第58話 閑話(④・南の父親視点)
『両想い』……。は? 両想い?
その言葉を聞いて、俺はしばらく動けなくなる。
どうやらいくつか身体の機能が停止してしまったようだ。
娘がクソガキの言ったことに頷く姿を見て、俺はようやく動き出すことができた。
「ふぅ」と息を吐く。
何とか呼吸はできた。
そのままの勢いで、しかし動揺を表に出さないように俺は言葉を絞り出した。
「分かった。話は聞くから、とにかくその手は離しなさい」
別に話とか聞きたくない。
今すぐお布団に行って眠りたい。
夢だったらいいなぁ。
しかし、俺の最大限の譲歩を切って落とすような言葉が、娘の口から発せられた。
「ゴメン、お父さん。遼太郎が言ったように、全部話してから。私、この手を離しちゃったら、言いたいことが言えない気がする」
……うそ~ん。
反抗期?
遅れてきた反抗期なの?
パパ、譲ったじゃん。
自分、押し殺して譲ったじゃん。
話してから離すんじゃなくて、離してから話そう?
だからその手を離して。
早くその手を離して。
あ、泣きそう。
俺はその顔を見られないように素早く後ろを向いた。
このままここで話し続けてはいけないと思い、俺は「……とりあえず中に入りなさい」と言った。
――
リビングに戻り、ソファに腰掛けると、俺の心の悲しみは少しだけ落ち着いた。
そして、娘とクソガキの手が繋がれたままなのを確認したことで、怒りの炎が心に灯った。
……とてもこの男を殴りたい。
だが、ここで殴ったらそれは問題だ。
努めて冷静に俺は話し始める。
「……さて。それでは、私にも分かるように、説明してもらおうか」
ちなみに聞きたくもないし、分かりたくもない。
できれば今すぐ帰っていただきたい。
そんな思いを込めて、クソガキを見つめる。
俺の部長パワーで圧迫面接だ。
さぁ音を上げろ。
しかし、クソガキは俺の威圧に対して一歩も引かなかった。
そして、「……せいらさんを、行かせないためです」と言った。
俺はその言葉を聞いて『ん?』と思ったが、クソガキは続けた。
「せいらさんを、四国に、行かせないためです」
……。
あぁ、なるほど、そういう話か。
いや、手を繋いで現れた時点で想定してたよ、一応。
『娘を遠くに行かせないように、強く手を握ってた』っていう意味でしょ?
娘の方を無言で見ると、頷かれた。
言葉は出てこないが、これは正解だ。
目と目で通じ合うってやつだ。
あ、もしかして。
いや、もしかしなくても娘が引っ越しを嫌がった理由はこいつか?
『両想い』とか言ってやがったし。
なるほど。
……認めん。
「……それで、私が、『分かった』とでも言うと思っているのか?」
「……思いません」
「そうだな」
うんうん、そうだね。
普通、言わないよね。
だって無理だもん。
それが分かったなら、もう帰ってくれないかなー。
「それでも、僕は本気です。
ここ二~三か月だけの話じゃないです。
せいらさんとは小学校の時からずっとクラスメートで、お互いのことを良く知ってます。この高校を選んだ理由だって知っています。
頭も良くて、思いやりがあって、美人で、自慢のお嬢さんだと思います。
でもそれだけじゃない、せいらさんの良いところ、そうでもないところ、全部知ったうえで、全部ひっくるめて好きになってしまいました。
だからこそ……この先もずっと一緒にいたいと、支えていきたいと思っています」
俺が少し油断した瞬間に、畳みかけられた。
……え、初対面の俺にそれ言っちゃう?
俺、心の準備とか、してないよ?
『この先も』って、え、その台詞、十年くらい早くない?
