第10話 対決

「では、参考の為、座禅の体勢からの逆立ちもやってみましょう」留美音の挑発に、道場長が応じた。レッスンの流れから考えれば、そんなことはする必要はなかった。


 永源道郎はヨガマットの上で結跏趺坐を組み、両手を前について体を浮かした。更に下半身を持ち上げ逆立ち。何の効果があるのかよく分からないが、鍛練の成果なのだろう。彼を見た受講生の女性達は、わあ、と感嘆の声を上げた。だが、留美音は腕を組んだまま黙っている。


「これには更に応用がありまして―」座禅を組んで逆立ちした状態の道場長は、さすがに苦しそうだった。だか彼は器用に足をほどき、足を真っ直ぐに延ばして普通の逆立ちをしてから腕を曲げ、両足を浮かせたまま上半身を水平にした。受講生達の拍手。留美音はぼそっと「なるほど」と呟いた。さすがに永源道郎は、なんだこの小娘は、という視線をちらりと留美音に向けた。受講生達も、顔を見合わせあっている。


 しかしそれ以上の波乱は無く「呼吸を深く、ゆっくりとして」という指導のもと、四十五分間のレッスンは終了した。

 十五分の休憩時間中、留美音の言動には何か理由があったはず、と思いつつ、彼女を連れて永源道郎に挨拶をしに行く。

「なかなか行が深いご様子で」と社交辞令を言いつつ向かい合った。

「娘さんは何か御経験があるようですね?」

俺が返事をする前に、留美音が口を開いた。

「六歳の時からクラシックバレエを始め、その後ジャズダンスやブレイクダンスを学びました。あと、中学では部活で新体操も」

「それはすごい。現在は何を?」


「モデルです。先生はご存じないようなマイナーな雑誌ですけど、専属モデルです」

「ほう、モデルさんですか」永源道郎の左まなじりが、ぴくりと跳ね上がった。

「学業優先ですが、ファッションショーにも出ることがあります。ですので、ウォーキングの練習を一日三十分はします」

「ほう。ところでここに来られた目的は」


「ダンスも体操もヨガも、根本は一緒なので今後の参考にと思い……でも大変失望しました。永源さん、あなたは女性を撮影するのが大変ヘタクソでいらっしゃいますね」


 留美音の謎の暴言に、壁に背中を預けて休んでいた女性達がざわついた。だが確かに、道場の隅におかれた、木枠で囲われた姿見が不自然だった。

「あたしも撮影される身、あの角度は素人丸出しだと思います」彼女はやはり、姿見を指差しながら永源道郎に迫った。


「永源さん?あなたもしや、マジックミラー越しに」盗撮していたのでは、と俺が続ける前に彼の、ヨガ修行で培った精神力が崩れた。

「親子じゃないな?」

「では、何だとお思いですか?」俺は留美音を自分の背中に追いやり、庇った。

「知ったことじゃないが、あんたら、あの時、俺の顔を見ただろう」

「市川頼子を刺した時のことなら、私達は見ておりません」

「そこまで知られているなら、見られたも同然だ」追い詰められた面持ちで、彼は道着と思しきマオカラージャケットの袖に手を入れた。


「留美音ちゃん、逃げろ!」思わず本名を呼んでしまった。

「そうか、君が留美音か。顔を見てなかったので確信が持てなかった」永源道郎は、袖に手を入れたまま、すすす、と留美音に迫った。出口は、受講生の女性達に塞がれていた。一人だけ逃がそうと思ったのが裏目に出た、永源道郎は、壁を背にした彼女に近寄った。二人の間に割り込もうとしたが、受講生の一人が立ち塞がった。


 しかし留美音は怯えず、一歩進んで永源道郎の脇腹に左回し蹴りを叩き込み、痛みに崩れ落ちた彼の頭を両手で押さえ、今度は右の膝を顔に叩き込んだ。さすがに顔は鍛えていなかったようだ、道場長は、鼻血を出しながら昏倒した。袖の中を探ると、千枚通しが右手に握られていたので取り上げた。


「あんたら盗撮されてたんだよ、知らなかったのか?」受講生達に向かって言うと、一人の女性が「あたしたちまでとは思いつきませんでした」と妙に落ち着いた様で返事をした。

