第2話 おやすみ前の一言

 軽やかな電子音とともに、程よい振動が体に伝わってくる。大型艦船はゆっくりと上昇を始めた。程なくして艦船は銀河周回軌道に乗り、着席義務は解除される。今日の特別ブースにほぼ人影はなし。

 私は閉じていた目を開け、軽く伸びをした。すぐ隣のラグジュアリーなカウチに移動し、バッグから最軽量のタブレットを取り出す。こんなものを持ち歩くのは荷物だと言われるけれど、感覚があるというのは素敵なことだと思う。重さを感じたり場所を選んだり、不便さが愛おしいと感じるのは私だけだろうか。それに、これを片手に佇んでいれば仕事中だと見なされ、声がかからないことも見逃せない。
 


 それはさておき、画面上にはメロディーとともに総督府のロゴが花開くように現れた。新しくなったサイト。ロゴデザインは同じものだけれど、ちょっとした装飾が加えられたことで華やかさが増し、より洗練されたスロランスフォードが印象づけられる。


「しかし派手よね。自分の着任に合わせてこのアピール。これも作戦のうちでしょうけど、もしかしてボスって案外目立ちたがり屋だったりして。仕事にかこつけてなんか楽しんでる感あるもんねえ。とにかくあれこれ頼まないように気をつけなくっちゃ」


 実はボスと一緒に仕事をするのは初めてだ。しかし十分にその無茶振りは知っている。今回の任務は規制が多くやることが山積みだから、いつものように付き合わされてはたまらない。


「それと言いかたね。みんなの前ではボスじゃなくて『総督』、そ、う、と、く。ああ、もう舌噛みそう、言いにくいわね。秘書のみなさんは毎度大変ね」


 好き放題言いながら、ファイルの中から必要な情報を引っ張り出してもう一度眺める。


 シャーロット・オーウェンは、明日付けで総督府建設部緑化推進課公園管理事務所チーフ補佐に着任する。緑地を歩き、必要な情報を仕入れ、銀河内における輸出入、注文を管理するのが主な仕事。地味なようでなかなかに重要な部署なのである。

 シベランス銀河第三惑星スロランスフォードは、銀河内二十を超える惑星の中で唯一の自治領。総督の下、母星からの影響を受けることなく独自のルールで成り立ち、どこよりも資金力豊富で革新的な提案をし続ける星。最も名の知れたモデル地区だ。
 

 集結した高い頭脳が導く特殊な産業は言うまでもなく、全てのことが注目の的となる。そのため常に新しい試みがなされていたけれど、ことに景観作りには意欲的だった。優秀な建築家、デザイナー、ガーデナーによる、ユートピアとも称えられる美観は、観光客を集める重要な役割を担っているからだ。
 


 この最先端都市はまず形態が独特だ。遥か上空には陽光エネルギーを取り入れるための巨大ドームが広がり、それはなんと惑星の四分の一をも占める。他にはあり得ない規模だ。

 最初からそうだったわけではない。この星は、鉱物資源に恵まれていたため注目を集めていたけれど、大気の質が今ひとつで、それが移住の妨げとなっていた。そこで出資者を募り、実験的にドーム型都市計画が進めことが始まりだ。

 それが少しずつ広がり、最終的に今の大きさになってすでに数百年が経つ。しかし古びることはない。それどころか日々、更新され続けている。この規格外の建造物が、多くの優秀な人材にとってあまりにも魅力的だったからだ。誰もが己の技術を投入しようと夢中になり、今やドームは科学技術の粋を集めた傑作だった。

 

 そしてその巨大ドームが作り出す理想的な天候の元、緑地化も順調に進んだ。閉ざされた空間に、まるで母星カスターグナーのような丘陵地が広がり水辺が輝く。そんな夢のような風景を誰が想像しただろう。
 

 しかも、その中でも特にずば抜けた美しさが街の真ん中に広がっている。水源の内包する森だ。洗練された都会の刺激と牧歌的な癒しが同時に得られる旅。そのため観光による収益はうなぎのぼりで、その資金でさらなる美観が作られていく。この緑化推進計画の手腕も成果も空恐ろしいばかりだった。


「そこに公園管理事務所の力ありってことね。責任重大なわけだわ!」

 

