乗客

尾八原ジュージ

乗客


 ここのところ体調がよくないと思っていたら、とうとう健康診断で「要検査」と言われてしまった。総合病院で精密検査を受け、帰路につく私の足取りは重かった。

(藤美さんの肺です。ここに影がありますが……まあ、検査結果が出ないうちは何とも言えませんね)

 レントゲンを見た医者の言葉が脳裏に蘇る。結果がわからないまま帰らなければならないのは、厭なものだ。

 病院の前から路線バスに乗った。適当な座席に座って一息ついたとき、後ろの席から女性の声が聞こえた。

「まだ持ってきちゃうの?」

 それに別の女性の声が「そうなの、困るわ」と答えた。

「お宅も大変ねぇ」

「ええ。母さん、いよいよボケが進んできたみたい。とにかくお供え物なら何でも持ってきちゃうの」

「まぁ」

「参っちゃうわ。枯れた花束とか、お菓子とか……こないだなんかほら、小さいお子さんが轢き逃げで亡くなったとこ。あそこから熊のぬいぐるみ持ってきて」

「まぁ」

「どうしても返したがらないのよ……困ったわ、夜中になると泣くの」

「あらら。お母様、子供に戻っちゃったのかしら」

「違うの。ぬいぐるみがね、泣くのよ。ちっちゃな子供みたいな声で……」

 私は思わず耳をそばだてた。これは立派な怪談ではないか。

「厭だわ」と最初の女性が言う。「困るわね」

「ええ、本当に困るの。また何か拾ってくるんじゃないかと思うと……」

「不安でしょうね」

「そうなのよ。落ち着かないわ」

「なんだか検査結果を待ってる間みたい」

「そうでしょ。肺に影があるの。でも結果がまだなのよねぇ藤美さん」


 突然、私の右耳に後ろから生暖かい息がかかった。


 そのときバスが大きくハンドルを切り、私のバッグから水筒が転がり落ちた。

 私は呪縛を解かれたように立ち上がった。慌てて席を離れ、転がった水筒を拾い上げる。

 ふと、真後ろの席が目に入った。

 そこに人間の姿はなかった。ただ、色褪せた熊のぬいぐるみと萎れた菊の花束とが、寄り添うように置かれていた。

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乗客 尾八原ジュージ @zi-yon

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