第8話 差し引きゼロで良しとする

 受付嬢に他部署の女性陣、いや男女問わずホール行き交う外部の人たちまでもがチラチラと気にしている。さすがにできる男は違う。座っているだけで人を惹きつける。けれど昼間とは随分印象が違っていた。

 どうやら彼には明確なオンオフボタンがあるようだ。就業中の姿はまだ見たことがないけれど、あの人当たりの良さを思えば間違いない。そう、万人に開かれていた扉が今や「オフだから話しかけないで」というプレートを下げて閉じられているのだ。

 ……それだけならいい。プライベートな時間は大切。しかしこれはダメだろう……。「けしからん!」と指差して説教垂れるべきレベル。オフになった途端、彼はまさに高嶺の花となった。それもかなり危ない角度で突出した類の。

 爽やかな笑顔の下に秘められていた色艶が顕著に顔を出し、若干疲れを見せる表情までもが悩ましい。近寄り難いのに触ってみたくてたまらなくなるこの感じはなんだ。建設部としてはトラブルを防ぐため、今後一切、「玄関ホール内でそのオフモードは厳禁!」と言って聞かせなければいけないだろう。
 

 

 ああ、回れ右して帰りたくなった。どう考えても悪目立ちがすぎる。私は地味に活動したいわけでこんなオプション全然欲しくない。

 けれどそれよりも先にウィルフレッドが私を見つけ、立ち上がって嬉しそうに手を振ったのだ。先ほどまでの冷たさが嘘のような、辺り一面華やぐほどの笑顔。

 玄関ホールの目という目が一斉に私を捉えた。万事休す! ああ、痛い、視線が痛い。無音のプレッシャーが突き刺さってくる。思わずIDを握りしめたことは言うまでもない。隠した名前を呼ばれなかったことは不幸中の幸いだったと思いたい。
 

 

 よそ行きの営業スマイルを貼り付けたまま、しかし有無を言わせぬ圧力をかけて目線で促し、私は足早にホールを抜けていく。まずはここから立ち去ることだ。

 ところが足の長さの差は歴然で、すぐに追いつかれてしまう。私は落胆する。回転ドアまでもう一息だったのに。さらになんだろう、この無駄に広いスペースは。総督府の入り口に、銀河ポート並みの空間が必要な訳が知りたい、本当に知りたい! 私は心の中で悪態をつく。もちろん、その大きなドアの縁をさりげなく抑えたウィルフレッドが、同じ空間にするりと滑り込んでくる。



「オーウェンさん、もしかしてかなりお腹空いてます? ですよね、僕も。早く食べたいです。初日でバタバタで、うっかりお茶の時間を忘れてしまって……」
 


 この際返事はなんでもいいだろう。コクコクと頷きながら、とにかく前へ進む。二秒、三秒、四秒、滑らかにドアは周り、私はようやく二人きりの密室から解放される。一斉射撃のような視線からも。

 内心、息も絶え絶えでウィルフレッドを見上げれば、能天気なのか確信犯なのか、いたずらっ子のような笑顔を見せる彼は、軽く腰を曲げて私の顔を覗き込んだ。


「そういえば時差を感じないんですけど、これだけ離れてしまうとそんな感覚ももはやないということでしょうか?」 



 一応、場所を気遣ってか、ちょっと小声で話しかけてくる。建物を出たとはいえ、まだ総督府の玄関先だ。それも退社時間。それは正しい判断だったけれど、私には拷問にも等しかった。そう、耳元で最強ボイスとか……これはもう尋問時における最終手段と呼んでもおかしくないだろう……。

 私は意識コントロールのための厳しいトレーニングを思い出す。カレッジ主席のオーウェンではないが同期トップのオーウェンだ。こんなことではくじけない!



