第2話 愚者の贈り物

 ──欲しいものは、手に入らないもの。



 スタンレー・ホー家のクリスマス・ツリーの大きさといったら、最盛期のクリノリン・スタイルもかくやという直径を誇る銀と青の円錐で、玄関ホールに塔か何かのように聳えるそれは、「千と一輪の透明な花火」と名付けられた巨大なシャンデリアとその尖端を触れあわせていた。ガラスの針葉から雫のようにさがった球体のなかには、温熱を感じさせない魔法じみた火をともしてあって、それが青や金の光を屋敷じゅうにばらまくのであった。

 その撒き散らされる光の指先のとどかぬところ、冬であっても膝のあらわになる紺の半ズボンを礼服として許される年頃の子どもが、年齢に似つかわしくない眼差しを、暗がりに爛々と瞬かせていた──

 生姜をいれた蟹のスープの皿を、その強い香気を嫌ってひっくり返して、物置という名の仕置き部屋に閉じ込められたルイス・スタンレー・ホーは、総じて白い布を掛けられた古い家具に八つ当たりをしながら、テディ・ベアの手足を千切っていた。綿は雪のように降り、白い布の上に落ちてはそれを早朝の雪景色のように錯覚させた。

 厳格な父と、無私な母と、とりなそうとした兄への呪詛を吐きながら、ルイスは熊のボタンの眼をむしりとった。細い刺繍糸が指に食い込んで血が滴った。

「無能め」

 召しつかいの名をつけたテディ・ベアを、耳のタグまですっかりばらばらにしてしまうと、ルイスはそれらを放り投げた。

 家にはほとんど帰らない父親が、食卓で自分を見つめた瞳の色を覚えている。ああこんな色をしていたのか、と思う間もなく、命じられた使用人たちによってルイスの袖や襟がつかまれ、柊と蝋燭が飾られた食卓から引き離された。贈り物はお預けだ、と低く投げられた言葉に、自分が望んだ贈り物のことなんて覚えていたのか、と、意味のない言葉を叫び散らす脳の片隅に残った妙に冷静な部分で思った。怯えた召しつかいが、ルイス様、お父上はお忙しいだけです、本当はルイス様を──と震える声で囁いたのを、銀の燭台で殴打した。父は何も言わなかった。母の悲鳴と、兄の自分の名を呼ぶ声だけが聞こえた。

 手についた血は、彼のものだったかもしれない。

 ルイスは、厳しい親にたびたび折檻を受けると嘆いていた同級生のことを考えていた。彼に触れるのが拳か掌か、たとえ脚でも、それは親自身の肉体である。ルイスは、父親の体が大理石でつくられているように感じていた。

 綿の雪に、自分の指から滲んだ血が染みていくのを見ていると、ふと、窓から射し込む月光の角度が変わっていることにルイスは気がついた。どのくらい、この部屋にいるのかはわからない──泣き喚き、食卓から引き剥がされたときに廊下で癇癪を起こして暴れまわり、いつしか意識を失っていた。目覚めたら、この部屋に閉じ込められていたのだった。

 手洗いへ行きたいと言えば、出してくれるものだろうかと思いながら、ルイスは家具の隙間を抜けて扉の前へ行った。スタンレー・ホーの屋敷に、手洗いのない部屋なんて無いことは知っていたが、使われていない物置の手洗いには行きたくない、という我が儘くらいは許されるはずだった。

 扉のところまで行くと、窓から遠ざかるためにかえって暗くなる。手探りで歩いていった爪先に、ふと、かさりと音を立てて何かが当たった。

 視線を落として目を凝らすと、蓋つきのピクニック・バスケットがそこにあった。癇癪のあいだに、あらかじめそっと置かれていたようだった。

 軽い蓋を少し持ち上げ、月光で中身を照らした。

 そこには小さな函だけが入っていた。カードはなく、青い艶のあるリボンがかけられた、白い函だった。ルイスは目を細めると、篭の中に手を差し込んで、リボンをほどいた。蓋はすぐに開いた。月光だけでは見えない中身は、冷たく小さい筒状のものだった。薬の壜に似ている、と感じたルイスは、蓋を大きく開け、淡い夜の光のもとにその中身を晒した。

 それは、函に入った二壜の絵の具!

