり込んだ。なぜこんなことに……。手足をめちゃくちゃに振り回し大声でわめき散らしたかった。けれどちっとも力が出ない。目の前で私を心配そうに覗き込んでいるボスを私は見つめ返した。
ボスこそ泣いたり叫んだりしたいんじゃないだろうか。ボスは今、どんな気持ちなんだろう……。何かを言おうにも頭が回らなくて、私は視線を落とした。そんな私にいつもと変わらない明るい声がかけられる。
「ヴェッラ・デ・ラ・マロネリオンという花がある。フェルの地元でしか咲かない自生の希少種だ。昔から聖堂に飾られる花。聖母に捧げられるものだ。だがすでに絶滅しかかっていて、聖堂脇の花壇で大事に育てられているのが最後だと言われている。かつては郊外を埋め尽くすほど咲いていたらしいぞ。その証拠に、フェルの好きだった天井画にもそれは無数に描き込まれている。小さな花でな。可愛らしいんだそうだ。だが、その土地からは離れられない、離れれば死んでしまう。なあ、似てるだろ、フェルみたいだろ……。もちろんフェルはすぐその花に夢中になったさ。小さい頃だったからな、その長ったらしい名前が言えなくて。マローネ、マローネって呼んでたらしい。マローネだよ、ティナ」
そう言うとボスは笑った。嬉しそうなのに寂しげで、胸がつまる。
「そう、マローネ……なあ、これ以上のものがあるか? ……あいつは歌うだけの世界に生きたいと望んでた。生まれてからずっと、愛するものは大聖堂と清らかな歌声で、争いや、ましてや戦争なんて無縁の世界に生きてきたんだ。だが皮肉なことにあいつのIQと秘められた能力は化け物並だった。それが悲劇の始まりだ」
それは初めて聞く話だった。私は窓の向こうの空を見上げるボスの横顔をじっと見つめた。
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