「艦船滞在中に、室内の調整装置でかなり負担を緩和しているはずです。早い人なら到着と同時にフィットしますし、遅くても翌日には大丈夫になるはずです。この星は観光客も多いですからね。スロランスフォード路線上の艦船にはすべてこのシステムが搭載されているんです」

 

 総督府提案の自慢すべき点の一つを、顔色一つ変えず、平常運転で説明する。おかげで幾分落ち着いた。


「なるほど。さすがオーウェンさん。赴任早々なのに淀みなく答えてくれるなんて、やっぱり優秀なチーフ補佐なんですね」

「いえ、これくらいのこと、総督府職員であれば誰でも知っています。特に私がってことでは」

「ああ……、その謙遜。うんうん、そこがギャップ萌えの人たちにはたまらないんでしょうね」

 

 一山超えたかと思えばまたもや怪しげな発言。今回の任務、なんとも調子が狂う。色々な意味で明後日方向に問題が展開していると言うか……。


「今日一日で何度も聞きましたよ。初対面の異性をこれほど惑わす人はいないだろうって。オーウェンさん、すごい人気ですから」

「はあ……」


 本当に見えない。全くわからない。一体なんの話なのか。惑わす? 人気? そんなキャラ設定にはしなかったはず……。私は一人悶々とする。


「もちろん僕は、そんなことはここにいる誰よりも早くから知っていますけどね。オーウェンさんの氷の美貌に隠された優しさ、温かさ。僕があなたと話していたのを見ていたんでしょう、知り合いなのかとあちこちで聞かれました。ええ、カスターグナーの時からだと言っておきました。嘘じゃないですよね、だって最初に会ったのはゲート前でしたし。それから優しいことも可愛らしいことも、もちろん全力で肯定しておきました。あ、それは言わないでおいたほうがよかったかなあ……」



 話の筋が見えないまま、私は凍りついてしまった。



(優しい? この私が優しい?)



 さらには温かいだの可愛いだの。アイスプリンセスと呼ばれることはあっても、そんな女の子然としたこと、面と向かって言われたことは一度だってない。

 何がおきているのだろう。職員を始め、ここの関係者の多くはみな個性的な性癖の持ち主なのだろうか……。疑問符が脳内を激しく駆け巡る。

 この顔のままで丁寧に言えば言うほど、それを優しさとカウントしていただけるなら、それはありがたいと思うけれど、なんだか腑に落ちないと言うか……それとも何か、ウィルフレッドは他人の意見を自分のいいように解釈できるスーパーな耳を持っているだけで、本当は誰もそんなことは言っていないとか……。

 

 強張る顔をなだめつつ、私は曖昧に微笑んだ。どう答えていいものか、すぐには思いつかなかった。

 とりあえず、挨拶時における第一印象は悪くなかったと言うくらいに判断しておこう。とにかく私としては、可もなく不可もなく、印象はできる限り薄いほうが好ましいのだ。ああ、玄関ホールのあれは痛かった……。


「とにかく一番乗りは僕ですからね。うんうん。あっ、オーウェンさんは気にしないで、どうぞそのままで。さあ、今日は美味しいものを思う存分食べましょう。楽しみだなあ」


 賑やかに盛り上がりながらも、さりげなく私の歩幅に合わせてくれるウィルフレッド。優しいとはこう言うことなのでは。自分の何が優しかったのか、考えても考えてもわからない。これは目の前で笑っている彼から、後でじっくり聞き出すしかなさそうだ。

 初夏に向かう季節。夕焼けが始まって、今日のスロランスフォードも美しく平和だ。私はウィルフレッドと青葉揺れる並木道を歩く。自然と言葉がこぼれ出た。


「なんだかとってもお腹がすいてきました。美味しいワインも飲みたいです」

「はい。ありましたよ、オーウェンさんに似合いそうな綺麗なロゼが。それを飲みましょう」


 透明感あふれる笑顔、柔らかな声。初対面にも等しいのに不思議とリラックスしていた。なんとも居心地がいい。そのせいだろうか、いつになく素直な自分がいた。


(そう言えば……こんな風に誰かと気負いなく過ごすなんていつぶりだろう。なんだかずいぶん甘やかされてるような気もするけど……。まあ、いいか。まずは美味しいものを食べて英気を養おう!)


 孤独な戦いには慣れている。人に頼ることがないよう訓練されているのだ。それなりに成果を出してきたし、これからだってやってみせる。それなのにふと、たとえこの先きつい毎日がやってきたとしても、この瞬間を思い出せば乗り切っていけるような、そんな気がした。それは感じたこともないような温かさだった。


(……悪くないじゃない……)


 私は思わずウィルフレッドに微笑みかけた。アイスプリンセスだってこれくらいは許されるだろう。

 そんな私を見て嬉しそうに笑う彼も、夕焼け色に染まりつつある木漏れ日も、本当に本当に綺麗で眩しかった。

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