第7話 チーフ補佐は活動を開始する

 到着翌週、建設部関係者全員が集合で初の顔合わせがあった。ちらほらと知った顔が見える。どうやら私以外にも部隊メンバーが投入されているようだ。私は今日も鉄壁のポーカーフェイスで、そんな相手にもそつなく初対面の挨拶をこなし、名刺を配り歩く。

 大抜擢ではあるけれど、所詮チーフ補佐だ。チーフではない。ここ大事。それゆえに好奇の目を向けられはするけれど、大多数が「大変なポジションだけど頑張って」的な温かい眼差しだ。どの業界でも、補佐というのはなかなかに気苦労が多いのだろう。ボスの采配、その辺りがなんともうまい。

 控えめに、けれど真摯な瞳を意識して相手を見れば、うんうん、わかってるよと言った顔で頷かれる。仕事はできるかもしれないけれど、まだまだ経験は浅くて危なっかしい。だけど真面目に健気に頑張っているチーフ補佐の第一印象はこれでばっちりだ。味方についてくれそうな人の顔と名前をしっかり記憶しながら、私は挨拶回りに精を出した。


「これで質問もしやすくなるし、情報も集めやすくなるわね。しっかし、すごい人数。さすがは建設部、総督府の人気部署ね」



 名刺を補充しつつ隅から広いホールを見渡す。人、人、人……。緑のバッジはお揃いで下げるフレームが色違い。想像していた以上に多くのチームがあるようだ。人事異動の挨拶、若干長めな朝礼くらいかと思っていたけれど、とんでもない。ちょっとしたパーティー状態だ。


「オーウェンさん!」


 と、最高級のカンフル剤のような声が聞こえた。ああ、なんという耳福。持ち主は見ずともわかる美声。緩みそうになる表情筋を叱咤して私は振り返る。今日も今日とてウィルフレッドは完璧だった。その装い佇まいに心の中で唸る。そこからは仕事の完璧な仕上がりが目に見えるかのようだ。……企業がこぞって依頼もしたくなるわけだ。


「よかった。また会えましたね、オーウェンさん」


 貼り付けた笑顔の下で軽く目眩を感じた。ああ、いい声だ……本当にいい。ほどよく低音で、柔らかく艶がある。疲れた体に染み渡る清水のような、すっきりとしているようで甘く、とろけるような余韻が憎らしいほどに素敵だ。


「ああ、ハモンドさん。こんにちは。どうですか? もう慣れました?」


 わき上がる感動をねじ伏せ、まずは礼儀正しくご挨拶。職員らしく言葉を続ければ「ええ、非常に好ましい部屋に住まわせてもらって!」とウィルフレッドが満足げに語る。嬉しそうなその声色はさらに艶を帯び、もはやほのかな色気さえも漂うレベル……呼気が空気を震わせ、背骨の先にズンと来た。……たまらない。しかしここは踏ん張りどころだ。嬉しくはないけれど「アイスプリンセス」の二つ名に応えようじゃないか。私はより一層丁寧に答える。


「それは良かったですね。いい環境はいい仕事に結びつきますから。オペラハウスの完成が楽しみです。何かあったらすぐにおしゃってくださいね。滞在がより快適になるよう、すぐに対処させていただきます」


 そういうお世話は公園管理事務所の仕事ではないけれど、とりあえず気持ちだ。この場をそつなくおさ……! ところがその言葉にウィルフレッドが相好を崩したのだ。その瞬間、私の中の好感度インジケーターは振り切れた。


(なにそれ!)


 この男は黙っていればこれでもかの顔面偏差値を惜しげもなく木っ端微塵にしたのだ! くしゃっと力いっぱいの笑顔、屈託のない無防備すぎる笑顔。しかしそれこそが最強だった。


(この人……自分の価値を分かってるの? わかってやってるならとんだ曲者だし、わかってないなら……天然記念物確定の純朴さだわね)


 とにもかくにも私はひしひしと危機を感じていた。声だけでも凄まじいのに、視覚的効果がさらなる苦悩を強いる。


(ああ、その状態で音になるかならないかの息を吐かないで……)


 ほのかな笑顔を貼り付けたまま心の中で悶絶する。これ以上会話を続けたら、なんだかいけないことを口走りそうな気がしてきた。大変なことにならないうちに撤退だと、私は軽く会釈をしてその場を離れようとした。


「あ、オーウェンさん、今日はもう仕事はありませんよね。一緒に食事に行きませんか?」

「はい?」


 どうして突然そんな展開になるのかと内心焦りまくりの私に、ウィルフレッドは嬉々として続ける。


「先週末、知人が担当したレストランに行ったんです。建物を見に行っただけなんですが、料理が思った以上に良くて……。あ、もちろん雰囲気も申し分なく合格点です」

「はあ……」

「好き嫌いとかあります?」

「いえ、なんでも美味しくいただける派です」

「それは良かった。銀河フュージョンなんですって。結構楽しめますよ」

「銀河、フュージョン? へえ、それはまた……興味深いですね」

「でしょう、行ってみる価値あり、観光客にも全力でオススメできる新たなスポット間違いなしです!」


 そこまで言われると嫌とは言えない。仕事絡みでお誘いとは……なかなかにやり方を知っている。よくよく考えれば、私は公園管理事務所職員であって広報担当ではないのだけれど、その時の私はウィルフレッドの勢いに圧倒されて頷くしかなかった。


「ありがとう、オーウェンさん。じゃあ五時半に玄関ホールで」


 こうして私たちは一緒に出かけることになった。出会って二回目に、それも二人きりで。
 

 キラキラと眩しい笑顔を振りまいて去っていくウィルフレッドに軽くお辞儀を返しながら、私はこの予想外のやりとりを思い返す。柔らかく人当たりが良いと思っていたけれど、なんだろう、この押しの強さは。それなのに圧迫感も嫌味もない。気がつけば押し切られている。ああ、不甲斐ない、特殊技能チーム長の私ともあろうものが、なんという体たらく。
 

 それもこれも声が好みだからというならば、私は思いもしなかった自分の弱点を見つけたことになる。そう、今後、好みのタイプと敵対することになった場合、たやすくやられる未来しか見えない。不本意だが今知れてよかったと自分を励ます。しかし、ここまで好みのタイプにはそうそう出会わないだろうから、そんな心配をする必要もないような気もしたが、とりあえずそういうことにしておく。

 

 部屋に戻った私は二、三簡単な作業をこなし、同僚に声をかけて退室する。化粧室でさっと身だしなみを整え、鏡の中でポーカーフェイスを確認する。時間外だがもうひと頑張りだ。

 そうして約束の時間に降りていけば、広々とした玄関ホール脇の接客ブースに、長い足を優雅に組んで、何やらしどけない雰囲気を漂わせつつ座っているウィルフレッドの姿が見えた。

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