第52話 六月三週(⑬)
「彼女!? お前に!?」
「ああ」
考えてみれば、日置とは知り合ってからまだ三か月も経っていない。
当然知らないことの方が多いはずだが、俺は日置のことを大体分かっているつもりでいた。
ほとんど毎日を一緒に過ごしていたからだ。
だが、休日の過ごし方や、地元での交友関係すらも俺は知らないことに気付いた。
「ああ、でも。お前達みたいに、付き合ってから離れたって訳じゃねーんだ」
「え?」
日置は、「まぁお前達もまだ付き合っている訳ではないか」と言ってから続けた。
「引っ越した後だ」
「後で?」
「そう。今の家に住み始めて、少ししてから彼女から連絡が来て。メッセージで告白された」
「マジかよ」
「俺は正直そんなに深く考えてなくて、軽い気持ちでその告白を受けた。まぁ、中学生だったしな」
「……」
「最初は、こっちに来てまだ馴染めてないってこともあって、夜は毎日電話したりしてた。だから、相手のことを考えることも多かった」
「今は……?」
日置は小さく首を横に振った。
「電話は全然しない。メッセージは、来れば返すけどな」
「引っ越してから、会ったりしなかったのか?」
「会ったよ、一度だけ」
その話を聞いて、俺は聞くべきか一瞬悩んだことがあった。
それでも、聞かずにはおれなかった。
『恋人』という関係の中で、俺が一番大事だと思っていることについてだ。
「その……。彼女のことは、好きなのか?」
「……」
日置は少しだけ黙ってから、口を開いた。
「分からない」
その言葉はやけに重く、俺の部屋の中に響いた。
「別に嫌いだとか、別れたいとか、そう思ってる訳じゃねーんだ」
「そうなのか……?」
「付き合い始めた直後は、頼りにしてたし、『好きだ』って気持ちも多分あったよ。岡山に残ってたらどうだったかとか、良く考えてた」
日置にしてはかなり珍しい、後ろ向きな自分語り。
俺は聞きたいことが山ほどあったが、それでも日置の語るに任せて耳を傾けていた。
「でもな、今は正直、彼女のことを考えることはほとんどないんだ」
「日置……」
「だからと言って、『別れたいか』と言われると、な。彼女には『別れよう』とか言えないし、言わないんじゃないか」
俺は『好き』ではないのに付き合っている気持ちは解からない。
別れられない気持ちも、解かることはできない。
優しさなのか、情なのか、それ以外の何かか。
俺は共感できない日置のその思いに対して、もどかしさを感じた。
「引っ越す前はな。別に告白とかされなかったけど、他の男子よりは仲良いかなって思ってた。学校の中では」
「ああ」
「だから俺と彼女は、デートなんてしたことないんだ」
「え? 一度会ったんじゃないのか?」
「岡山駅の中でな。ベンチで座って話したのがデートなら、それもデートだな」
「そうか……」
日置はコーラを飲み干すと、そのまま続きを話した。
「中学の時だった。親と別件で岡山に行って、隙間の時間を狙って、『前の中学の同級生と会う』とか言って。
その時にはもう毎日電話するような感じじゃなかったけど。それでも、会った後は、『引っ越す前に付き合っていれば』って凄ぇ考えた」
俺は普段一緒にいる友人の、普段見ることのない一面に触れて、複雑な気持ちになった。
誰にでも、色々な経験があり、色々な思いがあり、それに悩む日々があるのだ。
「……今考えれば、中学の頃の俺と彼女が、ちょっと前のお前とせいらちゃんみたいだったのかもしれない」
「え?」
「周りが気付いているのに、本人達はくっつきそうでくっつかない」
「……」
「岡山に住んでた時のことなんて、どんどん忘れていってるけど。まぁ、お前にその頃の俺を重ねてたのかもな。あの頃の俺ができなかったことを、お前はちゃんとできるように」
その話を聞いて、手厚すぎるとも言える、日置の後押しに思い至った。
「困ったのは、俺が元々モテて、お前がやまぎしい男だってことだったが」
「抜かせ」
「まぁいい、俺が横から色々言えたのはそんな理由だ」
日置の昔語りはこの辺りで終わってしまうようだ。
「ここまで話すつもりもなかったんだが」と言い、日置はもう喋らなくなった。
今、俺は目の前のこと以外、南とのこと以外はまともに考えられない。
だが、その件に片が付いたら。
何かしら、日置の力になりたいと思った。
「なんと言うか……。話してくれて、ありがとう。俺、頑張るよ」
「そうだな」
「日置に彼女がいるなんて思いもよらなかった」
「誰にも言ってないからな」
そして、日置の話を聞いたことで、俺は自分の気持ちを整理することができた。
「……やっぱり、俺は、離れないために全力を尽くしたい。正直、俺は自分が四国に行くなんて、考えもしなかった。最初から無理だと思って、選択肢からも外してた」
「ああ」
「でも、俺が言ってることは。南の引っ越しを止めるってことは、向こうにとってもそういうことなんだよな。もし、どうしようもなくって、南を行かせることになったら、その選択も取れるくらい、覚悟する」
「そうか」
「覚悟して、南が四国に行かないで済むように全力を尽くしたい。まずは、南の父親との話だ。そこに可能性があるなら賭けたい。何をするべきかは分からないが……。お前と話していて、俺が考えもしないことを、お前なら言ってくれると思った」
「……まぁな」
「……あらためて、日置、頼む。俺は、諦めたくない。お前の力を貸してくれ」
頭を下げて頼み込む。
俺の言葉に、日置は「しょーがねーな」と言った。
その顔は見えなかったが、日置はいつものようにニヤリとしている、そんな気がした。
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