第11話 浄化
事務所に出勤すると、固定電話に新宿署の馬場警部からのメッセージが二回、残されていた。
聞いてみれば一回目は「永源道郎が自殺しました。それでは」、二回目は「よろしければご連絡下さい」と携帯電話の番号が吹き込まれていた。
そこで俺は、馬場警部のスマホに事務所の固定電話からかけてみることにした。
「萬屋です。永源道郎が自殺した、とのことですが」
「はい、何か御存知なことがあれば、お教えいただきたいと思いまして」周囲がざわざわしている。どこにいるのだろう。
「もしもし、声がちょっと聞こえづらいのですが」
「今、彼のアパートなのですが、鑑識の者が指紋をとっているところです」
「何か見つかりましたか?」
「外部の方には、まだ調査中の事は教えられないので……」
「では、こちらも特にお教えすることはありません」
「そこを曲げて、善意の市民として、御存知のことがあれば」
「では、こちらにいらしてください。お互い電話では話し辛いでしょう」
「先生、私が署に戻って報告書を作成しなければならないことはご存じでしょう」
先生と来たか。仕方が無い、妥協してあげよう。
「分かりました、午後一時にそちらにお伺いします。アメリカンとチョコレートケーキを用意しておいてもらえますか?」
新宿署の応接室には、約束通りアメリカンコーヒーとチョコレートケーキが用意されていた。ケーキを一口食べる。うん、これは美味い。
その様を見た、対面に座っている馬場警部が呆れたような、感心したような面持ちで「萬屋さん、甘党なんですねえ」と呟いた。
「いえ、ビールも好きですよ。でもマキシム・ド・パリのミルフィーユに比べたら、どうかなあ」
「はあ……」少年漫画の悪役のような、清酒を手酌でがばがば飲むところが容易に目に浮かぶ風体の馬場警部が、今度は完全に呆れた顔を見せた。
「それで、永源道郎が自殺したということですが、どんなやり方で?」
「ああ、これですよ」彼は両手を首に当てた。首吊りか。律儀にも、留美音が言った通りの事をした訳だ。浄化されるといいのだが。
「では言ってしまいますが、僕とこの前の女の子、留美音ちゃんね、昨日、永源ナーガヨガ道場に見学に行きました」
「何時ぐらいでした?」馬場警部がぬっと筋肉質な体を乗り出した。
「六時半から七時半の間ぐらいでしたね」
「彼の遺体ですが、暴行の跡がありました。死因ではないのですが、もしや萬屋さん」
「僕が彼に何かしたか、ということですか?何もしてませんし、何も知りません」
「しかし検死結果では、大体昨日の夕方に受けたと思われる、誰かに蹴られたような打撲傷がありまして」
「受講生の女性達は何か言ってましたか?」
「それが、皆口裏を合わせたように『何も知らない』と。そこで萬屋さんのお話をお伺いしたいのですが」
「彼の遺体の第一発見者がいるでしょう?」
「アパートの管理人さんが第一発見者です。ドアが開いているな、と思ったら、内側のノブにタオルを首に巻きつけた彼がぐったりとぶら下がっていて、既にこと切れていた、という訳です」
「なるほど、遺書はありましたか?」
「ありました。浄化されたいとかなんとか、よく分からないことが書いてありましたが、萬屋さん、打撲傷の話をしましょうよ。あなた、空手か何かやっておられましたか?」
「いえ?高校時代は水泳部で、大学では漫画研究部でした。その打撲傷は、そんなにひどいものだったんですか?」
「左脇下と鼻にあったんですが、左脇下のものは、肋骨にひびが入っていて、鼻は、鼻骨が折れてました」
「永源氏も鍛えていて、体も大きいし、そんな簡単に倒されるようには見えませんでしたが」
「では、留美音ちゃんが?いや、あんなお嬢ちゃんが人に暴力を振るう訳が無い」
「こちらもお聞きしたいことが。彼の部屋から、赤外線カメラは見つかりましたか?」
「ええ、市川頼子のショルダーバッグの中にありました。つまり、彼女を殺したのは永源道郎と断言していいでしょう」
「これで赤外線カメラに、ネットに出回った盗撮動画の原本が記録されていたら」
「はい、編集前の動画の記録が残っていました。盗撮犯は誰が考えても市川頼子です。販売先までは分かりませんが、猫曼荼羅教関係者でしょう。それで萬屋さん、あなた昨夜、永源道郎に暴行を加えたでしょう?探偵さんが自分の技術や職能を隠す気持ちは分かりますが、もうちょっと正直になられてもいいでしょう」
「では正直に言います。留美音ちゃんが、自身に危害を加えようとした永源道郎に回し蹴りと膝蹴りを加えました」
「先生、情報の出し惜しみはお互い止めにしましょうよ」
「では付け加えますが、倒れた彼の袖を探ったら、千枚通しを隠し持ってました。おそらく市川頼子殺害に使われたものでしょう。道場の床に放って帰りましたから、捜査をされれば見つかるはずです」
「そこで通報してくれれば、生きた永源道郎の身柄を拘束できたのに、何故」
「私達は殺人事件ではなく、盗撮動画の件を、依頼を受けて調査しています」
「殺人と盗撮では、罪の重さが全然違うじゃないですか」
「法律上はそうでも、盗撮された女子中学生の気持ちを考えてあげてください。猫曼荼羅教教祖の法王様とやらが、盗撮動画好きのようですね」
「その法王様は金田鉄雄と名乗っていますが、本名は武時多良平。消火器の訪問販売詐欺で前科があります」
「金田鉄雄。子供の名前はアキラ君ですか?歳は五十歳手前くらいでしょう?」
「ええ、四十九歳だったかな。手のひらに『51』と怪しげな刺青をしています」
「まさか、透明なカプセルみたいのに入ってるとか?」
「説法する時は、そんな感じの台に座ってます。それで萬屋さん、永源道郎に暴行を加えたのが留美音ちゃんというのなら、彼女にも話を伺いたいのですが」
「それでしたら、今夜彼女のお母さんにお会いする予定があるので、相談してみましょう。でもその前に、ヨガ道場とその関係者をきっちり調査して下さいね。結果は、誰が見ても正当防衛のはずです」
俺はチョコレートケーキの最後の一切れを口に入れ、それでは、と席を立ち、出口に向かった。
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