第57話 閑話(③・南の父親視点)

 俺の出世に先輩も上司も喜んでくれた。

 同期の中で主任になったのは俺一人だけではなかったが、それでも出世が一番早いコースだ。


「次はいつ四国に戻ってくるんだ?」

「また絶対こっちに来いよ!」


 そんな風に言われて悪い気はしない、俺は「必ずまた四国に戻ります」と答えた。


 妻とは近所の寿司屋でお祝いをした。

 月に二~三回の頻度で顔を出していたら、すっかり常連になってしまった。

 妻もたまにランチで立ち寄っていたらしく、大将の奥さんとも仲良くなっていたようだ。


 その奥さんから習ったというパエリヤは、妻の得意料理の一つになった。

『寿司屋なのにサフランライス』と思わないでもなかったが、賄いで酢飯ばかり食べるわけではない。

 更に、火を通すことで客に出せなくなった魚介も有効活用できるのだそうだ。


 大将夫婦は俺の出世を喜びつつ、別れを惜しんでくれた。

 

 そして、出世以上に嬉しい出来事があった。

 妻の妊娠が発覚したのだ。


 俺は今まで以上に仕事に打ち込んだ。

 すべての仕事を引き取る勢いで、残業も長時間こなした。

 

 やがて妻は出産のために実家に戻った。

 結婚してから妻と離れて暮らすのは初めてのことだったが、これからの生活のことを考えて寂しさを紛らわせた。


 そして、生まれた娘には『せいら』と名付けた。


 とてもかわいい娘だ。

 うん、世界で一番かわいい。

 かわいすぎて辛い。


『せいらのためなら何でもできる』と思いつつも、仕事量が多すぎて家にいられる時間が短い。

 娘と一緒にいる時間を伸ばすため、俺は仕事の仕方を変えた。

 自分で抱え込むのではなく、後輩達に任せる仕事をしたのだ。


『自分でやった方が早い』『自分の方が上手くやれる』と思っていたこともあったが、任せた方が最終的に上手く回った。

 結果、俺のチームは残業時間も削減され、業績も向上した。

 ノウハウも蓄積され、別部署に異動してもその手法は活かされる。


 それが評価につながり、俺はまた一番速いスピードで課長になった。


 昇進と同時に、また異動することになる。

 四国での経験から、引っ越した先の出会いや景色も楽しみの一つになっていた。


 だが、小学生になった娘はそうではなかった。

 泣かれた。大いに。

 良い子だった娘が、俺に泣きながら『引っ越したくない』と訴えるのだ。


 俺はとんでもないダメージを受けた。

 娘の涙というのは、こんなにも俺の胸を抉るものなのだろうか。

 その日、飯が食えなかった。

 

 勿論、娘が間違ったことをしたら俺は叱る。

 泣いていても叱れる、それが娘のためならば。

 ……だが、俺のせいで泣かれるのはキツい。マジで。

 家族を養うために仕事をしている、という理屈で自分を納得させきれない。


 俺は決断を迫られていた。


 今後も頻繁に異動していたら、娘に嫌われてしまう――。

 それだけは避けたい。

 逆に考えれば、異動しなければ、いや、引っ越しさえしなければ娘に嫌われることもないはず。


 やや自分本位の考え方だが、当然娘の交友関係を大事にしたうえでの話だ。


 おそらく次の辞令が出るタイミングで、俺は部長になるはずだ。

 部長と一口に言っても、何種類かある中で一番立場の低い部長だが。


 そこで俺は、会社が新設した転居回避の制度を活用することにした。

 この制度を使えば、転居を伴う異動を事前に回避することができる。

 とは言え、自宅から二時間以内の通勤時間というのが転居を回避できる範囲だ。


 少なくとも、今俺が勤務している本社には通える立地でなくてはならない。


 そこで候補地を探していると、俺と妻の出身県が条件に当てはまった。

 地元ではないが、俺達の両親も健在だ。

 今までより孫の顔を見せることもできるし、ある程度の距離が過干渉を防げる。


 俺はハウスメーカーに就職した高校時代の同級生に連絡を取ってみたところ、ちょうど展示場が安く売りだされるとのことだった。 

 渡りに船とばかりに、俺はその話を妻に相談し、購入を決めた。

 

 ――そこからは、穏やかな日々が続いた。

 

 娘も最初は新しい学校に中々なじめなかったが、近所の子に優しくされてから、友達もできてきたらしい。

 俺の仕事も順調に進んだ。

 

 しかし、変化があったのは娘が中学三年生になってからだ。

 

 実は、転居回避の措置は子供が義務教育を修了すると、その有効性が失われる。

 転居を回避し続けることはできるが、待遇面でマイナスが発生してくるのだ。

 当然、その時点以上の出世は見込めなくなるため、このタイミングで転居回避については取り下げるべきだ。


 だが俺は、上長からの度重なるヒアリングにも『転居は回避したい』と伝え続けた。

 この上長は四国時代にお世話になった先輩だ。

 先輩は何度も『転居の回避は取り下げるべきだ』と説得してきた。

 頭まで下げられて、『お前のためだ』と言われた時には、さすがに心苦しかったが『家族を優先したい』と言った。


 そんなある日、娘が志望校を変更したと妻から聞かされた。

 娘が希望するならその通りにさせてあげたいと思ったが、同時に疑問に思った。

 