「『あたしたちまで』ということは、女子中学生盗撮の件も知っていたということか」

「さあ。詳しいことは私も存じません」先の女性が答えた

「自分達まで盗撮されていて、味方に付いた理由は何なんだ」


「永源様は、猫曼荼羅教の左大臣様だからです」やはり先の女性が答えた。

「左大臣?要するに幹部みたいなものか?」

「はい、そうです」

「だから、その左大臣様は、あんたらの信頼を裏切って盗撮していたんだぞ?」

「私達が盗撮されていたとしても、ねえ?」彼女が周りに同意を求めると、「私は子供を産んで穢れていますので、浄化して下さるなら」と別の女性が答えた。


 駄目だこいつら、洗脳されてやがる。とにかく通報しようとスマホを取り出したら、留美音にその手を押さえられた。

「警察なら、通報しなくてもいいと思います」


「しかし、この人達は市川頼子殺人事件の犯人と、その協力者だぞ?アリバイ偽証も立派な犯罪だ」

「でも、それじゃ法王様とやらにたどり着けないかもしれません」

「盗撮動画は、法王様の命令で撮影され、献上されていたということだな?僕もそう思う。しかし、そこに倒れているのが殺人犯とあっては」

「所長、盗撮は女の子の魂を殺す行為です。してもされても平気なこの人達は、もう魂を誰かに売ってるんです。魂を売ったら、人間は死にます。生きてる人間と、死んだ人間と、どちらが大事ですか?」


彼女の言葉には、被害に遭った後輩を慈しむ気持ちがこもっていた。私は返事をした。

「それは当然、生きている人間だ」

 うーんうーん、と唸り声が聞こえるので見れば、永源道郎が鼻を押さえながら立ち上がろうとしていた。

「お嬢ちゃん、空手もやっていたのかい?」人生を諦めた顔。こいつは自分で自分を始末するだろう。そんな予感がした。


「格闘技なら喧嘩しか知りません」留美音は返事をした。「私立の女子高でモデルとかやってると、生意気だっていじめられるんですよ。それより、市川先生を殺した理由は?」

「君の姿を見て、観念した彼女が警察に自首しようとしたからだ」

「バッグや財布、そして赤外線カメラはどこにあるんですか?」

「僕のアパートに」

「カツラは?」

「そこの、事務所に」


「市川先生のマンションには、いつ頃から出入りし始めたの?」

「いつ頃かって?覚えていないけど、彼女の裸の写真を撮った頃からかな」

「つくづく女性の敵なんですね。浄化でもされてください」

「君から罰を受けたが、まだ足りないようだ」

「でしょうね。首を吊るといいらしいですよ。さようなら」


 出口に向かうと、留美音を恐れて女性達は道を開けた。だが五分後、曙橋に向かう道の途中で、彼女は突然「所長、恐かった、さっきは恐かったです」とガタガタ震え出し、座り込んだ。恐怖が後から来るタイプらしい。

「それが普通だ、それが普通なんだから」なだめると右手にしがみつかれた。

「どこかで休みたいです」

「表通りにピザ屋があった。そこに行こう」

「シャワー浴びて寝たいです」

「それじゃタクシー拾って家まで送るよ」


「新宿にブティックホテルって謎の場所があるけどあそこ使えなくないですか」

「君は未成年だから駄目」

「まだあたしのお父さん役じゃないですか」

「君のお母さんが心配してると思う。今日はまっすぐ帰りなさい」

「じゃあ、渋谷の事務所に寄らせて下さい。ブラのパット取りたい」


 タクシーで道玄坂まで戻ると彼女はトイレに直行し、慌ただしくドアを閉めた。これは気遣いが足らなかったと申し訳なく思い椅子に座って待つこと数分。ニヤニヤと笑顔を浮かべて留美音が戻ってきた。

「これ、さっきまでつけてたD カップのブラ」

「そんな有難いものを見せちゃだめだよ」

「元お父さんは目を逸らしてました」

「男親はそんなものかもしれないね」

「所長、新しいお父さんになって」 


「君のお母さんの断りなしにお父さんにはなれない」と返事をしたら「それじゃ家に遊びに来てください、お母さんを紹介します」と言われてしまった。

 未成年女子に過酷なバイトをさせているという自覚はあったので、親御さんには機会を見て御挨拶を、という気持ちはあった。なので、

「うん、いいよ」「じゃあ、明日」という会話が成立した。

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