 ルイスはぺたりと床に座り込んだ。興奮に広がった瞳孔が、月光を吸って燃える銅の緑にぎらついた。

 孔雀石マラカイト青金石ラピスラズリの粉末──ねだればいくらでも与えられただろうそれを、手紙を書いてまでわざわざクリスマスに望んだのは、父に自分の好むものを意識してほしかったからだった。子供が画材を望めば、かならずまっとうな人の親ならば言うだろう。それで描いた絵を見せておくれと。

 ルイスは篭の中に手をいれ、おそるおそる触れた瞬間、火傷したように絵の具から手を離し、それから白い布をつかんで引き抜き、それをゴーストに見立てて小躍りした。独りで踏むワルツのステップは上手だった、昔から。

 ふと、そのとき、蓋を開けたままのピクニック・バスケットに目が留まった。

 頭蓋に雪を詰め込まれたように中心が冷えた。その冷たさが背骨を伝って手足までしびれさせ、ルイスはその場で棒立ちになった。足元に落ちた白い布は溺れた女の死装束のようにくたりと広がった。

 それは気持ちのいい初夏の昼下がり、冷たい紅茶をいれた魔法瓶、作りたてのサンドウィッチと食後のオレンジを詰めたバスケット。母は兄と手を繋いでいた、もう片方のレースの手袋をはめた手にこのバスケットを持って。バスケットの把手には、青いリボンが結ばれていた。それは兄が結んだものだった。──気に入りの色だと言っていた。

 彼らの一歩後ろを歩く、小さなルイスの手は誰も握っていなかった、彼は召しつかいたちに囲まれて、誰ひとり彼の手には触れてくれなかった、その記憶を失うことを恐れて──

 そのとき、木洩れ日で髪を金の斑毛にそめて振り返った兄が、ルイスに気がついた。ルイス、そこは日蔭だよ、おいで。こちらへ──手を差しのべてきた。

 その掌が記憶に焼きついている、などと思い返せるほどじっくりとその光景を見たわけではない、その手を見たとたん、ルイスはそれを払いのけてしまったのだから。

 ルイスは、函を頭の上まで持ち上げ、そのまま力一杯床に叩きつけた。壜は割れ、絵の具は散らばった。宝石を打ち砕いたらこうも飛び散るだろうかと思う余裕すら、ルイスにはなかった。負の高揚──つめたい炎。脳と心臓は燃え上がるようなのに手足は冷えて震えていた。

 荒い息を吐きながら睨み付けた、ひっくり返った函の底には、やはり見知った兄の筆跡で、Merry Christmasという洋墨インクの文字が青く光っていた。

 乾いた笑い声、それと同時に涙が溢れた。精一杯、整えた字で、父に宛てて書いた手紙を、兄が横で見ていたのを覚えている。兄は微笑んでいた。兄も手紙を書くと言っていた──兄は今晩、なにを貰うのだろう。今さら。母の手も、父の視線も、すべてを──本当にすべてを持っていったのに。

 欲しいものはもう兄の手にある。手に入らないとわかったときにこそ、渇望は命を焦がすほどに熱を帯びるのだ。

 ルイスは床にしゃがみこみ、砂になった宝石の海に小さな掌を浸した。そのまま、指の間から滴る血を染み込ませながら、青と緑に埋もれた壜の破片をつかんだ。その尖端が突き刺さった痛みが冷たい稲妻になり、体の中心で燃えつづける黒い火と融合した。

 ルイスが、いつか兄を殺そうと思ったのはこの時であると判然はっきりとは云えない──しかし、もしもルイスが絵の具をもらったのが兄からだと知らなければ、二十年後の陰惨なできごとは、あるいはもう数年遅く、あるいは起こらなかったかもしれない。




「賢者の贈り物っていう、つまんねえ話がある」

 肌の黒い青年が、鏡の前で爪を磨いている──古い中国の后妃のように、指よりも長い金銀の付け爪で隠した、本物の恐ろしい爪をいでいる。

「俺はあの話の意味がわからない。たとえ男が自分のことを考えて買ったことがわかっても、もう女に櫛が要らないってことにかわりはないだろ。探してきた労力にはありがとうと言うさ──でも、賢くはないよな」