 友人関係を大事にするのであれば、今までの志望校が一番良いはずだ。

 知り得る限り、成績にも問題はない。


 俺は部長としての面談スキルを活かし、娘にヒアリングを行った。

 デリケートな問題でもさりげなく深堀できる、俺の得意技だ。

 その結果、驚くべきことが分かった。


 ――娘が、今までの人間関係を清算したがっている――。


 これは、親には言いにくいだろうが、重大な問題だ。

 何があったのかまでは聞けなかったが、娘を傷付けるやつは何人たりとも許さん。


 あ~、殴りてぇ。


 俺の身体の奥に流れる空手家の血が騒いだ。

 もしも娘を傷付けるやつが瓦だったら、千枚でも叩き割ってやる。


 娘が志望している高校は確かに自宅からは離れているが、ここに住んでいれば会いたくない人間にも会うことになるだろう。

 なんとか、なんとかしなければ……。

 娘に直接その話をすることはなかったが、俺としても悩んでいた。


 そんな時、また人事の面談があった。

 

 当然話題は転居回避の件に及ぶ。

 その時、転居回避を取り下げない俺に、四国支社のNo.3のポストを用意するとの話が出た。

 先輩は四国の副支社長になるらしく、どうしても俺を連れていきたいらしい。

 

 出世を諦めた俺に、突然の大きな話。

 先輩は『また一緒にやろう』と言ってくる。

 さらに、『また必ず四国に戻ります』と俺が言った話を引き合いに出された。

 そして、娘の人間関係……。

 俺は悩んだ末に、『前向きに検討する』と答えた。

 

 今回引っ越すことになっても、それは娘にとってマイナスではない。

 むしろ、現在の人間関係を清算できれば、新たなスタートが切れるはずだ。

 

 最後に娘に話を聞くと、志望校は変更したままで行く、とのことだった。

 受験生だから当然と言えば当然だが、最近では友人と外出する様子もない。


 俺は妻と相談したうえで、転居の回避に関する申請を取り下げた。


――


 ――上手くいったと思っていた。

 家族と仕事、一挙両得の選択だと思っていた。


 だが、この話をした時の娘の顔は、忘れられない。

『自分だけでも残る』という娘に対し、『娘のため』という思いで『引っ越す』と言い切った。

 以前の四国での状況をかいつまんで話し、家族で行くことの重要性を伝えた。


 最初は拒否していた娘も、最後にはすべてを諦めたような顔で、絞り出すように『分かった……』と言ったのだ。


 確定して家族に話ができるタイミングが六月になった。


 俺にとって、二か月間はかなり短い時間だ。

 娘が高校に入学してからの二か月で、そんな大きな変化はないだろうと思い込んでいた。


 だが、娘にとっては心境が変化する何かがあったらしい。  

 いっそ泣いてくれた方がマシなくらいに辛そうな顔をしていた。


 えっ、マジかよ……。


 それから数日間は娘と話をせずに過ごした。


――


 ――どうしてこうなった。


 中々帰ってこない娘を心配して電話をすると、『すぐ帰る』と言った。

 そしてリビングで娘の帰りを待つ。

 怒るつもりはなかったが、話は聞くつもりだった。

 引っ越しの件で、色々思うことがあるのだろう。


 すると、チャイムの音が鳴り、「ごめんください!」の声が響いた。

 

 俺は『こんな遅い時間になんだ』と思いながらも、その声の主と娘が玄関で鉢合わせてもらっても困ると思い、ドアを開く。


 そこには、娘と少年が立っていた。

 そして、俺はとんでもない光景を目撃する。


 娘と!

 少年が!

 いや、クソガキが!

 手を繋いでいる!!

 

 一瞬、目の前が真っ暗になる。

 怒りで血管が切れそうになりながらも、娘に問いかける。


「……せいら、どういうことだ?」


 すると、クソガキが「おとうさん、僕から説明します」と答えた。

 お前に聞いてない。

 そして、誰がお前の『おとうさん』だ。


 娘の前で怒鳴り散らす姿も見せられない、努めて冷静に話す。


「……君に『おとうさん』と呼ばれる筋合いはないが」


 良いから手を放せよ、このデコスケ野郎。


「では、南さん」

「……まず、その手を離したらどうだ」

「説明したら離します」


 話にならない。

 話さなくて良いから離せ。


「聞く気はないと言ったら?」

「聞いてもらえるまで、離しません」


 やっぱ駄目だ、こいつ話ができない。


「大体君は誰だ?」

「『山岸 遼太郎』と言います」 


 そして次の言葉を聞いた瞬間、俺は自分の血管が何本か切れたかと思った。


「せいらさんと、『両想い』している、ただのクラスメートです」

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