第54話 六月三週(⑮)

 六月最後の土曜日。


 その日が、南の父親との約束の日だ。

 ここで南の父親を納得させられなければ、南は四国に行ってしまう。 


 俺は日置との話の後、南に電話した。


「あ、遼太郎だけど」

「うん」

「昨日は……。ありがとう」


『ゴメン』と言いかけたが、昨日南の家に行く前に謝ってしまったなと思い、感謝の言葉に言い替える。

 そのまま、日置と話した内容を伝えた。

 勿論、引っ越しの件を日置に共有した旨も併せて話す。


「そっか……。『遼太郎がいるから私も頑張れた』っていうのを、結果と行動で示す、か」

「もしかしたら的外れかもしれないけど……。どう思う?」

「ううん、多分答えに近いと思う。お父さんは私がどうするかもきっと見てるし……。私だって頑張りたい」


 父親を良く知る南の言葉に、俺は少し安堵した。

『間違っている』と指摘されても、他の答えに辿り着くのは難しそうだった。 

 この方向で行く、今からやる、と俺は決意する。 


 南と一緒に頑張って、結果を出す。

 ……何の?


「……問題は何を頑張るか、だけど」

「そうだよね。でも、やるべきなのは勉強じゃないかな?」

「……やっぱり?」 

「うん、あと二週間でできることは限られてるしね。他のことをやっても、『学生は勉強が一番大事なことではないのか』とか言われそう」


 南の言うことはもっともだ。

 結論として、俺と南は勉強を頑張って、試験で高得点を出して、それを南の父親に示す。

 ……ただ、それだけだと弱い気がする。

 もう少し見せ方や、伝える時のストーリーを考えておこう。


「分かった。俺と南は勉強して、次の中間試験で結果を出そう」

「……」

「……ん? どうした?」

「……『せいら』」

「……あ」

「『南』って言ってた……。さっきから」

「……」

「『せいら』って、呼んで」


 俺は南との別れ際の会話を思い出す。

 これからは、下の名前で呼ぶということをすっかりと忘れていた。

 結果、呼び慣れた名字で呼んでいたようだ。


 それであれば、呼び直せば良い。 

『せいら』と、呼べば良い。

 別に照れることではない。


 しかし、俺の近くにはまだ日置がいる。

 なんなら俺達の電話を聞いている。


 それでも、別に照れることではない。


 日置に聞かれても堂々としていれば良い。

 そんなことよりも恥ずかしい話だって沢山した。


 別に……照れることでは……。


 だが俺は、南を下の名前で呼んでいることを知られるのが、無性に恥ずかしくなった。

 いや、南を下の名前で呼ぼうとする姿を見られるのが、恥ずかしいのかもしれない。

 

 さりげなく日置を置いて、俺は部屋の外に出る。


「…………せいら」

「……え、聞こえないよ」

「……せいら」

「なんか声、小さくない? どうしたの?」


 この時間が長く続くのはまずい。

 顔が火照ってきている。

 俺はしっかりと腹を括って言った。


「せいら」

「……うん!」


 南の嬉しそうな声とは対照的に、俺は変な汗を背中に搔いたのだった。


――


 その後南と少し話をして、俺は部屋に戻った。

 さっきの話の影響で、まだ顔が火照っているように思う。


「どうした?」と日置に言われ、「いや、なんでもない」と答える。


「勉強して、一緒に結果を出そうって。そんな感じの話になった」

「ふぅん」

「ただ、それだけじゃ弱いと思うから、どういう風に南の父親に伝えるか、この後も一緒に考えてもらえると助かる」

「分かった」


 追試を経験し、若干学力を戻した俺は、今ならまだ勉強に付いていけている。

 どう勉強していくか、計画をイメージしている時、日置は唐突に言った。


「……せいら」

「えっ」

「せいら」


 日置が若干俺を真似ながら言う。

  

「……聞こえていたのか?」

「うん」

「……忘れて、くれないか?」

「何を?」

「……下の名前で、呼んでたことだ」

「いや、お前、それよりよっぽど恥ずかしいこといっぱいやってただろ」


 日置は呆れて言った。

 そんなことは分かっているが、どうしようもなかった。

 普段『オフクロ』とか呼んでいるのに、『お母さん』『母ちゃん』『ママ』と呼んでいることを知られる感覚か?

 ……ちょっと違うか。


「別に下の名前なんて、茂田でも呼んでるし」 

「あ、それ、なんか嫌だ」

「でも、良く考えたら、お前誰のことでも名字で呼ぶよな?」

「……」

「……俺のことも、名前で呼んで、良いんだぜ?」

「知らん」 


――


 その後も日置と話し、二週間後に向けて計画を立てた。

 形になった頃にはもう午後になっていたが、あとは徹底的にそれを実行するのみだ。

 日置は一段落付いたことを確認すると、「また連絡するわ」と言って帰っていった。

 南には計画をメッセージで伝える。  


 そして俺達は、試練の日々を迎えた。

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