第50話 六月三週(⑪)
朝、目を覚ますと俺の隣に男が寝ていた。
日置だ。
対して広くもない一つのベッドに、俺と日置が向かい合っていた。
昨日帰宅すると、疲れ果てた俺は、真っ先にベッドに向かった。
よくよく思い出すとそのベッドには日置がすでに寝ていたが、俺は構わず潜り込んだ。
結果として、二人は同じベッドで土曜日の朝を迎えた。
間近にあった日置の顔を見て、俺は暖かい気持ちになるはずもなく、猛烈な悪寒を感じてベッドから飛び起きた。
心臓が早鐘を打つ。
このドキドキのジャンルはラブコメではない。
現代ホラーだ。
「……日置。起きろ、朝だ」
「……うるせぇ」
なんと、日置は起床を拒否した。
言葉では彼を動かせないかもしれない。
しょうがないので揺らしてみる。
「起きろ起きろ」
「……ぶん殴るぞ」
何か怒っているのかと思ったが、昨日遅く帰ったことくらいしか心当たりがない。
日置はそんなことを気にする人間ではないはずだ。
粘り強く揺らし続けると、日置は不機嫌な顔で目を開けた。
「おはよう」
「……」
目は開いているが、口は開かない。
どうやら物凄く寝起きが悪いらしい。
数十秒経って、ようやく日置は動き出した。
「……コーラ」
「ん?」
「飲むから。持ってきて」
「……やべっ」
「は?」
「悪い、忘れてたわ」
「は? お前何しに行ったんだよ」
いや、お前に言われて、南の家まで行ってたんだが……。
「じゃあ、ポテチは?」
「……ない」
それを聞いた瞬間、日置は俺のベッドに倒れこんだ。
「買って来るまで起きねぇ」
「何言ってんだお前」
「起きねぇ」
「俺の家だぞ」
「うるせぇ」
――話が通じない。
日置から『一歩も譲らない』という鉄の意志を感じた俺は、諦めてコンビニまで向かうことにした。
南の父親から見た昨日の俺は、こんな感じだったのかと思うと、ちょっと申し訳ない気持ちになった。
――
一晩ぐっすりと寝たおかげか、俺のコンディションは回復しているようだ。
俺は朝からコンビニに出向き、ポテチとコーラを購入して、自室に戻った。
日置は目を覚ましていたようで、ベッドの上でスマホをいじっていた。
「おら、買ってきたぞ」
「ん? ……あ、コーラとポテチか、悪いな」
……『悪いな』とはどの口が言うのだろうか。
釈然としない思いを抱えつつ、俺はコンビニの袋を差し出す。
しかし、日置はそれをしばらく受け取らなかった。
そして日置は、眉を潜めながら言った。
「でも、朝からジャンクフードはちょっとな……。米はないのか?」
「うわぁぁぁぁ!」
俺は日置に向かってコンビニ袋を放り投げ、その上から掛け布団を投げつけた。
――
すったもんだの末、俺達はようやく落ち着いて話す。
「日置……。お前、とんでもなく寝起きが悪いんだな」
「そうか? 普通だろ」
「お前が『買ってこい』って言っておいて、三十分も経ってないぞ」
「俺、そんなこと言ったっけ? 頼んだの昨日の夜だろ?」
驚くべきことに、日置は自分の所業を記憶から抹消していた。
俺は信じられないものを見るような目をして日置を見つめたが、彼は構わずに続けた。
「むしろ、お前が帰ってくるのが遅い。何事もタイミングだろ」
思わず手が出そうになったが、俺は努めて冷静に振舞った。
「…………悪かったな」
ここは俺が我慢すれば良い。
日置の寝起きが悪いことは、今日学んだ。
次に活かそう。
「それで、昨日はどうだったんだ?」
「話すと長くなるんだが……」
俺は一つ一つ、日置に話し始めた。
南を呼び出して、近くの公園で話し込んだこと。
南にやっぱり好きだと伝えたこと。
南も俺のことを好きだと言ってくれたこと。
「やっぱり、そうだよな」と、そこまでを聞いた日置は言った。
俺は軽く頷いて、そのまま続ける。
南からは、『それでも付き合えない』と言われたこと。
その理由として、南が四国に引っ越してしまうこと。
引っ越しについては話すべきか迷ったが、ここを伏せてしまうと何も伝わらないので、俺は話すことにした。
後で南には『日置に伝えた』と言おう。
「なるほどな」
日置は意外と冷静だった。
俺はもっと驚くかと思ったが、日置は俺に話を続けるように促す。
引っ越しの理由。
南と父親とのやり取り。
南の話を聞いたら、堪えきれなくなったこと。
南の手を引いて、南の家まで行ったこと。
「お前……。やるなぁ」
この辺りの件は、日置を驚かせるに足る内容だったようだ。
そして、南の家に着いてからの内容は、余すことなく伝えた。
昨日の出来事を話し終わる頃には、一時間近く経っていた。
その辺りで、日置はポテチの袋を開き、コーラを口にしていた。
「首の皮一枚繋がった、ってところか」
その言葉に俺は頷き、「これからどうするか、だな」と言った。
「しかし、せいらちゃんの親父さんは凄いな。突っぱねて終わりだろ、普通」
日置はポテチに手を伸ばしながら「示せ、か」と呟いた。
「どういうことなんだろうな」
「それも含めて、『自分で考えて、納得できるように伝えろ』ってことだと、俺は受け取った」
「ふぅん?」
「このままじゃいけないとは思うんだけどな……」
「そうか」と日置は言い、「ちなみに、このままだとどうなるんだ?」と俺に質問した。
少し考えて、「南は引っ越すことになるだろうな」と答えた。
「……うん。最悪は、南が引っ越して全部終わりだ。ただ、もしかしたら遠距離恋愛も……」
俺は歯切れ悪く言うと、日置が突っ込んだ。
「そんなに上手くいくか?」
「……分からない。南の中では離れることイコール、終わりだと思っているかもしれない」
「……早く終わりにした方が、傷は浅いだろうしな」
『終わり』という言葉で、胸が痛む。
俺は首を振った。
「……やっぱり、離れることを考えると辛い。何とか引っ越さずに済む方法がないか……」
「……いや、離れないだけなら他にも方法があるぜ」
「……え?」
日置はいつもの通り、『ニヤリ』とするかと思ったが、真顔のまま言った。
「……遼太郎、お前が四国に引っ越す、とかな」
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