第7話 猫カルト

 市川頼子強盗殺人事件担当の馬場警部は、スキンヘッドで肩幅が広く、背広越しにも胸板が厚い、少年漫画に出てくる悪役を彷彿とさせる風貌の四十代半ばと思しき男性だった。

彼は俺と留美音を『応接室』と書かれたプレートがドアにはまっている部屋に招き入れ、俺達と向い合せに座ってから、実は、と言いにくそうに切り出した。


「市川頼子が盗撮犯ではないか、という件で調査をされていた、ということですが、戦勝記念学院の父兄複数から、その盗撮動画の通報を警視庁は受けておりまして、職員の方々も内部調査をしていると聞いています。で、萬屋さんから連絡を受けた後、調査資料として保存されていたものを、職務上、見ざるを得ないので見てしまいまして」


 留美音の顔をちらっと見た。唇が紫色になっている。

「あ、あたし丸坊主にならなきゃ」

「落ち着いて、君は全く悪くないんだから」

 俺と留美音の会話に首を傾げている馬場警部に、簡単に事情を説明した。

「そういうことでしたか、私にも高校生の娘がいまして、お嬢さんほど奇麗ではないですけどね、盗撮などされた日には、私も冷静にはなれませんからね」

「市川頼子の自宅の、家宅捜索はされたのですか?」


「赤外線カメラなどはなかった、とだけ申し上げておきます」

「つまり、市川頼子はシロ、ということですか?」

「犯罪被害者という扱いです。旦那さんの剛史さんとも特に問題があった様子も無いし、単純な強盗殺人扱いですね」

 こちらに手札がもう無いと見た馬場警部が、あしらいにかかった。一介の探偵と女子高生など捜査の邪魔ということか。


「留美音ちゃん、そろそろお暇しよう。君が市川頼子を午後四時頃まで尾行していた話や、その同日、僕が渋谷本町のマンションの様子を見に行った話は事件と関係無いみたいだから」

「そうですね、あたしも家に帰って宿題やらなきゃ」

 椅子から立ち上がりかけた俺達二人を見て、馬場警部が慌てた。

「ちょっと待ってくれ、ちょっと待ってくれ、まだお茶も来てないのに、そんな慌てて帰る必要は無いでしょう。座って下さい、ゆっくりして下さい」

「じゃあ、そうさせてもらうとして、留美音ちゃん、ケーキの出前でもお願いしようか」

「警察でそんなのありなんですか?」

「あると思うよ、僕は」

「んー、それじゃあミルクティーにアップルパイ」

「僕はアメリカンにモンブランがいいな」


馬場警部の反応はいかなものかと見れば、彼は落ち着いた様子で内線のボタンを押し、

「私だけど、ミルクティーとアップルパイと、アメリカンにモンブランを買って来てもらえるかな?代金はとりあえず立て替えて。近くに喫茶店があったじゃないか」と誰かに言いつけて受話器を置いた。

 

 俺と留美音はそれぞれのおやつをパクつきながら、馬場警部と話をした。

「では、ええと、君、名前は」

「あたしですか?古手川留美音です」

「事件のあった当日、市川頼子を尾行していた、ということだけど」

 留美音はちらりと俺の顔を見た。俺はかすかにうなずき、馬場警部に言った。

「市川頼子の交友関係を洗っていると思うのですが、特に男性関係で不審な点があったはずです」俺の言葉を聞いて、馬場警部がためらいがちに口を開いた。

「ヨガ教室の先生を、先輩、と呼んで慕っていたそうです」


「何の先輩ですか?」

「猫曼荼羅教、という宗教を御存知でしょう。そこでの先輩です」

「御本尊が巨大な招き猫で、開祖が法王と自称し開運グッズで儲けているという、あれですか」


「そうです。彼女は随分グッズ購入につぎ込んでいて、旦那さんの剛史さんはそれを快く思っていませんでした。ただ、それだけでは動機として弱いし、第一彼は当日、午後七時半まで会社にいたので、犯人とは考えられません」


「では、こちらもお教えしましょう。私は事件当日の午後六時半頃、市川頼子のマンションの様子を伺いに行ったのですが、室内の灯りがついていたのです。あの部屋には、市川夫妻以外の人物が出入りしていたのですか?私が行った時はマンションの入り口におばあさんがうろうろしていて、不審人物など入れない情況でした」