 豊かな自然といえば四季を彩る花々も重要になる。けれどありふれたものではつまらない。ということで緑化推進課、特に管理事務所の面々は常にデータ片手に奮闘中なのだ。

 多くの惑星から途切れることなく売り込みがあり、それを検討する傍ら、総督府のマザーボードからはじき出される実験的なあれこれがめまぐるしく展開される。その結果、公園管理事務所の持つナーサリーが扱う種は、ここで買えない花はないのではないかと言うほどに多様化し、研究チームによる強健種の育成がよりいっそうその価値を高めた。


「凄まじいわね。銀河トップの才能と資金。それが最高の景観を作る。これは……下手に仕掛けられて壊すわけにはいかないわね……」


 チーフ補佐オーウェンはカスターグナー第一カレッジの植物専門コースを首席で卒業したエリートということになっている。それゆえに、その若さでこの役職に抜擢された。

 いかにもの筋書きだ。事実、公園管理事務所職員にはそんな人材が揃っている。彼らは正真正銘の植物エキスパート、花輸出入を管理する精鋭部隊なのだ。そこへの参入。与えられた経歴を危うくしないために、出来る限りの知識情報を頭に叩き込んだ。
 


 そんな私は、本名シャーロット・ティナ・オーウェン。DF(デボンフィールド)部隊、第八小隊特殊チーム長。能力は連邦政府における最高機密レベルであり、ボスであるサー・リチャード・デボンフィールドに、その力を貸して欲しいと言われて今回の任務に就いた。公園管理事務所チーフ補佐は仮の姿。一足先にスロランスフォード総督になったボスを追いかけて現在移動中。
 

 嘘の履歴が燦然と並ぶ架空のオーウェンも名前だけは本物なのだ。趣味や性格は「好きなようにやれ、その方が楽だろう」とボスに言われたこともあり、手抜きできてほっとする。長期戦になるかもしれないため、余分な作り込みは避けたかった。ティナという洗礼名こそ表には出していないけれど、まあ、それは身内とも呼べるボスくらいしか使わない名前だから特に問題はないだろう。
 


 今回の任務はいつになく複雑だ。二重三重に目的が隠されている。大掛かりな部隊の作戦とともに、諜報部のより個人的な動きが活発化するだろう。そこにはボスの過去が絡んでいる。伏せられた詳細は厄介なことこの上ない。
 

 しかしこの件を受けた時私は決めたのだ。なんとしても何年かかろうとも、絶対やり遂げる。自分の経歴や満足のためにではない、ボスのために。そう、誰よりも優しくて、誰よりも傷ついていて、それなのに誰をも守ろうとするボスのために私はやるのだと、そう思った。
 


 一通り内容に目を通した私は表示を消滅させる。バッグにタブレットを戻した時、ポケットに入れた名刺が見えた。



「ウィルフレッド・アーチャー・ハモンド、ねえ。ウィルフレッド、ウィルフレッド……、う〜ん、聞いたことある名前だよね。……あぁ、あれか、あの人か!」



 少し前に「稀代の天才建築家!」なんて派手な見出しで特集が組まれた新星だ。天は二物を与えたやら何やらメディアが大騒ぎしていたことを思い出す。確かにあの顔なら需要は高いだろう。それにしてもそんな人を引き抜くとは……ボスの本気度をまじまじと感じさせられる。

 大きな話題が提供されれば周りの動きは見えにくくなる。もちろんウィルフレッドの実力は折り紙つきで、オペラハウスの完成は間違いないだろうから、しばしスロランスフォードはこの話題で持ちきりになるはず。彼の活躍が目覚ましければ目覚ましいほど、私も仕事がしやすくなるというもの。

 

 私は備え付けのベッドへと移動した。早朝から慌ただしかったこともあり、体は休息を求めていた。手足を伸ばして快適なマットレスに横たわれば、あっという間に睡魔が襲ってきた。


「あっ、推しの『おやすみ』聞かなかった……」


 けれど遠のく意識の中で、ふと輝く笑顔を見たような気がした。「じゃあ、また」という恐ろしく魅力的な声も。そう、あんなにも尊いと思っていたもの以上の何かが、私を満たしていくような気がしてならなかった。

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