「……」
俺が何も言えないでいると、クソガキ……いや、山岸は続けた。
「……それが、せいらさんの気持ちにも、寄り添っていると思うんです」
『せいらの気持ち』、ね……。
それはいくらでも突っぱねられる内容の話だった。
山岸の想いなんていうものは、正直関係なかった。
ただ、あまりにも真っすぐな言葉が、そして『せいらの気持ち』というのが、俺の胸に刺さった。
『認められない』ということは変わらないが、『話をして説得する』という気持ちが生まれた。
「……君は、この先どうなるか分からない、不安定な一時期の付き合いと、家族との生活を天秤にかけて、どちらを選ぶと思う? 私が娘のために、どう判断すると思う? 『思ってる』という言葉は根拠にはならない。冷静に考えれば分かるだろう?」
「……分かります」
「じゃあ……」
感情ではない。
しっかりと理屈で正しいことを伝える。
そのうえで、だ。
納得させたうえで、諦めてもらおうとした。
――しかし。
「だから、僕が一生責任を持ちます。ずっと一緒にいます。悲しい思いも、寂しい思いもさせません。幸せにします。せいらさんとのお付き合いを認めてください。せいらさんを……四国に連れていかないでください」
山岸は何一つ諦める気配がなかった。
俺も何度か見たことがある。
絶対に退かない、完全に腹を括った男の顔をしていた。
「……お父さん」
俺は山岸の言葉を飲み込み、その顔を見ていると、娘も口を開いた。
「ゴメンなさい、今、遼太郎が言ってくれたこと。
本当は、私の口からもっとちゃんと言うべきだった。
最初に『四国に引っ越す』って言われて、私は『嫌だ』って言って。
『私だけでも残る』って。
それでも、いつも私の話を聞いてくれるお父さんが『今回は無理だ』って。
その話を聞いて、私諦めちゃった。
私が良い子になれば、全部済むんだって。
だって、分かるもの、私の言ってることなんて、ただのワガママだって。
……でも、そんなの、嫌だ。
お父さんがお母さんと一緒にいたいように、私も遼太郎といたい。
ううん、遼太郎だけじゃない、大切な友達もいる。
やりたいことだっていっぱいある」
そう言うと、娘は涙を流した。
娘の言葉は、山岸の言葉以上に俺を揺さぶった。
そして、久しぶりに見る娘の涙は、『これでもか』と言うくらいに俺の胸を締め付けた。
「お願いします。私を、この街に、残らせてください……」
「僕からも……お願いします!!」
「……」
幼い二人の、あまりにも真っすぐな言葉が堪えていた。
子供達に、できることなんてない。
ただ、大人達に訴えるのみだ。
突っぱねれば良いと思いつつ、何と言うのが正解か、分からなかった。
そんな時、妻の声が聞こえた。
「あなた、二人がこう言ってるんだから、なんとか……」
「……いや」
妻からの言葉に、思わず否定を入れる。
ここで簡単に『分かった、何とかしよう』とは言えない。
と言うか、諦めてもらわなければならない。
俺は次の言葉を探して、咄嗟にこう言った。
「今日はもう遅い。君はもう帰りなさい。この後は家族で話す」
「お父さん!」
娘から非難の色を含む声が上がった。
俺はもう娘の顔を見られなかったので、山岸を見ながら続ける。
「もしこの場での返事ということであれば、それは『ノー』と言う他ない。君が取れる責任など……ない」
正論中の正論だ。
……あ、でも、これ、今押し通したら娘に嫌われるやつだ。
強引に四国に連れて行ったら、ずっと口聞いてもらえない気がする。
理屈の話はもう終わってしまっている。
……仕方ない。
「……二週間後だ。
二週間後、もう一度時間を作ろう。その間、自分の言った言葉の意味を考えて、私が納得できるよう、示してみなさい。
もし、その時に私が納得できなかったら、せいらは四国に連れていく。
ましてや、二人の交際など……絶対に認めん」
俺はそんな言葉を言い放って、居心地の悪いリビングを後にした。
――
俺はこっそりとウィスキーを持ち出して、寝室で飲み始めた。
先程とは打って変わって、リビングでは楽し気な声が響いている。
妻と娘と、あと何か部外者一名が話しているのだろう。
……早く帰れよ。
そう思った直後に、どうやら山岸は家から出て行ったようだ。
家の中に静寂が戻る。
しばらくすると、片づけを終えたであろう妻が寝室にやってきた。
「おつかれさま」
「……」
その後、妻と話した。
妻は、山岸と俺を『似ている』と言った。
誰があんなやつと……。俺の方がカッコいいわ!
「見た目じゃなくて……。ほら、私のお父さんに挨拶に来た時の……」
「俺は手なんか握ってなかったぞ」
妻は「ふふっ」と笑って、「あなたの言葉」と言った。
「ん?」
「あなたが山岸君に言った、『示せ』って、私のお父さんがあなたに言ったのと同じよ」
「あ」
俺は意識せずに咄嗟に出した言葉だったが、妻に言われて気付いた。
「『まだ早い』って言われたし、私の退職も反対してたし、何より転勤で遠くに行っちゃうって……」
「……」
「でもあなたが一歩も引かずに『幸せにします!』って言い続けて、お父さんが絞り出したのが、『示せ』」
「…………」
「ね。そっくりでしょ。あ、だからあなたも私のお父さんに似……」
「分かった、分かったから。もうやめてくれ」
俺は妻の言葉を遮り、グラスに残るウィスキーを呷った。
そんなこと言っちまったら、その先は……。
俺がお義父さんに示したように、あいつが……。
浮かんでくるイメージを遮って、俺は言葉を紡いだ。
「……言っておくけど、全然納得はしてない」
「うん」
「あの男が……何をするかは知らんが、納得できなかったら全員で四国に行くぞ」
「それでいい」
「あと……。俺の許可なく娘の手を握るような奴だ。ぶん殴る」
「家ではやめてね。あなた、黒帯でしょ」
「……合法的に。ジムとか、道場とか借りて」
「うん」
そして最後に、言いたくない言葉を絞り出した。
ああ、心から嫌だ。
本当に嫌だが……。
「……万が一だ。万が一の場合に備えて、せいらが四国に行かなくて済む方法は、考えておく」
「あなた……」
妻が俺の肩に手を置いて、「……やっぱり山岸君より素敵」と言ったので、「当たり前だ」と応えた。
一番仲の悪い女子が俺の前の座席になった件 ラブ★コメディアン @ryotaro-yamagishi
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