「おばあさん?ああ、船田米子のことですか。私が行った時もうろうろしていましたが、特に不審な人物の出入りは無かったそうです」

「以前から出入りしていた人物なら、怪しいとは思われなかったのでは?」

「その可能性はあります」


 それまで黙って大人の話を聞いていた留美音が口を開いた。

「警部さん、新聞記事には『財布が奪われた』って書いてありましたが、ショルダーバッグは盗まれなかったんですか?」

「ショルダーバッグ?」馬場警部が目を剥いた。「それは、どういうものだったのか、教えてくれると助かるのだけど」

「ブランド物で、革製の丈夫そうなものです」

「これまで目撃証言がなかったが、そうか、バッグを持っていたのか」

「学校を出る時から先生はバッグを持っていました。普段から持っていた物かとなると、ちょっと分かりません」


「同僚の先生方にも質問したんだけどね、殺人事件となると皆さん冷静ではなくて。これはもう一度、学校や旦那さんの方に出向いて確認を取らなきゃならないね」

「財布には、招き猫のキーホルダーがついていたと思います。開運グッズとか好きな人、よくやるじゃないですか。あ、部屋の鍵にも招き猫のキーホルダーがついてたかも」

「実は、スマホの裏に開運シールが貼ってあったんだ」


「スマホは盗って行かなかったんですか?死因は公表されてませんでしたけど……」

「右の脇腹を、尖った何かで一突き。腎臓破裂によるショック死だね」

「市川先生が一緒にいた男性は、ヨガ教室の先生でしょうか?」

「そうだとすれば大いに捜査が進むんだけど、その男性をいつ、どこで見たのか教えて貰えるかな」


「事件のあった日の午後四時頃、新宿西口で。四十歳前後で、市川先生と待ち合わせていたようです。その後二人はモザイク通りのカフェに入りました。身長は一八〇㎝くらいだったと思うのですが、後ろ姿しか見てないので、顔は分かりません」

「モザイク通りのカフェ。あの坂を上ってサザンタワーに出たのか。その男性は、髪を伸ばして後ろでまとめてたかな?」

「いえ、普通に短かったです」

「なら、違うね。彼はお葬式にも顔を出していたよ」

「あ、だから親しそうじゃなかったのかも」


「実は、お葬式に来た人がほとんど猫曼荼羅教の関係者で、彼女の大学時代の同級生やチームメートがほとんどいなかったんだ。理由は、開運グッズを売りつけようと必死だったから。そういう人は、敬遠されるからね。学校でも、先生方の間では、その件で評判が悪かった。これは、君が秘密が守れる人だと見込んで話したことなんだが」


「それより、盗撮ビデオを誰がアップロードしているのですか?市川先生がグッズ販売のノルマ達成に困って盗撮動画を誰かに売った可能性があるじゃないですか」

「その犯人を特定するのは別の課でやってます。それと、市川頼子は販売ノルマというより、お布施競争にはまってたみたいで」


「お布施競争といいますと?」そこで俺が口を挟んだ。

「四人ぐらいの班に分かれて、月毎のお布施額を競うものです」

「そのヨガ教室の先生と市川頼子は同じ班だったのでは?」

「ええ、彼が班長です」

 言葉少なに返事をする馬場警部にちょっと苛立ちながらも、質問を続けた。

「彼の名前、ヨガ教室の名前、及び所在地を教えてください」

「萬屋さん、彼を市川頼子殺害犯と思われているようですが……」


「誰に教えられてきた?と訊かれて警察の方から、と馬鹿正直に私が答えることを心配されているのですか?」

「犯行当日午後、彼は自分の道場で指導をしていた、という証言を受講生複数から受けておりまして」

「その受講生複数が猫曼荼羅教の関係者だった可能性があるでしょう。市川頼子だけが信者だったと思われているのですか?それは不自然です」


「仰る通りなのですが、信教の自由というものがあり、信仰する宗教を理由に安易に疑うことは出来ないことを御存じでしょう。ご存じの通り、捜査にも限界があります。今日のところはこれで、お引き取り下さい。私もこれから会議があるので」


「警部さんDVD見たんですよね。何回観ましたか?」留美音が口を開いた。

「仕事だから数回見た。そんな怖い顔しなくてもいいだろう」

「馬場警部って人が観ちゃったのって後輩に話します」

「捜査上の秘密だからむやみに」馬場警部が言葉を切った。留美音が涙ぐんだからだ。


「あたし、坊主にならなきゃならないんですけどそれを逃れるには生贄が必要で」涙目ながらに留美音は馬場警部の顔をスマホで撮影した。

「君、画像付きでネットに投稿するつもりだね?」

「だって分かりやすいじゃないですか」そこで私が口を挟んだ。

「ヨガ教室の名前などを教えて下されば私が彼女を連れて帰りますが」

馬場警部は無言でメモに走り書きをして私にそれを渡した。

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