「馬鹿だねえ、お前は」

 肌の蒼白い青年が、退屈そうに足の指で雑誌のページを繰っている。一面にはピンクと黒で締められた少女趣味のモデルが、マネキンのように尖った肘でポーズをとっている。ペディキュアのついた爪で、その顔に大きなバツをつけた。

「それってすごく簡単な話さ。つまり、女は男の愛が欲しかっただけってこと。愛が現実にたちあらわれるための形はなんでもよかったんだよ──花束だろうと、指輪だろうと、必要のない櫛だろうと」

「はあん。つまり、愛の証ってことか? お前が好きそうな言い方をすれば」

「愛の証っていうか──それって誰が相手のばあいも言えると思うな。物が欲しいなら自分で買えばいい。プレゼントでいちばん嬉しいのは、ほしい相手からもらうっていうことそのものなんだよ、黒毒蛇ブラック・マンバクン」

「クソくだらねえ」

 黒毒蛇は、研ぎ終わった指の間をいっぱいに広げて、床に伸びやかに横たわる──彼の細い肢体の周囲には、蕊のごとく、あるいは信奉者のごとく、ネオンカラーのスニーカーが並べられている。レーザー・レモン、サイケデリック・パープル、アシッド・グリーン──微かにゴムの匂いがする奇妙なスニーカーズ・サークルは、いわば、客から彼に貢がれた供物の祭壇なのであった。

「そういうヤツは、好きな相手からもらったら、紙屑でも感謝すんのかよ? 俺はごめんだね、あいにくお育ちが悪いもんで。お前はどうなんだよ? 血花蟷ブラッディ・マンティス

「さあね。僕も別にそうじゃないけど──でも、誰からもらったって一緒ってことはないでしょ」

 血花蟷は、ついに飽いた雑誌をそのショッキング・ピンクの腕で切り裂いて、楽しそうに紙吹雪を浴びた。高くさしあげた足の爪先で、赤い色が固まった血のようにきらめていた。彼の蒼白い脚から、サテン・ドレスの裾がずり落ち、露になった腿には真紅の洋墨インクで聖誕快楽の文字、それを見ることができる者が今晩いるのかはわからないが、彼は満足そうにその文字を見つめる。

「──さ。そろそろ開店だ。今晩は聖夜だよ──みんながなにを贈ってくるのか、楽しみだね」

「車だか月の土地だか指輪だか、まあなんだって構わねえさ。俺にスニーカーかゲームを買って、ついでにカジノに金を落としてくれりゃいい」

「うふ。──ねえ、粉色麒麟ピンク・ユニコーン。君はどう思う?」

 血花蟷は、鏡に映った逆さまの扉を見る。黒毒蛇はその扉の向こうから響く、金属的な音に鼻を鳴らした。

 その扉はゆっくりと観音開きに開いていく最中で、金属的な音は細工の施された車椅子の車輪が軋む音だった。そこには孔雀石マラカイトのように渦を巻いて輝く髪を、五彩の雲のようにたなびかせた、実に美しいかんばせをした青年の玉座。車輪のついたそれは、彼の腕によって動かされてぎらぎらと光るクリスマスのオーナメントじみた音を立てる。

「面白くもない話をしているな、血花蟷と黒毒蛇。今晩は祝宴だというのに」

「聞いていたくせに。君にも意見というか、この生活で得た答えというものがあるでしょ、粉色麒麟。君は、どんな人からも、なんだって貰うんだから」

 閉ざした瞼にのせた金粉をきらめかして、玉座の似合う男は微笑わらっている。

「ああ。──実際、誰から贈られたって、高価なものや美しいものならいいと感じるわけはない──つまり、愛する相手から貰うものがどんな些細なものだって嬉しいのなら、──」

 青金石ラピスラズリの色合いをした長袍、悪魔のように美しい目玉模様の孔雀の羽根をしなやかなキメラの肢体に纏いつかせた、月の色をした冠を戴いて微笑する。

「──逆もまた然りということだな」

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